今こそ音楽を!第4章 経済「世界的に投資が進む人文学研究、音楽も力に」(7)
各国には独自の教育体制や文化があるが、グローバル社会全体ではどうだろうか。今世界中で、学術情報アーカイブのオンライン化が急速に進み、国境を超えて、投資や人材が集まっている。その先駆けである米アンドリュー・メロン財団は、数十年かけて学術情報インフラを構築してきた(JStor, ARTStor)。その目的、経緯などはこちらをご覧頂きたい。
最近は研究者の情報交換や発表機会が増え、2008年に創設されたリサーチ・ゲート(Research Gate、本拠地ベルリン)には現在700万名を超える科学者・研究者が登録し、1900万点を超える論文等が公開されている。ビル・ゲイツ等が投資している。
また2008年に起ち上げられたアカデミア・エデュ(Academia.edu)には多分野の研究者・学者が集い、SNSにより活発に情報公開・交流が行われ、これまでに1770万ドル(約17億円)の投資を引き出している。
このように国境を超えて学術研究情報インフラが構築されることによって、多くの知が集積・共有され、そこから新たな命題を見出し、より高度で人類普遍的な研究が進められていく。また多様な分野が集まる場ではより普遍的なテーマが見出され、学際的研究が増えていく。(参考:「新しい知の表現」)
そこで今相対的な価値が高まっているのは、ヒューマニティーズ(Humanities、人文学)である。「人間とは何か」「人間とはどうあるべきか」という普遍的な問いかけがあるからだ。デジタル・ヒューマニティーズ学会も存在し(ヨーロッパ、日本、カナダ、オーストラリアなど)、デジタル人文学学術情報の有効活用、新たな研究法・教育法の模索、新しい社会的命題の発見などを、グローバル社会に発信している。2015年12月に台湾で開催される第6回国際会議では、「東アジア」がテーマになるそうだ。(参考資料)
では音楽・芸術分野では、ヒューマニティーズの考え方がどのように反映されているのだろうか。アメリカでは1年次に人文学や教養科目に力を入れている大学が多く、スタンフォード大学には音楽や芸術を題材にして人間の思想を考える科目、コロンビア大学に至っては"Music Humanities"という全学必修科目がある。
またフランスには、様々な音楽様式や形式(クラシック、ジャズ、シャンソン、ポップス、世界各国の民族音楽など)と様々なスタイル(コンサート・ミュージカル・劇・パントマイム・人形芝居など)を組み合わせた音楽教育プログラムがある。目的は音楽を通して「人生」を見せることだ。(「音楽劇を通して、日常とは違う世界の扉を開く」~子供の可能性を広げるアート教育vol.1)
「エンターテインメントや教育の要素だけではなく、生や死、愛・・・といった人生の様々な局面を見せることも大事だと思います。学校や家族に囲まれる日常生活とは、違う世界を垣間見せる入り口になりますね。それらは人生の一部であり、タブーではないのです。」
大学院でフランス近代文学を専攻したマリス・フランクさん(Cité de la Musique青少年プログラム主担当)は、そう語る。子どもにはあらゆる時代や形式の音楽、様々な感情や感覚を知ってほしい。それを感じて受けとめる能力が備わっているから―。このような考えにもとづき、Cité de la Musiqueでは年間20回の教育プログラムが行われている。
教育、環境、健康、経済、平和構築など世界共通課題に取り組む、ザルツブルグ・グローバルセミナーというグローバルリーダー育成組織がある。第二次世界大戦後にふたたび対話の場を持つことを目的として創設された。現在は「イマジネーション」「サステナビリティ」「社会的正義」をテーマに、あらゆる方面からの専門家や研究者を招聘し、フォーラムの開催や次世代育成などにあたっている。
