海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

ハーバード大学は音楽で人を育てる 討論会レポート【出席者リポート】

2016/08/12
ハーバード大学は音楽で人を育てる 討論会レポート

出席者のリポートご紹介

討論会出席者より後日リポートを頂きましたので、ご紹介させて頂きます(五十音順)。それぞれ抜粋に続いて、全文掲載させて頂きました。全てお読みになりたい方は、ぜひ全文を読むをクリックして下さい!

● こういう形で音楽について考えることも時には必要
池上秀夫さん(コントラバス奏者)

"・・音楽の専門教育も受けていないライブ畑の自分に出る幕なんてあるのか、と思っていましたが、多少は発言もでき、色々興味深い話を聞くこともできて、有意義な経験ができました。こういう形で音楽について考えるのも、時には必要だな、と実感した次第です。"

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まずはじめに菅野さんのプレゼンから。アメリカの大学と日本の大学における人文学のカリキュラムの違いからスタート。現在のアメリカの大学では哲学や歴史学、心理学とともに音楽や美術も人文学の範疇としてカリキュラムが組まれるのに対し、日本では音楽や美術が人文学からはずれている、という現状の説明。

このようなカリキュラムになる経緯として、20世紀前半の大学教育においては科学の急速な発展や戦争などの影響により、国家に直接貢献できる教科が重視され、人文学が軽視される傾向があった。それが20世紀後半から、戦争の反省を踏まえて人間性を考察するという目的から人文学が重視されるようになり、21世紀に入ってからは人工知能などの開発などもあって、さらに「人間」というものが問われるようになった、という話。

その後、この話をベースに討論を展開。人文学教育における音楽のあり方にとどまらず、社会におけるリベラルアーツのひとつとしての音楽のあり方にも話は及びました。

音楽の専門教育も受けていないライブ畑の自分に出る幕なんてあるのか、と思っていましたが、多少は発言もでき、色々興味深い話を聞くこともできて、有意義な経験ができました。こういう形で音楽について考えるのも、時には必要だな、と実感した次第です。

● 音楽の学びから得られる果実の大きさ
大内孝夫さん(武蔵野音楽大学 就職課主任 兼 会計学講師)

“・・本著は「音楽大学に進むと就職に不利」という世間の常識に戦いを挑んだ拙著『音大卒は武器になる』同様、音楽の学びから得られる果実の大きさを、アメリカの大学の現状を紹介することで実証した著書です。多くの学生が音楽を真剣に学ぶハードルを低くする方向に導く本ではないか、との意見を述べさせて頂きました。また、最近教育界で話題のアクティブラーンニングについても話題になり、お役所がいうアクティブラーンニングと本来あるべきアクティブラーンニングの姿に齟齬がある可能性について、私の持論を述べさせて頂きました。討論会では「音楽こそ素晴しい、的な音楽礼賛は危険」との冷静な意見も出ました。私は日頃、音大生のES・履歴書指導で、「音楽だけが素晴らしいわけではないよ」と指導することがよくありますので、このような方向の議論もよかったと思います。”

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昨日はピティナ本部にて「ハーバード大学は音楽で人を育てる」の著者である菅野恵理子さんとの討論会に参加してきました。本著は「音楽大学に進むと就職に不利」という世間の常識に戦いを挑んだ拙著「音大卒は武器になる」同様、音楽の学びから得られる果実の大きさを、アメリカの大学の現状を紹介することで実証した著書です。多くの学生が音楽を真剣に学ぶハードルを低くする方向に導く本ではないか、との意見を述べさせて頂きました。また、最近教育界で話題のアクティブラーンニングについても話題になり、お役所がいうアクティブラーンニングと本来あるべきアクティブラーンニングの姿に齟齬がある可能性について、私の持論を述べさせて頂きました。
討論会では「音楽こそ素晴しい、的な音楽礼賛は危険」との冷静な意見も出ました。私は日頃、音大生のES・履歴書指導で、「音楽だけが素晴らしいわけではないよ」と指導することがよくありますので、このような方向の議論もよかったと思います。

特に若いうちは、興味のないものを真剣に学ぶというのは中々困難で、興味のあるものを真剣に学ぶ方が成長につながると考えています。「音楽の専門家にならないと音楽大学に行った意味はない」という類の都市伝説に惑わされず、音楽好きの高校生は是非積極的に音楽を専門に学んで欲しいものです。そして、その先には演奏家や音楽教師の道もありますが、それ以外にも様々な道が大きく広がっています。
今年も就活戦線絶好調の武蔵野音楽大学。音楽を真剣に学びたい学生のチャレンジをお待ちしています!

