海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

今こそ音楽を!第6章3. 身体を見直して演奏の向上を(1)ボディマッピング

2016/02/09
第6章:ライフスタイル&ボディ編
3
身体を見直して、演奏と生活習慣の向上を

第6章第1回目では、表現する身体を小さい頃から創ることについて述べた。身体は日々変化する。奏法や生活習慣によって、ちょっとした動きの癖や身体の歪みが生じることもあるだろう。身体を見直し、思う通りに演奏できるようにするにはどうすればよいか。そこで、音楽家のための身体作りについていくつかご紹介したい。アレクサンダーテクニックがよく知られているが、今回は最近注目されているボディマッピング、姿勢や気の流れに着目したエクササイズ、また昨年設立された音楽医科学研究センターのキックオフフォーラムについてリポートする。

ボディ・マッピング
脳科学をベースにした新しい身体教育

音楽身体教育コナブルのボディ・マッピングⓇは、演奏の妨げや故障を誘発する動きを排除し、自然な動きを導き出すことによって、パフォーマンスを高めるために開発されたメソードである。脳科学をベースにしており、自身の脳の中に描かれているボディマップ(身体地図)を自覚し、適宜修正していくことで、思い描く音楽表現を習得していくものだ。 ※詳しくはこちらへ。

東京音楽大学では3年前から、アンドーヴァー・エデュケーターで同大講師の長井芽乃先生による「身体表現と音楽」が通年開講されている。まずボディ・マッピングの基礎概念や身体構造を学び、自身の正確なボディ・マップ(身体地図)を知った上で、様々なエクササイズを通して、自分の動作を修正していく。(長井先生の2014年度論文(『音楽身体教育コナブルのボディ・マッピングによる演奏へのアプローチ』には、ボディ・マッピングの授業で学生自身の身体の絵を描いてもらい、半年間で自己認識がどう変化したかが紹介されている)。

では実際の授業はどのように行われているのか、2015年度最終授業を取材させて頂いた。

“ひめトレ”という細い棒をひいて座り、まずは動きの中軸となる「背骨」のエクササイズから。大切なポイントを説明しながら、一つ一つの動作をゆっくり、丁寧に行っていく。「腕は鎖骨から伸びている」「指先は背中から動いていて、それを体幹が支えている」「上腕と肩甲骨は接続している」・・・ということを意識するだけで、明らかに動き方が変わってくる!

さらに「上腕と肩甲骨が連動している」ことを確認するために、二人一組になって同じ方向に座り、腕を前後に動かしたり(黒鍵と白鍵の間を移動する)、左右に動かしたり(広い音域を移動する)、交差させるなど(両手を交差して弾く)、ピアノやオルガンの奏法を一人が行い、もう一人が肩甲骨を触ってどう動いているのかを確認した。「え、こんなに動いてるの!」とビックリする人も。

またひめトレを両手に持ったまま、手を前に伸ばしたり、首・顔・頭の上に持ってきたり、逆手に持ち替えたり、左右に並行移動させたり、目線だけ逆方向に向けたり、内腿にはさんでぐっとストレスをかけたりしながら、体幹や筋肉を鍛えていく。

「呼吸」も、背骨と同様に重要である。腕は胸郭に乗っているので、呼吸は腕の動きに密接に関わっているそうだ。決してお腹に力を入れるのではなく、第一肋骨まである肺の全体に息を入れ、すーっとはきながら弾くと、柔らかく流れるような音色になる。これもぜひ覚えておきたい。

「足裏」も見逃せないポイント!実はここが演奏時に大きく関わってくることが後で分かる。長井先生いわく「指先に何か起きたら、遠い場所を疑って下さい」。そこでまた二人一組になり、手を組んだまま引っ張り合いをして、足裏をぐっと床につけるエクササイズも行われた。


「音を聴いただけで骨格が見える」

授業の後半は、一人一人今練習している曲の冒頭を弾いて、先生から一言ずつアドバイスが与えられた。長井先生は「音を聴いただけで骨格が見える」(!)そうで、一言一言が的確で、その通りに弾き直してみるとたしかに音が変わる。特に多く見受けられたアドバイスは、「足でしっかり支えるように」「内股になったり、ひざが不安定にならないように」「足指の角度を変える」「ひめトレの上に座って下半身をしっかり支え、あーっと声を出してみる」「呼吸を整える」など、足に関することが多かった。足がしっかり地についていれば、上半身をもっとリラックスさせて柔らかい演奏ができる。

意外と上半身だけで弾いてしまいがちだが、「いつも身体全体を見て下さい。それが心の安定にも繋がります」と締めくくられた。

長井先生はご自身のケガをきっかけに身体への関心が高まり、様々な学びを経て、ボディマッピングと出会ったそうだ。最近気になるのは、若年世代の身体機能が低下していること。
「昔は座った時の姿勢がそり気味の人が多く、またしっかり弾きすぎる傾向がありましたが、今は丸腰が多くて緩んでいます。体温も下がって、冷え性の子が多いですね。学生自身も『弾き出したら身体が上がってくる、浮ついてしまって下がらない』と自覚しているように、鍵盤に指がしっかりタッチできない現象が見受けられます。またバリアフリー化やトイレの洋式化など、世の中が身体にやさしくなり、日常生活の中で身体が育たなくなってきています。ですから授業ではスクワットなど、様々なエクササイズを採り入れています」。

そのような課題に取り組みつつ、実際の楽器演奏と連結させるための工夫がなされている。演奏するときに骨や筋肉がどう動いているのかを具体的に知覚してもらうために、長井先生はボディ・マッピングの理論をピアニスト用にアレンジ。「個々の動きだけでは伝わらないので、それがピアノのどの動きに繋がっているのかを伝えています。1限から約3時間の授業ですが、ほとんどの学生が続けて出席してくれて、皆の気持ちがだんだんと集中してきているのも感じられました。様々なエクササイズを通して、身体が変わったと実感してくれていれば嬉しいですね」。

学生自身、それぞれ大切な気づきがあったようだ。「ペダルの足の角度一つ変えるだけで音が変わったり、座り方を変えるだけで弾きにくい部分が弾きやすくなったり、またそれを他の曲にも応用できるようになりました。また普段の練習、緊張の克服、本番前の準備や食事の取り方、終演後の疲労回復法まで教えて頂いたので、とても勉強になりました」(松本悠里さん・1年)
「楽器のメンテナンスはしますが、自分の身体のメンテナンスはあまりしていませんでした。でも疲れをきちんと取るようになって弾きやすくなりました。また演奏は指先だけでなく、身体全体のことだと気づきました」(渡邊礼華さん・2年)

身体への意識は世代によっても異なり、20歳以下の世代にはまた新たな変化を感じているという。初等・中等教育のあり方も大きく関連しているようだ。今後さらに、身体の研究は教育現場で活かされていくだろう。

美しい姿勢、脱力の仕方を見直す
INDEX

菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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