「イマジネーション」部門では、音楽やアートで想像力を養う文化芸術プログラムがある。次世代文化リーダーが集まるヤング・カルチュラル・イノベーター・フォーラムでは、芸術の潜在力(社会変革を起こす力など)の認識を深め、様々なレベルでの文化交流を促し、リーダーとしての資質を高める。また政策決定の場において芸術の存在感を高めること、芸術が持続可能な経済発展や社会整備の推進力となるよう支援することも、このフォーラムが目指すところである。
ヤング・カルチュラル・リーダーズ・フェローのマーク・ギルスピー氏(Mark Gillespie, general and artistic manager of Orchestra of the Americas)は、音楽や芸術は自分の限界を広げ、それを超えることを助けてくれる、オーケストラも早い段階から若い世代と繋がることが必要だ、と話している。
この組織に投資するのは、オーストリア科学・研究・経済省を始め、ビル・ゲイツ財団、アンドリュー・メロン財団、ロックフェラー財団、ナイト財団などの米大手財団から、ドイツ、メキシコ、日本、韓国、香港などの各国銀行や政府組織、健康財団、ベルギー食糧危機財団、国際ホロコースト追悼連盟、国際美術館・図書館サービス機構などの国際組織、など多数である。またパートナーにはアメリカ、アフリカ、アジアなどの大学が名を連ねている。
地元ザルツブルグ音楽祭もパートナーの一員である。同音楽祭は第一次世界大戦後に分断されていたヨーロッパを再び結びつける目的で創設されたのであるから(参考:「世界大戦直後のヨーロッパで、人心を結びつけたザルツブルグ音楽祭」)、いわば同志である。
なお音楽祭は世界各国からの聴衆、グローバル企業協賛や地元からの寄付、公的資金(30%)で成り立っている。小国ながら政治的中立性を生かし、世界の知の拠点となっているのは注目に値する。
最近では、自身の思想や信条に基づき、国境を超えて人が結びつくようになっている。音楽や芸術の世界でも同様である(参考:「音楽コミュニティは国境を超えて深化する」)。たとえば1999年に中東で創設されたウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団(1999年~、ダニエル・バレンボイム&エドワード・サイード設立)はよく知られている。イスラエルとパレスチナの若手音楽家が同じステージで演奏することで、文化面から平和に貢献するという理念を掲げて活動している。現在もバレンボイム音楽監督をはじめ、懸命の努力がなされている。
また2009年にはイタリア人ホルン奏者アレッシオ・アレグリーニによって「人権のための音楽家オーケストラ」(Musicians for Human Rights Orchestra)が創設された。これまでにマリア・ジョアン・ピレス、エレーヌ・グリモーなどが共演している。同組織ではファンドを起ち上げ、人権侵害、人身売買、健康被害、などの問題を抱える国やコミュニティに寄付している。そしてこの組織にはユニセフ、国境なき医師団、国境なき音楽家などの組織が協賛している。
人間とは何か、人間としてどう生きたらよいか、という問いかけを発する時。時に道徳は国や社会の意向や規範が反映されやすいが、ヒューマニティーズ(人文学)は人間を多面的に探究する普遍的な学びである。音楽も、そのひとつなのである。
- 第1章:社会的観点から
はじめに 「社会は何を求め、音楽には何ができるのか」- 1.「表現する力」
表現したい本能は赤ちゃんから大人まで
表現様式を知った先にある世界 - 2.「文脈を読み解く力、創る力」
音楽家は優れた解読者でもある!?