● 未来からの視点と伝統の到達点が交差する現代で、音楽の効用を再認識
岡野勇仁さん(ピアニスト、尚美ミュージックカレッジ専門学校講師)

“・・20年先から逆算される現代での音楽活動に必要な要素の抽出、が今回の討論会の中心的内容だったように思う。未来からの視点、また中世、19世紀を経た伝統の到達点の交差する現代で、必然的にリベラル・アーツとしての音楽科目の大学機関への登用、音楽の積極的な社会への関わりという側面が自然とたちあらわれてきたのだろう。移民の増加や、人工知能の出現などにより変わる社会状況にあわせて、伝統の継承としての音楽の要素だけでなく、音楽の、総合的人間力を高める効用をもっと世に広く伝播するが重要で、著作に紹介されたそのための色々な方法論を中心にとても熱心に議論され、興味深かった。”

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先日は菅野恵理子さんの著作『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる』の読後討論会へ参加。参加していた方は、みなさんとても意識が高く、とても有意義で刺激を受けた討論会であった。

途中菅野さんから「20年後の音楽界はどうなっているか?」「20年後の音楽教育にはどのようなものが求められているか?」という考慮議題が与えられた。この議題はとても難しいのだが、20年先から逆算される現代での音楽活動に必要な要素の抽出、が今回の討論会の中心的内容だったように思う。

そのような未来からの視点、また中世、19世紀を経た伝統の到達点の交差する現代で、必然的にリベラル・アーツとしての音楽科目の大学機関への登用、音楽の積極的な社会への関わりという側面が自然とたちあらわれてきたのだろう。移民の増加や、人工知能の出現などにより変わる社会状況にあわせて、伝統の継承としての音楽の要素だけでなく、音楽の、総合的人間力を高める効用をもっと世に広く伝播するが重要で、著作に紹介されたそのための色々な方法論を中心にとても熱心に議論され、興味深かった。

ここに関しては自分も以前からそう思っており、音楽のよさをたくさんの人にどう伝えていけばよいのか、その方法の思索と実践、また音楽について今回の討論会のようにたくさんの人が思考し、語りあう機会をどんどん増やしていきたい、という意識をより強く持つことができ、とても励まされた。 菅野先生はじめ、関係者のみなさまありがとうございました。

● 「社会の中に芸術がある」という考えをもって、音楽を学んでほしい
道嶋彩夏さん(株式会社パソナ ミュージックメイト担当 ユニット長)

“・・「社会とは?」「社会の中で求められる音楽とは?」という問いに真剣に向き合えたのは社会人として社会で揉まれ始めてからです。では、社会に出るにあったっては、音楽大学の勉強は無意味なのでしょうか?いいえ、音大の授業内容はすべて社会の中で活かせます。(西洋音楽史や一般教養、第二外国語まで、全てです!)だからこそ、授業を“ただ受ける”のではなく、授業の学びを学生のうちに実社会で試行できる欧米の“アクティブラーニング”の教育カリキュラムに大変注目しているのです。同じ「音楽を学ぶ」という行為も、その先にリベラル・アーツ(社会の中に芸術がある)という考え方があっての学び方と、とりあえず目の前の課題を必死にこなすのでは、その先に得られるものが大きく異なるからです。”

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音楽が広く社会に浸透するために~リベラルアーツという考え方~ 「クラシック音楽の良さをたくさんの人に知ってほしい」と思うアーティストの方は多いですよね。(私もその1人です。)では、果たして"クラシック音楽の良さ"は知られていないのでしょうか?また、もし知られていないとして、社会のどこにクラシック音楽の需要はあるのでしょうか?その問いを追及すべく、先日、『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる』の討論会に参加してきました。アメリカの大学で行われるリベラル・アーツの教育カリキュラムや実際にその授業を受けた学生のインタビューが紹介され、音楽のスキルや知識を実社会とどう繋げていくのかを考えるきっかけとなる本です。

