海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

今こそ音楽を!第5章 音楽大学3. 昭和音大「音大の資源を社会へ」

2015/12/15
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第5章:「大学最新カリキュラム編」
3
音楽の可能性をさらに掘り下げて
~音楽大学 その3
昭和音楽大学~博士課程&短大社会人コース

昭和音大では、芸術文化の未来を担う人材を育てるため、2014年に博士後期課程(以下「博士課程」と略称)を開設した。神奈川県内の高等教育機関では、音楽分野初の博士課程となる。どのような音楽家・研究者を育てることを目指しているのか。根木昭先生(音楽研究科長)、江口文子先生(博士研究指導教授)、加藤大樹さん(博士課程・音楽芸術表現専攻1年)にお話をお伺いした。


博士課程設置の経緯、研究テーマは?
なぜ博士課程を設置したのか
博士課程が開設された経緯、また履修カリキュラムを教えて頂けますか。

根木昭先生:世界的趨勢としてDMA(Doctor of Musical Arts)という世界共通の学位をもって演奏活動や音楽教育に携わることは、これからのステータスとして必要なのではと思います。その意味で、表現領域の博士課程の設置は必然の流れと考えてよいと思います。
また運営領域のアートマネジメントと音楽療法の各コースは、20年を経てようやく成熟期に入ってきたので、修士課程の上に博士課程を設置し、研究者として、また指導者として活動できる人を養成するのが目的です。

  • 音楽芸術専攻で領域が二つに分かれており、声楽・器楽演奏・作曲分野は表現領域、アートマネジメントや音楽療法は運営領域となる。

定員は4名ですが、現在は1年生が5名(表現領域3名、アートマネジメント1名・音楽療法1名)、2年生が5名(全員表現領域)です。履修カリキュラムとしては、音楽的素養を幅広く身につけてもらうため、14単位を必修にしています。中でも「音楽と学術研究特講」(選択科目・2単位)という領域横断科目は、各領域の教員・学生が集まってオムニバス方式で討論するという特殊な科目と位置づけています。「身体と音楽」「音楽と社会」など、様々なテーマを扱います。その上で、表現領域では研究演奏または研究作品(作曲の場合)と博士論文及び試験に、運営領域では博士論文及び試験に合格することが必要です。

博士課程の研究テーマ~演奏表現・ピアノ専攻
加藤さん(博士課程・音楽芸術表現専攻1年)はどのようなテーマで研究されていますか?

加藤大樹さん:私は現在、ベートーヴェンの最後の3つのピアノソナタ(Op.109,110,111)を取り上げ、それらを一連の作品として捉えた時に浮かび上がる作品像を、楽曲分析や、日記・会話帳といったベートーヴェン自身の言葉が記された資料をもとに研究をしています。幼い頃から、なぜベートーヴェンの音楽を聴くと、生命を揺さぶられるような希望に満ち溢れたエネルギーを感じるのか不思議でいました。それは彼の天性のものなのか、苦悩と葛藤の人生の故なのか。私にはベートーヴェンが、伝統的な西洋の考え方の枠組みでは捉え切れない突き抜けた何かを、彼の内部に成就していたように感じてなりません。その秘密を探りたいと考えています。

博士課程学生が集まってディスカッション
江口先生は加藤さんを学部・修士時代からご指導されてきて、博士課程の今をどのようにご覧になりますか?