体系的な学びは、他分野にも応用できる - 3.「本質を問う力」 リベラルアーツしての音楽~知識を知力に
リベラルアーツとしての楽器演奏~感覚を表現に
問いかけ体験して学ぶ、アクティブ・ラーニング - 4.「協働する力」 自分の役割を知り、他者とコラボレーションする
米大学AO入試で評価されることは
PISA世界学習到達調査に新たな指標 - 5.「世界とつながる力」
小さい頃から身につく異文化理解力・受容力
世界の音楽仲間に出会い、関わること
様々な世代と接すること - 6. 見えにくい力を評価すること
音楽や勉強での見えにくい力とは
音楽を含む全人的教育では、問いかけが鍵に
言葉になる以前の、感じる力
- 1.「表現する力」
表現したい本能は赤ちゃんから大人まで
- 第2章:歴史的観点から
-
1. 古代・中世では、音楽を教養として
古代ギリシアの教養人=リラが弾ける人だった
中世では、音楽を大学教養課程として学んだ -
2. 近代では、音楽を専門&教養教育として(米)
ドイツからアメリカへ渡った音楽教育
ハーバード大でカリキュラム近代化・自由選択化へ -
3. 日本では、音楽を専門&師範教育として
日本に西洋音楽を導入したのは
近代から現代へ至る歴史の中で
大学音楽教育に音楽を取り入れる新たな動きも -
4. 民間が担ってきた教養としてのピアノ学習
指導者環境の変化によって、繋がり支え合う指導者
学習者環境の整備によって、動機づけが変わった
音楽環境はどんな学びの変化をもたらしたか -
3. 日本では、音楽を専門&師範教育として
日本に西洋音楽を導入したのは
近代から現代へ至る歴史の中で
大学教育に音楽を取り入れる新たな動きも -
4. 民間が担ってきた教養としてのピアノ学習
指導者環境の変化によって、繋がり支え合う指導者
学習者環境の整備によって、動機づけが変わった
音楽環境はどんな学びの変化をもたらしたか -
5. 専門と教養が融合する時~金子一朗さんインタビュー
1.音楽と数学はなにが似ているのか?
2.全員が弾く時代に、音楽の何を学ぶべき?
3.音楽・数学・歴史・全てを関連づけながら学ぶこと
-
1. 古代・中世では、音楽を教養として
古代ギリシアの教養人=リラが弾ける人だった
- 第3章:脳科学的観点から
- 第4章:経済「音楽の見えない経済的価値とは?」
- 1. 暮らしの質全体を測るべき 日本国民は教養費・教育費にどれだけかけているか?
-
2. 自己成長~それは消費か投資か?
音楽を習う動機を7つに分類
人間には成長欲求がある
中高生・成人のステップ参加 - 3. 自己成長および社会との関係構築に
人間には繋がりたい欲求もある
社会への還元もステーション運営や社会貢献など
自己投資だと思える消費とは?自ら選び、自ら関わること -
4. 教養費を増やして医療費を軽減!?
教養・技能教育は1兆円、精神科病院は1.5兆円規模
高齢者×アートの取り組み、および社会的インパクト研究(英) -
5. 人的資本投資の21世紀~エコノミストに聞く
世界の新しい幸福度指標は「人」と「社会」
今現在の支出削減より、未来のための投資を -
6. 世界の文化費・教育費のトレンドは?
フランス×人間理解と能力開発
イギリス×全ての人にアートを&経済効果測定も
スウェーデン×民主主義社会の創造 -
7. 世界的に投資が進む人文学研究、音楽も力に
学際的研究が進むと、なぜヒューマニティーズが重要になるのか
ヒューマニティーズの音楽・芸術分野への応用
- 第5章:大学最新カリキュラム編
- はじめに
- 1. 音楽で思考法、実践力、創造力を養う~総合大学教養科目 慶應義塾大学~知識は実践してこそ!「身体知・音楽」
- 2. 音楽を深く学んだ社会人を育てる~総合大学音楽学部・音楽専攻
青山学院大学~芸術の学びを糧に社会へ
フェリス女学院大学~音楽が心にある豊かさ
金城学院大学~3タイプの音楽家像を想定して - 3. 音楽の可能性をさらに掘り下げて~音楽大学
音楽大学 その1「東京藝大~スーパーグローバル大学創成支援認定校に」
音楽大学 その2「東京音楽大学~演奏と作曲を同時に学ぶ」
音楽大学 その3「昭和音楽大学~博士課程&短大社会人コース」
番外編 音楽で思考法や創造力を養う~国際バカロレア東京学大付中高
- 第6章:ライフスタイル&ボディ編
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/