あらためて、人間とは? 討論会に入る前に、菅野氏から「今、なぜ、どう音楽を学ぶ?」というテーマでレクチャーがありました。そこではアメリカと日本での芸術系大学のカリキュラムの違いや、20世紀~21世紀にかけて「人間とは」という問いに対する考え方がどのように変化してきたのか、人文学をベースに教えて頂きました。「人間」に対する考え方の変化について少し紹介すると、20世紀前半は自国を大きくするために、"国に貢献する人材"をつくるべく、医学・工学・経済学等の各分野で教育がなされていたそうです。しかし、20世紀前半は2度の世界大戦があったほど、各国の競争が激化した時代です。人材育成も徐々にエスカレートし、人間性を無視した教育が行われたり、プロバガンダ映画のように芸術が政治・戦争に利用されてしまうようになりました。その反省を踏まえ、20世紀後半には「人間性」というものが再考され、"教養"として人文学が学ばれるようになりました。コロンビア大学などで人文学の学科が誕生したのもこの時代だそうです。そして今、21世紀に入り、改めて私たちは「人間とは何か」という問いにぶつかっています。というのも、ITや人間工学・AIの発展により、今後5年・10年の間に私たちの生活は激変する時代に突入したからです。

21世紀の暮らしに音楽は必要なのか? 現在の仕事がロボットや人工知能にとって替わられたら、私たちはどのように生活していくのでしょうか?みんな仕事を失くすのでしょうか?新しい仕事が生まれるのでしょうか?そのためには今のうちにどんなスキルを身につけるべきなのでしょうか?色々と疑問はつきませんが、1つだけ明確なのは、この答えの見えない未来社会を創っていくのは私たちに他ならないということです。そのためには、私たち自身が「人間とは?」という問いを模索し、道を切り開いていかなければなりません。菅野氏は、正解がない問題を解決する力や新たな可能性を創造する力を養うためにも、音楽を学ぶことが必要だと教えてくれました。なぜなら、「"芸術の役割は複合的かつ多面的なもの"であり、"芸術は曖昧さを受入れ、創造的に考え、問いかけ、また挑戦することを教えてくれ"る」からです。(菅野氏資料より抜粋/スタンフォード大学資料)既に欧米の各総合大学では21世紀型スキルを育成すべく、リベラル・アーツの観点で教育カリキュラムのなかに音楽を使ったアクティブラーニングが導入されているそうです。

では、音楽をどのように学べばこの課題に向き合える? 音楽は"楽しむ"だけではなく、未来社会の創造や高度な教育にも通用するとは驚きですよね。では、音楽従事者としてはどのように音楽と向き合うべきでしょうか?その課題を考えるにあたり、菅野氏から以下の質問がありました。
「たとえば、忙しい社会人には音楽の良さをどう伝えますか?」
討論会会場には、アーティストとして前衛的な音楽に挑戦されている方や、理系企業から音楽系企業の経営に移られた方、音楽専門学校で講師をされている方、芸術系の書籍を多数出版されている方など、様々な形で音楽に関わっていらっしゃる方がいらっしゃいましたが、その中で大変印象に残った意見がありました。それは「音楽は、聴き手の頭の中で構成されるのでは?」というものです。つまり、奏者が奏でる音楽がその分野でいかに素晴らしいものであっても、聴き手(受け手)がその音楽を理解でき得る耳や素養、または精神的余裕がなければ、その価値は成り立たないというのです。そして、この議論を続けるうちにある結論に辿り尽きました。それは、「音楽の良さとは音楽家自身が感じる"価値"を聴き手の中に創造すること」であり、そのためには「音楽家自身が音楽の良さを明確に理解し、その価値を語る努力をしなければいけない」というものです。また、自分の言葉で音楽を語るためには、音楽家が(演奏スキルだけでなく)リベラルな視点を身につけて、社会と音楽を結び付けなければいけないという合意に至りました。

