今こそ音楽を!第6章3. 身体を見直して演奏の向上を(1)ボディマッピング
第6章第1回目では、表現する身体を小さい頃から創ることについて述べた。身体は日々変化する。奏法や生活習慣によって、ちょっとした動きの癖や身体の歪みが生じることもあるだろう。身体を見直し、思う通りに演奏できるようにするにはどうすればよいか。そこで、音楽家のための身体作りについていくつかご紹介したい。アレクサンダーテクニックがよく知られているが、今回は最近注目されているボディマッピング、姿勢や気の流れに着目したエクササイズ、また昨年設立された音楽医科学研究センターのキックオフフォーラムについてリポートする。
音楽身体教育コナブルのボディ・マッピングⓇは、演奏の妨げや故障を誘発する動きを排除し、自然な動きを導き出すことによって、パフォーマンスを高めるために開発されたメソードである。脳科学をベースにしており、自身の脳の中に描かれているボディマップ(身体地図)を自覚し、適宜修正していくことで、思い描く音楽表現を習得していくものだ。 ※詳しくはこちらへ。
東京音楽大学では3年前から、アンドーヴァー・エデュケーターで同大講師の長井芽乃先生による「身体表現と音楽」が通年開講されている。まずボディ・マッピングの基礎概念や身体構造を学び、自身の正確なボディ・マップ(身体地図)を知った上で、様々なエクササイズを通して、自分の動作を修正していく。(長井先生の2014年度論文(『音楽身体教育コナブルのボディ・マッピングによる演奏へのアプローチ』)には、ボディ・マッピングの授業で学生自身の身体の絵を描いてもらい、半年間で自己認識がどう変化したかが紹介されている)。
では実際の授業はどのように行われているのか、2015年度最終授業を取材させて頂いた。
“ひめトレ”という細い棒をひいて座り、まずは動きの中軸となる「背骨」のエクササイズから。大切なポイントを説明しながら、一つ一つの動作をゆっくり、丁寧に行っていく。「腕は鎖骨から伸びている」「指先は背中から動いていて、それを体幹が支えている」「上腕と肩甲骨は接続している」・・・ということを意識するだけで、明らかに動き方が変わってくる!
さらに「上腕と肩甲骨が連動している」ことを確認するために、二人一組になって同じ方向に座り、腕を前後に動かしたり(黒鍵と白鍵の間を移動する)、左右に動かしたり(広い音域を移動する)、交差させるなど(両手を交差して弾く)、ピアノやオルガンの奏法を一人が行い、もう一人が肩甲骨を触ってどう動いているのかを確認した。「え、こんなに動いてるの!」とビックリする人も。
またひめトレを両手に持ったまま、手を前に伸ばしたり、首・顔・頭の上に持ってきたり、逆手に持ち替えたり、左右に並行移動させたり、目線だけ逆方向に向けたり、内腿にはさんでぐっとストレスをかけたりしながら、体幹や筋肉を鍛えていく。
「呼吸」も、背骨と同様に重要である。腕は胸郭に乗っているので、呼吸は腕の動きに密接に関わっているそうだ。決してお腹に力を入れるのではなく、第一肋骨まである肺の全体に息を入れ、すーっとはきながら弾くと、柔らかく流れるような音色になる。これもぜひ覚えておきたい。
「足裏」も見逃せないポイント!実はここが演奏時に大きく関わってくることが後で分かる。長井先生いわく「指先に何か起きたら、遠い場所を疑って下さい」。そこでまた二人一組になり、手を組んだまま引っ張り合いをして、足裏をぐっと床につけるエクササイズも行われた。
