今こそ音楽を!第4章 経済「暮らしの質全体を測るべき」(1)
この章では、主に音楽を習う人について「なぜ音楽(ピアノ)学習にお金を払うのか」そこにどのような価値を見出しているのか、それは産業全体からみるとどんな意味があるのかについて考えてみたい。
国民総生産GDPは、生産活動を通して生まれる物やサービスの総額であり、国の経済力を測る上で欠かせない指標である。しかし、金銭で換算されていない価値もあるのではないか、国の力を経済指標だけで測るべきなのか、経済力が高まれば幸せになるのか・・?
様々な議論の中、2008年にフランスのサルコジ元大統領はある提言をした。もし余暇時間をスポーツや文化などの非市場活動へ充てることに何の経済的価値も見いだせないと言うなら、それは人間の潜在能力実現よりも高生産性を優先するという意味であり、ヒューマニズムの原則に反する、と述べたのである。(参照:『暮らしの質を測る~経済成長率を超える幸福度指標の提案』スティグリッツ他著・福島清彦訳、2012年、p8)
これを受けて、ジョセフ・スティグリッツ米コロンビア大学教授(2001年ノーベル経済学賞受賞者)などが『超GDP報告書』を著し、全世界の経済学者や政治家等に影響を与えた。
超GDPとはGDPを補足する概念で、暮らしの質全体を測る指標である。スティグリッツの訳書もある福島清彦氏(経済学者・立教大学経済学部特任教授)は、超GDP時代の主要資本は「目に見えず常に変動する人的資本、組織内資本(人とのつながり)」であり、金銭も大事だが、文化活動や人とのつながりをもっと大切にするという方向へ価値観がシフトするかもしれないとしている。
私たちはどんなライフスタイルで生きているのだろうか。総務省の定義によれば3つの活動に分類される。(平成 23年度社会生活基本調査より)
1次活動 | 睡眠や食事などの生理的に必要な活動 |
---|---|
2次活動 | 仕事や家事など社会生活を営む上で義務的な性格の強い活動 |
3次活動 | 1次・2次活動以外で各人が自由に使える時間における活動 |
全体的な傾向としては若年世代を除いて、2次活動が減少し、3次活動が増えている。ワークライフバランスが見直されてきている証だろうか。特に過去25年間でこの3次活動の増加は顕著で、1986年5.47時間→2011年6.27時間に増加した。つまり全体の4分の1以上が余暇・自由時間に割り当てられている(「男女、年齢階級、行動の種類別生活時間?週全体」/平成 23 年度社会生活基本調査p5)。
余暇時間は暮らしの質全体に影響する。現在グローバル規模で開発が進んでいる「客観的幸福度」を測る8項目*の中に、“人々が起きている時間をどの活動に、どのような優先順位で、どのような比率で割り当てているのか”を評価する指標があり、余暇時間も重要とみなされている(『国富論から幸福論へ』福島清彦著p89参照) 。余暇時間には個人の内面を充実化させ、中長期的に生活の質を上げる力がある。
- 健康、教育、個人的諸活動、政治への発言と統治、社会的なつながり、環境条件、個人の身の安全、経済的な不安定感。上記は個人的諸活動にあたる(主観的幸福度については第3章をご参照頂きたい)。
では、ピアノを学ぶ若年世代の余暇時間について詳しく見てみよう。学習・自己啓発・訓練(学業以外),趣味・娯楽,スポーツ及びボランティア活動・社会参加活動は「積極的自由時間活動」にあたり、2011年度は10~14歳は2.23時間、15~19歳は2.18時間で、1日の10%弱を占める。「ピアノや音楽を習う」はこのカテゴリに分類されるとする。
この時間にどの程度教養費が費やされているだろうか? 文部科学省による子供の学習費調査(平成24年度版)では、「その他の学校外活動費」として芸術文化活動への活動費が多いという結果が出ている。調査によれば、1年間で"公立小学校では35,000円,私立小学校97,000円"となっている。学年別にみると、最も多いのは私立小学校3年の約106,000円である。これをさらに世帯年間収入別に表したのが、右のグラフである(参照:『子供の学習費調査』p24「世帯の年間収入別・学校種別その他の学校外活動費」より。幼稚園から高校までの事例が掲載されている)
「音楽(ピアノ)を学ぶこと」は学外の芸術文化活動のひとつとして、教養娯楽費と見るか、教育費の延長と見るかは個人差があるだろう。これは平均値であるから、収入や家計方針次第で、もっと多い世帯や少ない世帯があることは言うまでもない。国や文化によっても違うだろう。3次活動の捉え方は自由裁量であるがゆえ、最も個人差が表れる部分だ。
1次活動の食費や光熱費等のように短期的ニーズを満たすものとは異なり、3次活動の教養・文化芸術活動はより中長期的に人を内側から変える力をもつ。そして将来生産や創造などに関わる2次活動の担い手になったとき、その潜在的能力が大きな力を発揮するかもしれない。そうした潜在価値を考慮すると、消費ではなく将来への投資と言えるだろう。
- 第1章:社会的観点から
はじめに 「社会は何を求め、音楽には何ができるのか」- 1.「表現する力」
表現したい本能は赤ちゃんから大人まで
表現様式を知った先にある世界 - 2.「文脈を読み解く力、創る力」
音楽家は優れた解読者でもある!?