ポテンシャルを実行力に変えるために 菅野氏のお話を伺うと、音楽家や芸術家のポテンシャルの高さに気づかされ、大変心強く感じます。(たとえば、演奏家は1つの曲を完成させるために、楽曲分析を行い、レッスンの度にアウトプット・インプットを求められ、翌週までに課題を改善するという作業が日々発生しています。実は、これこそ究極のアクティブラーニングでは?という意見もありました。)ただし私は、音楽で培ったポテンシャルを「社会で応用する力」はなかなか学生のうちに身につけられるものではないと思います。私自身、音楽大学を出て一般企業に就職しましたが、まず音大4年間で音楽を極めることこそ大変な話で、在学中はレッスンや授業の宿題をこなすだけで手一杯でした。「社会とは?」「社会の中で求められる音楽とは?」という問いに真剣に向き合えたのは社会人として社会で揉まれ始めてからです。では、社会に出るにあったっては、音楽大学の勉強は無意味なのでしょうか?いいえ、音大の授業内容はすべて社会の中で活かせます。(西洋音楽史や一般教養、第二外国語まで、全てです!)だからこそ、授業を"ただ受ける"のではなく、授業の学びを学生のうちに実社会で試行できる欧米の"アクティブラーニング"の教育カリキュラムに大変注目しているのです。同じ「音楽を学ぶ」という行為も、その先にリベラル・アーツ(社会の中に芸術がある)という考え方があっての学び方と、とりあえず目の前の課題を必死にこなすのでは、その先に得られるものが大きく異なるからです。社会を知るためには実社会を経験することが一番ですが、個人ではなかなか時間が取れない、または大学の授業に類似のカリキュラムがない場合は、たくさんの偉人の伝記や書籍を読んで、これからの"社会"とは何か、社会と音楽の関わり方、音楽家としての自分の在り方について、学生のうちから是非考えてほしいと思います。

21世紀はよりグローバル化が進み、価値観が多様化する時代です。また、ロボットや人工知能の発達により、人間の生活が大きく変化するであろう時代です。こんな時代だからこそ、人間らしい営みをするために芸術が重宝されると思いますし、またその形も様々なのではないかと思います。将来、音楽や芸術のニーズが大きく高まる日を夢見て、私たち音楽家自身も社会に目を向けてしっかりと準備していきたいと思いました。

出典元:Musicians

● 点と点が結ばれていく感動体験をもとに、音楽&絵画のコンサート企画
濱田志穂さん(ピアニスト、フェリス女学院大学音楽学部非常勤副手)

・・国際化と民族の流動化により、自分のアイデンティティーを守っていく、継承していくのも音楽の役割ではないかと沢山の可能性を感じた勉強会になりました。音楽を社会に還元していくためには何ができるのか未だ答えは出ないまま、勉強会後の最初の行動として、鹿児島在住の先生方と共にレクチャーコンサートの企画・運営を行いました。ある美術展に行った時、モデルとして描かれていた音楽家を目にした時、これが点と点が結ばれる感覚かと感激したことがあります。この経験を基に「以前は見えなかったものが、ある情報を知ることによって違う見方ができるようになる。」をコンセプトとし、黒川浩先生、田中京子先生のご協力を得て絵画と音楽のレクチャーコンサートを実現することができました。(コンサートプログラムPDF

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「ハーバード大学は音楽で人を育てる」の著者で、音楽ジャーナリストの菅野恵理子さんを囲んでの勉強会では、社会における音楽家の役割とは何なのか、音楽で教育することでどのような効果があると思うかなど活発な議論が行われました。
私自身も総合大学の音楽学部で音楽を専攻し、自分の専攻の他に他学部の授業を履修し、逆に他学部の学生が音楽学部の授業を履修することもあったので、勉強会では自身が経験したリベラル・アーツ教育としての音楽をもっと広めるにはどうしたら良いか皆さんの意見を参考に知識を深めたいという思いで参加しました。
私は時間の関係で一部しか参加出来なかったのですが、アメリカの大学のカリキュラムではどのように音楽が携わっているか、また日本では今後音楽家が社会でどのような役割を果たしていけるかについて話し合いました。