江口文子先生:急速な時代の変化や伝達手段の多様化にともなってクラシック音楽に関わる私たちが今後どのように学び、伝えていくかということはとても重要なテーマだと思います。博士課程での3年間はこれまで積み重ねてきた研究の仕上げの時間であると共に自己の人格と音楽を確立していく時期だと思っています。加藤さんはこれまでコンサートやコンクールに費やす時間が多く、忙しい日々を送ってきたと思いますが、博士課程に入ってからは総合的に学ぶ時間が持てるようになったのではないでしょうか?昨日も博士課程の学生3人でディスカッションをしました(『音楽と学術研究特講』)。普段はなかなかじっくり話す機会がないので、そのような輪が出来てよかったと思います。

豊富な海外経験や日頃から先生や色々な方と接する中で、自分を客観視し、根源的なアイデンティティーに関心が向いてきたのですね(修士課程ではピアノ奏法研究)。その他の博士論文はいかがでしょうか。

根木先生:歌の学生では「オペラ史」「イタリアにおけるワーグナーの受容」「歌唱法」などがありますが、表現領域の学生は作品や作曲家を研究対象にすることが多いですね。アートマネジメントでは「地域オペラの振興」、音楽療法では「音楽療法士の専門職性」をテーマとしています。
博士課程は、第一義的には大学の研究者になって頂きたいのですが、最近では博士号を持って多くの方面で活動する人が増えてきています。たとえば国際機関やシンクタンク等で働くことも想定されますし、文化芸術支援団体のプログラムディレクターやプログラムオフィサーなどの新たな職種が出来つつあり、これらの分野での活躍も期待されます。


社会に向けて
アーカイブ事業など~研究成果をどう社会に生かす?
研究を深め、より調和の取れた社会創りの担い手として活躍される方が増えてきますね。大学と社会の繋がりという点では、何か新しい動きはありますでしょうか。

根木先生:博士課程の社会との繋がりはこれからの課題ですが、学術研究という面では、大学の付属研究所であるオペラ研究所が、研究活動の一環としてオペラ年鑑を作成しています(文化庁委託事業)。また、オペラ研究所とバレエ研究所は、アーカイブを構築中です(文科省助成事業・オンラインで一部公開中)。政府の「文化芸術の振興に関する基本的な方針(2012年)」によれば、アーカイブは一か所に集中させるのではなく、各学術機関が特色を出して分散設置という方針を示しています。本学はバレエやオペラ情報についてはアーカイブの拠点になりつつあります。それ以外にも、アートマネジメント研究所、音楽療法研究所、歌曲研究所、ピリオド研究所、音楽教育研究所があり、各専門分野のバックアップを目的として研究を推進していますが、音楽療法研究所などは、音楽療法を通じて社会と密接な関係を持っています。

シニアも続々学び舎に~短大「音楽と社会コース」
アーカイブ構築と研究は、今後ますます重要になりますね。ところで昭和音大短期大学部には「音楽と社会コース」があるのですね。

江口先生:「音楽と社会コース」はシニア世代の方が多く、在学生には70代後半の人生の大先輩もいらっしゃいます。通常は2年間で修了するカリキュラムを3~4年かけて学ぶこともできます(長期履修学生制度)。今年度は2名の方が入学されました。入試面接のときに志望理由をお伺いしたところ、「『音楽と社会』という名前が心に響きました。歌を学びたいので遠くても通います」とおっしゃっていました。感性が豊かで何をどのように学びたいかという目標もはっきりされていて素晴らしいと思いました。今後はぜひ現役の社会人の方にも学びにいらして頂きたいと思います。

根木先生:博士課程でも、アートマネジメント専攻の博士課程生は、新国立劇場研修所を修了し、1年の在外研修後、現在も二期会を中心に活動中で、地域オペラの振興をテーマとしています。また、音楽療法士として様々な施設で経験を積み、それを続けながら博士課程に入ってきた方もいます。特に運営領域では、社会人あるいは社会経験のある方が多いですね。大学院が、現役の人たちのブラッシュアップの場であるとすれば、「音楽と社会」コースは、一線を退いてもなお向学心に燃えるシニア世代の方たちの期待に応えるものとなっているようです。

やはり現場経験の中から、「もっと深く研究したい」「もっと現場を良くしていきたい」という気持ちが出てくるのでしょうね。またシニアでも学習・研究意欲に満ちた方がたくさんおられるので、このようなコースが全国的に増えるといいですね。
INDEX

菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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