今こそ音楽を!第4章 経済「自己成長~それは消費か投資か?」(2)
人は「成長したい」という欲求が、幸福感に密接に関わっていると研究で明らかにされている。そして「成長できそうだ」と感じるところに投資をするという心理が働く。ピアノ学習においては「演奏が上達する」以外にも多くの成長や幸福を感じられる時間・場所・経験がある。その指標の多様さに触れながら、幸福感・成長への投資がいかに個人の生産性を上げていくのかを考えたい。まず、「なぜ音楽(ピアノ)を習うのか?」、考えられる主な動機を7つに分類してみた。
第一の動機 | 根源的な動機 | |
---|---|---|
A | 音楽が好きだから | 音楽への根源的欲求(音楽への関心、欲求) |
B | 自分の表現能力や美意識を高めたい | 非言語表現力・演奏技能・創造力の向上(楽器演奏、リトミック等を通した自己表現) |
C | 勉強以外の趣味、達成意欲や目標ができる | 生活・行動規範の確立 (学習法、日々の練習、音楽聴取の習慣、目標達成術) |
D | 美しい、楽しい、心が安らぐ、信頼できる、心が開放される | 行動・知覚領域の拡大(ピアノ教室へ通うこと、学校以外に自分を表現できる空間を持つこと) |
E | 音楽仲間ができる、音楽を一緒に演奏したり意見交換したい | 帰属共同体の拡大+他者交流(アンサンブルの実践、イベントやSNSを通して音楽を人と共有したい) |
F | ピアノを上手に弾いて、褒められたい、社会に認められたい | 社会的認知の拡大+他者承認(コンクール出場、コンサート出演、学校での演奏、内申書など) |
G | 音楽を専門的に学び、未来世代に伝えたい、育てたい | 社会的認知の拡大+他者への還元(ピアノ演奏家、指導者、作曲家等として、他人に音楽を提供したい) |
動機が重複したり、途中で入れ替わることもある。「本当はこれがしたかったんだ・・!」と自分で認識していない欲求が顕在化することもあるだろう。たとえば・・・
- 最初は友達が欲しかったが、音楽そのものに目覚めた(E→A)
- ただ音楽を楽しむだけでなく、他の人に教えたくなった(D→G)
- ピアノ教室や先生も好きだし、他の人と連弾もしたい(D+E)
- 音楽が大好きだから、一生懸命練習して上手になって、コンクールにも出てみたい(A+C+F)
根源的な動機が満たされれば、成長や幸福を感じる。そして動機が増えるほどその世界全体との関わりは深くなる。 一方、予期したような成果が出ないと、その他でいかに良い変化が見られても、「失敗した」ことになりがち。目に見える結果(Fなど)が優先されがちだが、結果がすぐに見えないものの価値も認識することが大切である(A~E)。フォーカシング・イリュージョンに陥らないように。(参考⇒第3章)
総務省統計局の「生活行動に関する調査」によれば、1年間に「学習・自己啓発・訓練」を行った人は4017 万人,10歳以上人口に占める割合は 35.2%となっている。行動者率は男性が34.3%,女性が36.1%で、その目的は男女ともに「自分の教養を高めるため」が最も高い(p5)。(参考PDF)
成長したいと思う部分に時間とお金をかけることは、消費活動でありながら、自分への投資行為ともいえる。上記の7つの動機から、自分自身の成長に対する部分はA~Dにあたる。
米心理学者アブラハム・マズローは5段階欲求階層説で知られているが、さらに7段階に分けて、「生理的欲求」⇒「安全欲求」⇒「愛情と所属の欲求」⇒「承認の欲求」⇒「認知の欲求」⇒「審美的欲求」⇒「自己実現欲求」とした。これによると他人による承認を得た後は、認知欲求(知ること、探究すること)、審美的欲求(調和や美しさを求めること)を経て、自己実現に至る。つまり他人と繋がっている安心感や愛されている実感を得ると、今度は自己探求に向かう。そして内なる自分との調和を見出したり、より美しいものに惹かれることでより高みをめざし、最終的には「これこそ自分の道」というアイデンティティや社会的使命などを見出す。低次の欲求が満たされれば高次の欲求に移るとされるが、そう単純なものではないにしても、分かりやすいモデルである。これに照らし合わせると、上記A~Dは認知欲求や審美的欲求になるだろう。
この循環を生み出しているシステムのひとつとして、ピティナ・ピアノステップを分析してみたい。2014年度のステップ延べ参加人数は過去最高の43,795人、また年間開催地区数も517と過去最高を更新し、1997年ステップ開始以来の延べ地区数も5,000を超えた。今や伝統的コンクールをしのぐ勢いで参加者が増え続けている。それは一体なぜなのか?(参照記事)
そこには人生を豊かにする互恵的発展モデルがあるからだと考えられる。たとえばフリーステージ10分のステージ出演をした場合(一般13,500円、指導者割引12,500円、会員割引11,500円)、以下のようなプロセスがある。
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- ステージ出演という目標を立て、曲を決める
- ステージ出演までの練習&レッスン
- ステージでピアノ演奏
- アドバイザーから客観的評価、学習プロセスの検証
- アドバイザーによるトークコンサートや模範演奏
- 他の参加者・他教室との交流、コミュニケーションシート交流
- 継続表彰
- パスポートへの記録、継続努力の自己承認
- 教室外(学校など)での表彰・発表など
- さらなる高い目標への挑戦
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過去10年で継続参加者数が倍増しているのは、年2回以上受ける人が増えたことも大きな要因だ。これは継続そのものが社会的評価を受けること、また継続による自己成長が十分認識されているからと思われる。これを繰り返しているうちに「自分を承認する」という自己成長サイクルに入る。実際ステップから参加し始め、後にコンクールに挑戦する人が毎年5000名ほどいるとのことだ。
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コンクールの方では、大人のグランミューズ参加者数がここ10年で2倍以上に増えている。シニア層も増えているが、その背景として「積極的自由時間」の増加が考えられる。2006年と2011年を比較すると、60代はやや微減しているものの、70代は微増傾向にある。逆に「休養・くつろぎ時間」は60代以降で減少している(総務省「社会生活基本調査生活時間に関する結果」平成 23 年版、p22)。自由時間をより有意義に活用しようという意思が垣間見える。会社を現役引退してもまだまだ身体的にも精神的にも十分な活力を持ち、学ぶ意欲が高い方も多い。リカレント教育(社会人教育、社会人再入学、など)が広まって久しいが、最近では音楽大学に社会人講座だけでなく学士号コースもある。詳しくは第5章で述べる。
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- 第1章:社会的観点から
はじめに 「社会は何を求め、音楽には何ができるのか」- 1.「表現する力」
表現したい本能は赤ちゃんから大人まで
表現様式を知った先にある世界 - 2.「文脈を読み解く力、創る力」
音楽家は優れた解読者でもある!?