芸術は目に見える即効性や偏差値がないため、良さや効果を人に伝えるのは難しいことだと思います。勉強会での「人が大切に守っていかなければ消えてしまうもの」という言葉が特に印象的でした。
娯楽も多様化し、自ら選び、見抜く力が必要とされる昨今、芸術を学ぶことは「本物を見抜く力」につながるのではないかと感じました。また自分の専攻する音楽や楽器を軸に、文化的背景を知ることは、それが他国を、そして自国を知るきっかけになります。それが国際化の、今求められる人材の育成・教育に役立つのではないかと思います。国際化と民族の流動化により、自分のアイデンティティーを守っていく、継承していくのも音楽の役割ではないかと沢山の可能性を感じた勉強会になりました。
音楽を社会に還元していくためには何ができるのか未だ答えは出ないまま、勉強会後の最初の行動として、鹿児島在住の先生方と共にレクチャーコンサートの企画・運営を行いました。

ある美術展に行った時、モデルとして描かれていた音楽家を目にした時、これが点と点が結ばれる感覚かと感激したことがあります。この経験を基に「以前は見えなかったものが、ある情報を知ることによって違う見方ができるようになる。」をコンセプトとし、黒川浩先生、田中京子先生のご協力を得て絵画と音楽のレクチャーコンサートを実現することができました。
ピアノの横にプロジェクターを設置し、先生がレクチャーをしながら演奏するというもので、時代と共に変化する絵画と音楽を、体験として学習できる総合芸術のコンサートとなり、大変好評を頂きました。今後も取り組みを通して、知識を深め、音楽人として社会に何が出来るのかを問い続けていきたいと思います。

● 音楽を学ぶことで、VUCAに向き合う人間力を育てられる
福田成康さん(全日本ピアノ指導者協会専務理事)

“・・人が言葉を話す時、話す人と聞く人に分かれますが、音楽では合奏してハーモニーを作ったり複雑なリズムを作ったりすることができます。音楽を学ぶことが、VUCA(変動性・不確実性・複雑性・曖昧性)に付き合うことができる人間力を育てるといった効果も得られます。音楽教育の効果を示すとともに、音楽教育の質と効率を高めて、もっと音楽が社会に根付くことに貢献したいと思っています。”

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今日は、「ハーバード大学は音楽で人を育てる」の著者である菅野恵理子さんを囲んで勉強会を行いました。
アメリカの大学では、哲学・言語学・歴史学などの大カテゴリーである人文学の1項目として音楽が存在しますが、日本の大学の知識体系の中では、美術・音楽は芸術として別ジャンルと扱われます。今後、日本で音楽がどのように扱われるか、音楽家の役割はどのように発展するかなど議論しました。
人が言葉を話す時、話す人と聞く人に分かれますが、音楽では合奏してハーモニーを作ったり複雑なリズムを作ったりすることができます。音楽を学ぶことが、VUCA(変動性・不確実性・複雑性・曖昧性)に付き合うことができる人間力を育てるといった効果も得られます。 音楽教育の効果を示すとともに、音楽教育の質と効率を高めて、もっと音楽が社会に根付くことに貢献したいと思っています。

● 各分野間をつなぐ哲学的な問いかけを
松村謙さん(フリーライター)

“・・たとえば、「幸せとは何か?」という問いを立て、基礎教養科目で学んだ哲学・宗教学・心理学・倫理学などの知識を踏まえて考え、それにある程度解答のイメージができれば、その実現を目的として、政治はどうあればいいか、経済はどうあればいいか、あるいは音楽はどうあればいいかという方向性が見えてくる。各分野間をどうつなぐかというのは難しいことでもありますが、哲学的な問いを基礎にすれば、あっけなく学際的な思考ができますし、そうなると欧米のリベラル・アーツなどの教育で哲学が伝統的に重んじられているのも理解できます。ただ、現代において注意が必要なのが哲学的な問いを考えるにあたって、歴史を参照することで、しかも特定の哲学ではなく、哲学史を網羅的に参照することではないか。特定の時代を参照すれば偏っていますし、あるいは自分の思い込みを正当化させるだけになりかねません。”

