今こそ音楽を!第4章 経済「世界の文化費・教育費のトレンドは?」(6)
文化費・教育費には、その国が人や社会をどう捉えているのかがよく表れている。パリに本部を置くユネスコは、「2030年までに公正で包括的な教育と全ての人のための生涯教育を達成すること」を掲げ、各国GDPの4~6%、または公共事業の15~20%を教育に割り当てることを目標にしている(UNESCO POST-2015 INDICATORS)。
では、各国の文化費(および教育費)のトレンドはどうだろうか?フランス、イギリス、スウェーデンの事例をご紹介する。
国家予算の文化費に占める割合が高いことで知られるフランス。これまで、芸術の理論的研究=大学=高等教育・研究省管轄、芸術の実践=専門学校=文化・コミュニケーション省と、管轄機関が分離していた。しかし近年では、教育と文化、理論と実践の歩み寄りがみられる。大学と専門学校の連携や大学院課程再編により、より包括的で学際的な芸術教育・研究を行うようになっているようだ。
一例としてパリ国立高等音楽院とソルボンヌ大学の連携、IRCAM(フランス国立音響音楽研究所)とパリ第六大学との連携などがある。そしてこの動きを象徴するのが、2011年にパリ高等音楽院を含む13の高等教育機関が共同設立した研究大学である(Paris Sciences et Lettre, PSL、現在メンバーは22校、高等教育・研究省管轄)。107の研究室、3,200名の研究者(ノーベル物理学賞、化学賞、文学賞、生理学・医学賞、経済学賞受賞者などを含む)、18,500名の学生、300万点の文献資料、50万点の文化財などを有している。目的は、異なる分野を連携させること、イノベーションと創造力を活性化させること、フランスや世界中の才能を惹きつけ、新しい才能を生み出すこと、そして研究こそが経済活性化の真の要因となること、としている。
その中に、学際的に芸術を研究する博士課程も創設された(Science Art Création Récherche, SACRe)。対象となるのは音楽家、映画監督、芸術監督、俳優、デザイナー、ビジュアル・アーティスト、人文学、社会科学、科学などの研究者など。芸術の理論・実践両面を重視しつつ、分野をまたぎながら、新しい枠組みで研究を行うものである。その成果はこれから出てくるだろう。
では、この研究大学はどのような文脈で生まれたのか?
フランスでは2010年サルコジ政権下において「将来への投資」プログラムをスタートさせ、科学技術分野から教育分野に至るまで、国全体のイノベーションを喚起させるための投資を行っている。その一環として高等教育システム再編・研究分野の活性化をめざした"エクセレンス・イニシアティブ"が据えられ、63.5 億ユーロ(約8,890億円)が投資された。現在までPSLを含む8つのプロジェクトが採択され、それぞれ7 ~8 億ユーロ(約980億~1120億円)が投資されている。(『カントリーレポート~フランス』p20、ストラスブール研究連絡センター、2015年)
なお「将来への投資」プログラムには、学生の起業家促進計画も含まれており、若年世代の能力開発を促し、社会へ生かすことが期待されている。GDPに対する総研究費の割合は2.26%で、EU平均を上回る(前掲書p1)。
こうした一連の動きには、人間性をより俯瞰的にとらえ、人間の能力をより多面的・包括的に高めて、社会を活性化するという期待が伺える。フランスにおける芸術の学術的研究・実践はヒューマニティーズを踏まえたもの、との見方もある。(p43, Efva Lilja "ART, RESEARCH, EMPOWERMENT, On the Artist as Researcher")。人間にとって芸術とは何か、人の営みとしての芸術に投資する、そんな思いが見えてくる。
英国では芸術作品や文化遺産などの文化資源がすべての人に行き渡ること、芸術によって人と人を繋ぐこと、文化資源がもつ価値を最大限に引き出して社会にインパクトをもたらすこと、芸術によって雇用を生み出すこと、芸術の社会的・経済的価値を明らかにすること等、芸術の有意義な生かし方を模索している。
その一つとして、アーツカウンシル(文化・メディア・スポーツ省傘下)では2010年~2020年の文化戦略10カ年計画を策定した。「すべての人に素晴らしい芸術を(Achieving Great Art and Culture for Everyone,2010)」プロジェクトでは、2012~2015年で10億ポンド(約1,940億円)の投資が約束されている。また2012年度五輪文化プログラム(Cultural Olympiad)には3600万ポンド(約69.8億円)が投資され、その結果、5370点の芸術作品および委嘱作品が、40,464名のアーティストによって創出されたことが報告された。うち6160名が新人、806名が障がい者である(Arts Council England's 10-year strategic framework, 2010-2020より)。2020年までに達成したい点として、芸術をとおして人と人を繋げること、地方公共団体や民間セクターとのパートナーシップを構築すること、レジリエンスのある社会を築くこと、などが挙げられている。