体系的な学びは、他分野にも応用できる - 3.「本質を問う力」 リベラルアーツしての音楽~知識を知力に
リベラルアーツとしての楽器演奏~感覚を表現に
問いかけ体験して学ぶ、アクティブ・ラーニング - 4.「協働する力」 自分の役割を知り、他者とコラボレーションする
米大学AO入試で評価されることは
PISA世界学習到達調査に新たな指標 - 5.「世界とつながる力」
小さい頃から身につく異文化理解力・受容力
世界の音楽仲間に出会い、関わること
様々な世代と接すること - 6. 見えにくい力を評価すること
音楽や勉強での見えにくい力とは
音楽を含む全人的教育では、問いかけが鍵に
言葉になる以前の、感じる力
- 1.「表現する力」
表現したい本能は赤ちゃんから大人まで
- 第2章:歴史的観点から
-
1. 古代・中世では、音楽を教養として
古代ギリシアの教養人=リラが弾ける人だった
中世では、音楽を大学教養課程として学んだ -
2. 近代では、音楽を専門&教養教育として(米)
ドイツからアメリカへ渡った音楽教育
ハーバード大でカリキュラム近代化・自由選択化へ -
3. 日本では、音楽を専門&師範教育として
日本に西洋音楽を導入したのは
近代から現代へ至る歴史の中で
大学音楽教育に音楽を取り入れる新たな動きも -
4. 民間が担ってきた教養としてのピアノ学習
指導者環境の変化によって、繋がり支え合う指導者
学習者環境の整備によって、動機づけが変わった
音楽環境はどんな学びの変化をもたらしたか -
3. 日本では、音楽を専門&師範教育として
日本に西洋音楽を導入したのは
近代から現代へ至る歴史の中で
大学教育に音楽を取り入れる新たな動きも -
4. 民間が担ってきた教養としてのピアノ学習
指導者環境の変化によって、繋がり支え合う指導者
学習者環境の整備によって、動機づけが変わった
音楽環境はどんな学びの変化をもたらしたか -
5. 専門と教養が融合する時~金子一朗さんインタビュー
1.音楽と数学はなにが似ているのか?
2.全員が弾く時代に、音楽の何を学ぶべき?
3.音楽・数学・歴史・全てを関連づけながら学ぶこと
-
1. 古代・中世では、音楽を教養として
古代ギリシアの教養人=リラが弾ける人だった
- 第3章:脳科学的観点から
- 第4章:経済「音楽の見えない経済的価値とは?」
- 1. 暮らしの質全体を測るべき 日本国民は教養費・教育費にどれだけかけているか?
-
2. 自己成長~それは消費か投資か?
音楽を習う動機を7つに分類
人間には成長欲求がある
中高生・成人のステップ参加 - 3. 自己成長および社会との関係構築に
人間には繋がりたい欲求もある
社会への還元もステーション運営や社会貢献など
自己投資だと思える消費とは?自ら選び、自ら関わること -
4. 教養費を増やして医療費を軽減!?
教養・技能教育は1兆円、精神科病院は1.5兆円規模
高齢者×アートの取り組み、および社会的インパクト研究(英) -
5. 人的資本投資の21世紀~エコノミストに聞く
世界の新しい幸福度指標は「人」と「社会」
今現在の支出削減より、未来のための投資を -
6. 世界の文化費・教育費のトレンドは?
フランス×人間理解と能力開発
イギリス×全ての人にアートを&経済効果測定も
スウェーデン×民主主義社会の創造 -
7. 世界的に投資が進む人文学研究、音楽も力に
学際的研究が進むと、なぜヒューマニティーズが重要になるのか
ヒューマニティーズの音楽・芸術分野への応用
- 第5章:大学最新カリキュラム編
- はじめに
- 1. 音楽で思考法、実践力、創造力を養う~総合大学教養科目 慶應義塾大学~知識は実践してこそ!「身体知・音楽」
- 2. 音楽を深く学んだ社会人を育てる~総合大学音楽学部・音楽専攻
青山学院大学~芸術の学びを糧に社会へ
フェリス女学院大学~音楽が心にある豊かさ
金城学院大学~3タイプの音楽家像を想定して - 3. 音楽の可能性をさらに掘り下げて~音楽大学
音楽大学 その1「東京藝大~スーパーグローバル大学創成支援認定校に」
音楽大学 その2「東京音楽大学~演奏と作曲を同時に学ぶ」
音楽大学 その3「昭和音楽大学~博士課程&短大社会人コース」
番外編 音楽で思考法や創造力を養う~国際バカロレア東京学大付中高
- 第6章:ライフスタイル&ボディ編
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/