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先日、全日本ピアノ指導者協会(ピティナ)で開催された書籍討論会に参加させていただきました。(長くなりますが、レポートします!)
課題書籍は、音楽ジャーナリストの菅野恵理子さん著『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる -21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング)。
欧米の大学では、古代・中世の修道院や大学など以来の教養教育(リベラル・アーツ)の伝統の継承・改革を重ねていますが、本書ではアメリカでの2000年以降のリベラル・アーツ教育改革が紹介されています。
リベラル・アーツの古代・中世以来の歴史を手軽に概観できる上、最新の大学教育事情を知ることができ、非常に有意義な本ではないかと思います。 特に音楽に焦点があてられ、いわゆるクラシック音楽の理論・歴史だけではなく、演奏の実技や欧米以外の音楽やポピュラー音楽等がとりあげられるようになっている近年の傾向が詳述されています。

著者の菅野さん、編集者の木村元さんはじめ、音楽家、音大職員の方、音楽家支援をしている大手企業の方、教育研究者の方などから、かなり率直で自由なお話を伺え、とても刺激的でした。
討論では、おもにリベラル・アーツに音楽があるメリットや、逆に音楽をリベラル・アーツのなかで学ぶメリットなどが語られました。
そして、「リベラル・アーツとは、すべてがひとつながりになっているということ」という共通認識があったのではないかと思いますが、ところが、いざその「つながり」を具体・理論的に語ろうとすると、困難があったと思います。
ここでは、そうした困難を課題とし、「音楽とリベラル・アーツ」というよりはリベラル・アーツ、大学改革一般を、音楽を含めて基本的なことから考え直し、各分野間の関係をどう把握するのが望ましいかを提案してみたいと思います。(それによって、音楽の位置づけ、目指す方向性も明確になるのではないか)
ちょうど90年代の大学改革ブームのなかで学生時代を過ごし、大学改革自体にも少し携わらせていただいたり、その後、リベラル・アーツ的な勉強をする機会があったので、そうしたことを踏まえて考えてみたいと思います。