英国では芸術の社会的・経済的価値に対する認識を深め、公的資金を有意義に効率よく生かすために、大学や各種研究機関と提携した効果測定も積極的に行われている(参考:第4章 第4回記事)。たとえば英国内美術館の経済的効果を測定した2015年度報告書によれば、美術館は国内経済に14.5億ポンド(約2813億円)の貢献をし、38,165名の雇用を創出し、公的助成1ポンドに対して3ポンドの収益を生んだ、と述べている。その実績を踏まえ、新たに1750万ポンド(約33.9億円)の投資を行うことを発表している。
またファンドレイジングスキル向上への取り組みも盛んである。たとえばアート・ファンドレイジング&フィランソロピー協会では、リーズ大学と連携して、大学院レベルのサーティフィケートを授与している。これは同大ビジネススクールとパフォーマンス・文化産業スクールが共同開発した新しいコースで、修了後、アーツマネジメントや文化リーダーシップを学ぶ修士課程へとキャリアを発展させることもできる。(Arts Fundraising & Philanthropyより)
なお、文化と教育の歩み寄りは英国でも見られる。英国全土の児童や学生を対象に、歌や楽器指導を行うミュージック・エデュケーション・ハブ・プログラム(Music Education Hubs)は、まさに教育省からの投資である(2015~16年度は7,500万ポンド)。
スウェーデン文化省は、文化、メディア、民主主義、人権、マイノリティ、サーミ族の言語と文化保護、また差別撲滅運動、市民社会構築、宗教なども取り仕切る。現文化大臣アリス・バー・クーンケ(Alice Bah Kuhnke)は、「アートは自由のある場所にしか生まれず、また存在することができない」という信念から、文化的生活の独立性を目指し、他の政策分野と協力しながら文化政策を進めていきたいとしている。
文化省は以下5つの課に分かれている。
- 芸術・海外コーディネート課
(Division for the Arts and International Coordination) - 文化遺産と生活環境課(Division for Cultural Heritage and Living Environment)
- メディアと映画課(Division for Media and Film)
- 民主主義と市民社会課(Division for Democracy and Civil Society)
- 差別問題課(Division for Discrimination Issues)
中でも、民主主義と市民社会づくり(Division for Democracy and Civil Society)を文化政策として掲げるのは世界でも珍しいかもしれない。内容としては、たとえば選挙の透明性、影響力、政治参加の確保、民主主義の認識、暴力的な過激派から民主主義を守ること、市民社会における組織に対する政府助成のコーディネート、市民社会の研究と統計調査を通じた知識普及、等がある。文化政策分析機関(The Swedish Agency for Cultural Policy Analysis)があり、専門家による文化政策評価、分析、効果測定などが行われている。
なお2015年度政府予算では、創造性、社会参加、ダイバーシティの強化を目指している(Government's Spring Fiscal Policy Bill 2015)。その一つが、クリエイティブ・スクール・イニシアティブで、SEK 1000万(約1.5億円)が割り当てられた。これは幼少期からアートに触れ、創造活動をとおして成長する場を提供するプログラムで、プレスクールの文化的環境を高めることを目指している。対象となるのはすべての義務教育校で、州立および私立学校ともに適用される。2008~2014年までに累計SEK1億7300万(約25.9億円)が拠出され、2016~2018年にはさらに助成が増える予定である。
スウェーデン文化大臣は海外に向けても積極的に発信しており、「文化は持続可能な民主的社会を築くのに欠かせないものであり、そこではすべての人が耳を傾けてもらい、話を聞いてもらう場がある」とスピーチした(2015年度ISPA国際会議にて)。
このスウェーデンの動きは、我々にも多くの示唆を投げかけてくれる。
- 第1章:社会的観点から
はじめに 「社会は何を求め、音楽には何ができるのか」- 1.「表現する力」
表現したい本能は赤ちゃんから大人まで
表現様式を知った先にある世界 - 2.「文脈を読み解く力、創る力」
音楽家は優れた解読者でもある!?