授業の後半は、一人一人今練習している曲の冒頭を弾いて、先生から一言ずつアドバイスが与えられた。長井先生は「音を聴いただけで骨格が見える」(!)そうで、一言一言が的確で、その通りに弾き直してみるとたしかに音が変わる。特に多く見受けられたアドバイスは、「足でしっかり支えるように」「内股になったり、ひざが不安定にならないように」「足指の角度を変える」「ひめトレの上に座って下半身をしっかり支え、あーっと声を出してみる」「呼吸を整える」など、足に関することが多かった。足がしっかり地についていれば、上半身をもっとリラックスさせて柔らかい演奏ができる。
意外と上半身だけで弾いてしまいがちだが、「いつも身体全体を見て下さい。それが心の安定にも繋がります」と締めくくられた。
長井先生はご自身のケガをきっかけに身体への関心が高まり、様々な学びを経て、ボディマッピングと出会ったそうだ。最近気になるのは、若年世代の身体機能が低下していること。
「昔は座った時の姿勢がそり気味の人が多く、またしっかり弾きすぎる傾向がありましたが、今は丸腰が多くて緩んでいます。体温も下がって、冷え性の子が多いですね。学生自身も『弾き出したら身体が上がってくる、浮ついてしまって下がらない』と自覚しているように、鍵盤に指がしっかりタッチできない現象が見受けられます。またバリアフリー化やトイレの洋式化など、世の中が身体にやさしくなり、日常生活の中で身体が育たなくなってきています。ですから授業ではスクワットなど、様々なエクササイズを採り入れています」。
そのような課題に取り組みつつ、実際の楽器演奏と連結させるための工夫がなされている。演奏するときに骨や筋肉がどう動いているのかを具体的に知覚してもらうために、長井先生はボディ・マッピングの理論をピアニスト用にアレンジ。「個々の動きだけでは伝わらないので、それがピアノのどの動きに繋がっているのかを伝えています。1限から約3時間の授業ですが、ほとんどの学生が続けて出席してくれて、皆の気持ちがだんだんと集中してきているのも感じられました。様々なエクササイズを通して、身体が変わったと実感してくれていれば嬉しいですね」。
学生自身、それぞれ大切な気づきがあったようだ。「ペダルの足の角度一つ変えるだけで音が変わったり、座り方を変えるだけで弾きにくい部分が弾きやすくなったり、またそれを他の曲にも応用できるようになりました。また普段の練習、緊張の克服、本番前の準備や食事の取り方、終演後の疲労回復法まで教えて頂いたので、とても勉強になりました」(松本悠里さん・1年)。
「楽器のメンテナンスはしますが、自分の身体のメンテナンスはあまりしていませんでした。でも疲れをきちんと取るようになって弾きやすくなりました。また演奏は指先だけでなく、身体全体のことだと気づきました」(渡邊礼華さん・2年)
身体への意識は世代によっても異なり、20歳以下の世代にはまた新たな変化を感じているという。初等・中等教育のあり方も大きく関連しているようだ。今後さらに、身体の研究は教育現場で活かされていくだろう。
- 今春、「ボディ・マッピングで快適な音楽ライフ!」開催予定。またボディ・マッピングに関する本の出版も予定されている
- 第1章:社会的観点から
はじめに 「社会は何を求め、音楽には何ができるのか」- 1.「表現する力」
表現したい本能は赤ちゃんから大人まで
表現様式を知った先にある世界 - 2.「文脈を読み解く力、創る力」
音楽家は優れた解読者でもある!?