***

最近、日本では「文系学部廃止」論がニュースになったりする一方、「クールジャパン」で積極的に日本文化を対外的に宣伝しようとしていて、文化への評価はじつは激しく対立している状況のように感じます。(そんな「雰囲気」は世間にはなさそうですが)
また、この傾向は90年頃からの規制緩和と並行する大学改革ブームの流れでも起こっていたことのように思えます。(専門学校的学部が増加する一方、教養教育部門が独立し、○○文化学部のようなものの増加)
慶應義塾大学で90年に新設されたSFC(総合政策学部・環境情報学部)はそうした流れのなかで生まれた代表的な学部の一つだと思います。(私は93年環境情報学部入学)
当時、インターネットが普及し始め、またコンピュータで統計や音、映像が手軽に処理できるようになってきていたので、それらを開発しつつ実用化を目指すような、かなり実学志向の学部でした。
とはいえ、学際志向でもあったので、文学や芸術等、幅広い分野を学べる状況で、各分野の「歴史」が手薄ではあったのではないかと思うものの、教養的な学部でもあったと思います。(例えば、音楽ではコンピュータ・ミュージックが中心)
そして、このSFCでも課題の一つだったのが、各分野間の「つながり」、それと関連し、学部名にもある「総合」とは何か?ということではないかと思います。(いろいろな分野の勉強をしても、分野間のつながりを有意義に見出すのが困難、あるいはバラバラに考えているままの状態)
こうした学際の課題は、学際研究の「学際」のあり方をパターン化して提示(Trans-disciplinary, Cross-, Inter-,Multi-)している、赤司秀明他著『学際研究入門―超情報化時代のキーワード』(97年、コスモトゥーワン)でも述べられていました。
これに対する一つの解答が、SFCの創設メンバーだった故・加藤寛先生、井関利明先生、またSFCでの教育に携わっていた箕原辰夫先生たちによる、2000年に新設された千葉商科大学政策情報学部でのカリキュラムではないかと思います。(立ち上げ時、私も設置準備委員会に出席させていただきました。まだ留年中!の学部生だったのですが。)
この学部では、現在、専門のコースとして、政策系の「地域政策コース」と音や映像、情報技術を主に学ぶ「メディア情報コース」が置かれています。そしてこの2つを結ぶ「コース共通専門科目」が置かれているのがポイントだと思います。
「コース共通専門科目」では、「創造的思考法」「言語思想論」「批評理論」「認知心理学」「カウンセリング論」といった、人間の思考そのものに注目し、哲学的な問いが立てられているのが特徴だと思います。
たとえば、「幸せとは何か?」という問いを立て、基礎教養科目で学んだ哲学・宗教学・心理学・倫理学などの知識を踏まえて考え、それにある程度解答のイメージができれば、その実現を目的として、政治はどうあればいいか、経済はどうあればいいか、あるいは音楽はどうあればいいかという方向性が見えてくる。
各分野間をどうつなぐかというのは難しいことでもありますが、哲学的な問いを基礎にすれば、あっけなく学際的な思考ができますし、そうなると欧米のリベラル・アーツなどの教育で哲学が伝統的に重んじられているのも理解できます。
そもそも、古代ギリシアのプラトンやアリストテレスの哲学においては、そもそもあたりまえのように哲学のなかで政治が語られ、自然が語られ、芸術が語られていたのは、学際的であり総合的でした。
ただ、現代において注意が必要なのが哲学的な問いを考えるにあたって、歴史を参照することで、しかも特定の哲学ではなく、哲学史を網羅的に参照することではないか。特定の時代を参照すれば偏っていますし、あるいは自分の思い込みを正当化させるだけなりかねない。
個別の哲学は色眼鏡だと思いますが、網羅的にいろいろな色眼鏡を知ることによって、自分の色眼鏡が何色なのか。そして、現代にはどんな色眼鏡が必要なのかということが見えてくるように思えます。
いま「自己啓発」が流行していますが、そうしたものも、哲学史を参照すると、どういう哲学に基づいているかがわかるので、非常に参考になると思います。 個人的には大学卒業後、東京大学教養学部の改革や学際研究(社会経済学・欧米保守思想)を進められた西部邁先生、ヨーロッパの古代・中世の哲学・神学の第一人者のクラウス・リーゼンフーバー先生(上智大学)に教えていただく機会を得たなかで、痛感です。
西部先生の歴史的(特定の時代を復古させるというよりは、絶えず過去を参照するという意味に近いと思います)かつ体系的な思考は、哲学的でありながら、非常に実践的で驚かされました。(参考『ソシオ・エコノミックス』イプシロン出版企画、『知性の構造』ハルキ文庫など)
また、リーゼンフーバー先生の哲学・神学講座のなかで、古代ギリシア、しかもソクラテス以前やユダヤ・キリスト教からの哲学・神学に触れるなかでは、近現代の哲学・宗教もそれら過去の思考パターンのヴァリエーションで、連続していることが明確でした。(参考『西洋古代・中世哲学史』平凡社ライブラリー、『近代哲学の根本問題』上智大学中世思想研究所中世研究叢書など)

***

以上、まわりくどくなりましたが、リベラル・アーツにおいて哲学が基礎的で、かつ哲学史を学ぶことが必要で、そのなかでこそ、たとえば、音楽のあるべき姿が浮かんでくるように思います。そして、哲学に限らず、音楽はもちろん、他の分野でも歴史を知ることが求められていると思います。
「幸せとは何か?」というような根源的な問いかけが関わっていますから、宗教や神学が当然関わってきますが、なんとなくそういうことについてパブリックに語るのはタブーであるという風潮もあると思いますので、このあたりをどうするかも課題ではないかと思います。
また、「文系学部廃止」論に関してですが、私見では、理系科目は手段を追求するもの、文系科目は目的を追求するもの。当然ですが、手段と目的とは相補い合うものですので、理系科目と文系科目との関係も同様だと思っています。


菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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