体系的な学びは、他分野にも応用できる - 3.「本質を問う力」 リベラルアーツしての音楽~知識を知力に
リベラルアーツとしての楽器演奏~感覚を表現に
問いかけ体験して学ぶ、アクティブ・ラーニング - 4.「協働する力」 自分の役割を知り、他者とコラボレーションする
米大学AO入試で評価されることは
PISA世界学習到達調査に新たな指標 - 5.「世界とつながる力」
小さい頃から身につく異文化理解力・受容力
世界の音楽仲間に出会い、関わること
様々な世代と接すること - 6. 見えにくい力を評価すること
音楽や勉強での見えにくい力とは
音楽を含む全人的教育では、問いかけが鍵に
言葉になる以前の、感じる力
- 1.「表現する力」
表現したい本能は赤ちゃんから大人まで
- 第2章:歴史的観点から
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1. 古代・中世では、音楽を教養として
古代ギリシアの教養人=リラが弾ける人だった
中世では、音楽を大学教養課程として学んだ -
2. 近代では、音楽を専門&教養教育として(米)
ドイツからアメリカへ渡った音楽教育
ハーバード大でカリキュラム近代化・自由選択化へ -
3. 日本では、音楽を専門&師範教育として
日本に西洋音楽を導入したのは
近代から現代へ至る歴史の中で
大学音楽教育に音楽を取り入れる新たな動きも -
4. 民間が担ってきた教養としてのピアノ学習
指導者環境の変化によって、繋がり支え合う指導者
学習者環境の整備によって、動機づけが変わった
音楽環境はどんな学びの変化をもたらしたか -
3. 日本では、音楽を専門&師範教育として
日本に西洋音楽を導入したのは
近代から現代へ至る歴史の中で
大学教育に音楽を取り入れる新たな動きも -
4. 民間が担ってきた教養としてのピアノ学習
指導者環境の変化によって、繋がり支え合う指導者
学習者環境の整備によって、動機づけが変わった
音楽環境はどんな学びの変化をもたらしたか -
5. 専門と教養が融合する時~金子一朗さんインタビュー
1.音楽と数学はなにが似ているのか?
2.全員が弾く時代に、音楽の何を学ぶべき?
3.音楽・数学・歴史・全てを関連づけながら学ぶこと
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1. 古代・中世では、音楽を教養として
古代ギリシアの教養人=リラが弾ける人だった
- 第3章:脳科学的観点から
- 第4章:経済「音楽の見えない経済的価値とは?」
- 1. 暮らしの質全体を測るべき 日本国民は教養費・教育費にどれだけかけているか?
-
2. 自己成長~それは消費か投資か?
音楽を習う動機を7つに分類
人間には成長欲求がある
中高生・成人のステップ参加 - 3. 自己成長および社会との関係構築に
人間には繋がりたい欲求もある
社会への還元もステーション運営や社会貢献など
自己投資だと思える消費とは?自ら選び、自ら関わること -
4. 教養費を増やして医療費を軽減!?
教養・技能教育は1兆円、精神科病院は1.5兆円規模
高齢者×アートの取り組み、および社会的インパクト研究(英) -
5. 人的資本投資の21世紀~エコノミストに聞く
世界の新しい幸福度指標は「人」と「社会」
今現在の支出削減より、未来のための投資を -
6. 世界の文化費・教育費のトレンドは?
フランス×人間理解と能力開発
イギリス×全ての人にアートを&経済効果測定も
スウェーデン×民主主義社会の創造 -
7. 世界的に投資が進む人文学研究、音楽も力に
学際的研究が進むと、なぜヒューマニティーズが重要になるのか
ヒューマニティーズの音楽・芸術分野への応用
- 第5章:大学最新カリキュラム編
- はじめに
- 1. 音楽で思考法、実践力、創造力を養う~総合大学教養科目 慶應義塾大学~知識は実践してこそ!「身体知・音楽」
- 2. 音楽を深く学んだ社会人を育てる~総合大学音楽学部・音楽専攻
青山学院大学~芸術の学びを糧に社会へ
フェリス女学院大学~音楽が心にある豊かさ
金城学院大学~3タイプの音楽家像を想定して - 3. 音楽の可能性をさらに掘り下げて~音楽大学
音楽大学 その1「東京藝大~スーパーグローバル大学創成支援認定校に」
音楽大学 その2「東京音楽大学~演奏と作曲を同時に学ぶ」
音楽大学 その3「昭和音楽大学~博士課程&短大社会人コース」
番外編 音楽で思考法や創造力を養う~国際バカロレア東京学大付中高
- 第6章:ライフスタイル&ボディ編
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/