体系的な学びは、他分野にも応用できる - 3.「本質を問う力」 リベラルアーツしての音楽~知識を知力に
リベラルアーツとしての楽器演奏~感覚を表現に
問いかけ体験して学ぶ、アクティブ・ラーニング - 4.「協働する力」 自分の役割を知り、他者とコラボレーションする
米大学AO入試で評価されることは
PISA世界学習到達調査に新たな指標 - 5.「世界とつながる力」
小さい頃から身につく異文化理解力・受容力
世界の音楽仲間に出会い、関わること
様々な世代と接すること - 6. 見えにくい力を評価すること
音楽や勉強での見えにくい力とは
音楽を含む全人的教育では、問いかけが鍵に
言葉になる以前の、感じる力
- 1.「表現する力」
表現したい本能は赤ちゃんから大人まで
- 第2章:歴史的観点から
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1. 古代・中世では、音楽を教養として
古代ギリシアの教養人=リラが弾ける人だった
中世では、音楽を大学教養課程として学んだ -
2. 近代では、音楽を専門&教養教育として(米)
ドイツからアメリカへ渡った音楽教育
ハーバード大でカリキュラム近代化・自由選択化へ -
3. 日本では、音楽を専門&師範教育として
日本に西洋音楽を導入したのは
近代から現代へ至る歴史の中で
大学音楽教育に音楽を取り入れる新たな動きも -
4. 民間が担ってきた教養としてのピアノ学習
指導者環境の変化によって、繋がり支え合う指導者
学習者環境の整備によって、動機づけが変わった
音楽環境はどんな学びの変化をもたらしたか -
3. 日本では、音楽を専門&師範教育として
日本に西洋音楽を導入したのは
近代から現代へ至る歴史の中で
大学教育に音楽を取り入れる新たな動きも -
4. 民間が担ってきた教養としてのピアノ学習
指導者環境の変化によって、繋がり支え合う指導者
学習者環境の整備によって、動機づけが変わった
音楽環境はどんな学びの変化をもたらしたか -
5. 専門と教養が融合する時~金子一朗さんインタビュー
1.音楽と数学はなにが似ているのか?
2.全員が弾く時代に、音楽の何を学ぶべき?
3.音楽・数学・歴史・全てを関連づけながら学ぶこと
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1. 古代・中世では、音楽を教養として
古代ギリシアの教養人=リラが弾ける人だった
- 第3章:脳科学的観点から
- 第4章:経済「音楽の見えない経済的価値とは?」
- 1. 暮らしの質全体を測るべき 日本国民は教養費・教育費にどれだけかけているか?
-
2. 自己成長~それは消費か投資か?
音楽を習う動機を7つに分類
人間には成長欲求がある
中高生・成人のステップ参加 - 3. 自己成長および社会との関係構築に
人間には繋がりたい欲求もある
社会への還元もステーション運営や社会貢献など
自己投資だと思える消費とは?自ら選び、自ら関わること -
4. 教養費を増やして医療費を軽減!?
教養・技能教育は1兆円、精神科病院は1.5兆円規模
高齢者×アートの取り組み、および社会的インパクト研究(英) -
5. 人的資本投資の21世紀~エコノミストに聞く
世界の新しい幸福度指標は「人」と「社会」
今現在の支出削減より、未来のための投資を -
6. 世界の文化費・教育費のトレンドは?
フランス×人間理解と能力開発
イギリス×全ての人にアートを&経済効果測定も
スウェーデン×民主主義社会の創造 -
7. 世界的に投資が進む人文学研究、音楽も力に
学際的研究が進むと、なぜヒューマニティーズが重要になるのか
ヒューマニティーズの音楽・芸術分野への応用
- 第5章:大学最新カリキュラム編
- はじめに
- 1. 音楽で思考法、実践力、創造力を養う~総合大学教養科目 慶應義塾大学~知識は実践してこそ!「身体知・音楽」
- 2. 音楽を深く学んだ社会人を育てる~総合大学音楽学部・音楽専攻
青山学院大学~芸術の学びを糧に社会へ
フェリス女学院大学~音楽が心にある豊かさ
金城学院大学~3タイプの音楽家像を想定して - 3. 音楽の可能性をさらに掘り下げて~音楽大学
音楽大学 その1「東京藝大~スーパーグローバル大学創成支援認定校に」
音楽大学 その2「東京音楽大学~演奏と作曲を同時に学ぶ」
音楽大学 その3「昭和音楽大学~博士課程&短大社会人コース」
番外編 音楽で思考法や創造力を養う~国際バカロレア東京学大付中高
- 第6章:ライフスタイル&ボディ編
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/