体系的な学びは、他分野にも応用できる - 3.「本質を問う力」 リベラルアーツしての音楽~知識を知力に
リベラルアーツとしての楽器演奏~感覚を表現に
問いかけ体験して学ぶ、アクティブ・ラーニング - 4.「協働する力」 自分の役割を知り、他者とコラボレーションする
米大学AO入試で評価されることは
PISA世界学習到達調査に新たな指標 - 5.「世界とつながる力」
小さい頃から身につく異文化理解力・受容力
世界の音楽仲間に出会い、関わること
様々な世代と接すること - 6. 見えにくい力を評価すること
音楽や勉強での見えにくい力とは
音楽を含む全人的教育では、問いかけが鍵に
言葉になる以前の、感じる力
- 1.「表現する力」
表現したい本能は赤ちゃんから大人まで
- 第2章:歴史的観点から
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1. 古代・中世では、音楽を教養として
古代ギリシアの教養人=リラが弾ける人だった
中世では、音楽を大学教養課程として学んだ -
2. 近代では、音楽を専門&教養教育として(米)
ドイツからアメリカへ渡った音楽教育
ハーバード大でカリキュラム近代化・自由選択化へ -
3. 日本では、音楽を専門&師範教育として
日本に西洋音楽を導入したのは
近代から現代へ至る歴史の中で
大学音楽教育に音楽を取り入れる新たな動きも -
4. 民間が担ってきた教養としてのピアノ学習
指導者環境の変化によって、繋がり支え合う指導者
学習者環境の整備によって、動機づけが変わった
音楽環境はどんな学びの変化をもたらしたか -
3. 日本では、音楽を専門&師範教育として
日本に西洋音楽を導入したのは
近代から現代へ至る歴史の中で
大学教育に音楽を取り入れる新たな動きも -
4. 民間が担ってきた教養としてのピアノ学習
指導者環境の変化によって、繋がり支え合う指導者
学習者環境の整備によって、動機づけが変わった
音楽環境はどんな学びの変化をもたらしたか -
5. 専門と教養が融合する時~金子一朗さんインタビュー
1.音楽と数学はなにが似ているのか?
2.全員が弾く時代に、音楽の何を学ぶべき?
3.音楽・数学・歴史・全てを関連づけながら学ぶこと
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1. 古代・中世では、音楽を教養として
古代ギリシアの教養人=リラが弾ける人だった
- 第3章:脳科学的観点から
- 第4章:経済「音楽の見えない経済的価値とは?」
- 1. 暮らしの質全体を測るべき 日本国民は教養費・教育費にどれだけかけているか?
-
2. 自己成長~それは消費か投資か?
音楽を習う動機を7つに分類
人間には成長欲求がある
中高生・成人のステップ参加 - 3. 自己成長および社会との関係構築に
人間には繋がりたい欲求もある
社会への還元もステーション運営や社会貢献など
自己投資だと思える消費とは?自ら選び、自ら関わること -
4. 教養費を増やして医療費を軽減!?
教養・技能教育は1兆円、精神科病院は1.5兆円規模
高齢者×アートの取り組み、および社会的インパクト研究(英) -
5. 人的資本投資の21世紀~エコノミストに聞く
世界の新しい幸福度指標は「人」と「社会」
今現在の支出削減より、未来のための投資を -
6. 世界の文化費・教育費のトレンドは?
フランス×人間理解と能力開発
イギリス×全ての人にアートを&経済効果測定も
スウェーデン×民主主義社会の創造 -
7. 世界的に投資が進む人文学研究、音楽も力に
学際的研究が進むと、なぜヒューマニティーズが重要になるのか
ヒューマニティーズの音楽・芸術分野への応用
- 第5章:大学最新カリキュラム編
- はじめに
- 1. 音楽で思考法、実践力、創造力を養う~総合大学教養科目 慶應義塾大学~知識は実践してこそ!「身体知・音楽」
- 2. 音楽を深く学んだ社会人を育てる~総合大学音楽学部・音楽専攻
青山学院大学~芸術の学びを糧に社会へ
フェリス女学院大学~音楽が心にある豊かさ
金城学院大学~3タイプの音楽家像を想定して - 3. 音楽の可能性をさらに掘り下げて~音楽大学
音楽大学 その1「東京藝大~スーパーグローバル大学創成支援認定校に」
音楽大学 その2「東京音楽大学~演奏と作曲を同時に学ぶ」
音楽大学 その3「昭和音楽大学~博士課程&短大社会人コース」
番外編 音楽で思考法や創造力を養う~国際バカロレア東京学大付中高
- 第6章:ライフスタイル&ボディ編
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/