耳をひらく~第3章:論理力&俯瞰力(1)音空間を長くとらえる(フレーズ)
音楽には、呼吸がある。音楽における呼吸とは、どこからどこまでが「ひとくくりなのか」というフレーズである。いわば、文節であり、文章であり、段落であり、章であり、それらが有機的に連なってひとつの物語ができる。曲が大規模になると、緊張と解放が引き延ばされ、「ひとくくり」が複雑に重なりあって大きなくくりとなり、解決するまで長い時間をかけるようになる。それだけに、解決した時の解放感も大きい。
だからこそ、音楽の規模に見合った呼吸が求められる。フレーズの捉え方が大きければ、より大きな流れが見えてくる。また緊張と解決の因果関係も、より長い時間軸で捉えられるようになる。しかしこの音楽の呼吸を、演奏者自身が浅く短い呼吸でとらえてしまうと、フレージングが細切れになってしまうことがある。ソナタなどの大規模な音楽はとくにそれが顕著になる。たとえるならば、雄大な長編小説が描かれているはずなのに、短編の寄せ集めになってしまうのである。
では、音楽がどんな呼吸をしているのかはどう分かるのだろうか?たとえばリトミックのように音楽に合わせて身体を動かしたり、楽譜を読みながら歌ったり、眼を閉じて心の中で音楽を奏でるのも良い。音を出す前に、まず音楽を受けとめ、フレーズの流れを感じてみること。それだけで、自分のではなく、音楽の呼吸に合わせたフレーズになっていくはずだ。するとフレーズに方向性ができ、フレーズとフレーズの間にも音楽が流れ、音楽そのものが自然に呼吸するようになるだろう。
2013年ヴァン・クライバーン国際コンクール審査員を務めた指揮者のシャン・ジャン氏は、こう語っている。「音楽に説得力がある演奏者を見出したいと思っています。それはテンポの設定や、フレージングの創り方など、ほんのわずかなこと、些細なことだったりします。でもその細かい部分が、その音楽家の全てを物語ることがあるのですね」(審査員の指揮者視点)
ジュニア国際コンクールの事例から、このことを考えてみたい。こちらは2012年度記事「ジュニア国際コンクールの今」で、ジュニア世代を前期と後期に分けて論じている。前期と後期の大きな違いは、古典派ソナタが1楽章のみから全楽章になる点だ。全楽章となれば楽章同士の相関関係もあり、曲の規模もより大きくなってくる。10分か30分かで、曲の見方も呼吸の整え方も変わるだろう。
こちらは、2011年リスト国際ジュニアコンクール(独・ワイマール)のリポートである。入賞者にはある共通点があった。
"17歳以下の部門では、まず基本的なテクニックを備えた上で、各曲の特徴をよくとらえている点だろう。・・また呼吸が深いこと。特にグランプリを獲得したマリアム・バタシヴィリさんの呼吸の深さ、音楽を内側で深く捉える姿勢は他を圧倒していた。静けさで力強さを表現できる彼女のソロ演奏は、時間がたってもなお記憶が鮮明に残る。
また13歳以下の部門は、基礎的なリズム感や打鍵など、呼吸と身体の使い方を心得ている人が上位入賞した。そのフレームが出来ていれば、年齢を重ねて思考が熟成するのに伴って、いかようにも音楽を広げることができる。深みのある音色、自在なリズム感、フレージング、テンポ設定・・、それらは全て呼吸の質が関わっており、その大切さに気付かされたコンクールであった。"
マリアムさんはその後、2014年度リスト国際ピアノコンクール(オランダ・ユトレヒト)で優勝している。音楽の呼吸を十分に捉えられるだけの呼吸の深さをもっており、そのまま豊かな表現に反映されていた。じつは、呼吸は生命や健康維持に必要なだけでなく、学びの質にも関わってくる。
"呼吸というのは中枢神経系の発達においても大変大切な役割をしているので、私たちの神経発達の土台となる呼吸が未発達だと、その上につながる姿勢や体のコントロール、思考の発達は難しくなります。"(『トップ・アスリートだけが知っている「正しい」体のつくり方~パフォーマンスを向上させる呼吸・感覚・気づきの力』p112、山本邦子著、扶桑社、2015年)
呼吸は、思考の発達にも影響するほど大事なものである。呼吸が整えば、集中力が高まり、一方的に自分の話したいことだけでなく、相手の言葉にも反応を示すようになる、と同著は伝えている。これは「これはどんな音楽?」ということを、客観的に考えることにもつながる。作曲家が描いたのはどんな物語なのか?音楽はどう呼吸しているのか?音楽は可視化できないが、聴覚はその大きさや深さを感じとり、心の中で音を描いているはずだ。瞑想するように目を閉じて、(実音または心の中の)音に耳を傾け、一緒に呼吸してみる。それだけで、今までとは違う音楽の姿が見えてくるだろう。
呼吸や身体の使い方に関する記事も、ぜひご参考頂きたい。
シニアの国際コンクールになると、ソナタ全楽章や組曲などの大規模な楽曲が多く登場する。呼吸が長いとどのような演奏になるだろうか?2015年度ショパンコンクールのリポートから一部抜粋したい。
たとえば、第3位入賞のケイト・リウさん(米国)は、音楽による瞑想のように1フレーズが非常に長く、その一息の中に様々な陰影やニュアンスが含まれる。1曲全体を1呼吸で弾いているかのように、あるいは時空を超越するように、感じるほどだった。ソナタ3番Op.58は長い呼吸を生かした雄大な音楽で、特に第3楽章の中間部は、ソプラノだけを響かせながら自分の内なる声と対話しているようであった。(2015年度ショパンコンクール2次予選~音楽の呼吸、自分の呼吸)
セミファイナリストのディナーラ・クリントンさん(ウクライナ)は、歌い手のような長く深い呼吸で音楽に息吹を吹き込んでいた。ノクターンOp.48-2は非常に長く深い呼吸から生み出されるメロディが、歌のようにニュアンスに富みなめらかで円熟した美を感じさせた。一音一音に宿る様々な陰影、質感、色彩、温度を探りながら、テーマが繰り返されるたびに表現が変化していく。二次・三次はプログラムのストーリ一性も印象的だった。
そして優勝したチョ・ソンジンさん(韓国)は、1曲1曲の俯瞰した視線から生み出される優れた表現に加え、プログラム全体のフレージングも考えられていたことが伺えた。特に3次予選のプレリュードOp.28は24曲それぞれの特徴を引き出しながら、関連性がある曲同士は繋げ、決然とした和音で締めくくられる曲の後は間を置くなど、前奏曲全体としてのフレージングも考えられ、ストーリー性もあった。中でも15番「雨だれ」は、中間部の静けさの中に高度な集中力と内面的な思索があり、ここが24曲全体の精神的なクライマックスだった気がする。
実はこの徹底した俯瞰性は、「呼吸の長さ」に関係があるのではないかと思う。というのもショパンコンクール後、2014年ルービンシュタイン国際コンクールの映像を聴いた時に気づいた。ショパンのソナタ第2番を聴き比べてみたところ、明らかに演奏が違う。2014年は情熱的な演奏であるもののややフレージングが細切れだったのが、2015年はより落ち着いた呼吸で長いフレージングになっていた。自分自身の呼吸ではなく、音楽の呼吸に合わせたことで、よりショパンの意図した音楽表現に近づいたように感じられた。ご興味ある方は、ぜひ両方を聴き比べて頂きたい。
- 第2章 ④
- 第3章 ②
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/