海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

今こそ音楽を!第3章 幸福学観点から~前野隆司先生インタビュー(1)

2015/08/07
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第3章:脳科学的観点から
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前野隆司先生インタビュー その1

ピアノや音楽を習っている人は「音楽をやっていて幸せ!」と感じる瞬間が多いだろう。ではなぜ幸せになるのか、音楽や芸術は人々の幸せや社会にどう貢献できるのだろうか?『幸せのメカニズム』の著者であり、幸福学の第一人者である前野隆司先生(慶應義塾大学大学院教授)は、幸福を体系的・科学的に解明し、人間社会システムデザインなどに応用している。音楽の価値をあらためて考えるために、その前提となる「幸せとは何か」についてお話をお伺いした。

幸福の4つの因子とは?
ご著書の中に「幸福の形は様々だが、その基本メカニズムは単純なのではないか」とありました。先生が提唱されている「幸福の4つの因子」について教えて頂けますか?

「どうすれば自分が幸せになるのか」という問いに対し、経験知や思い込みではなく、客観的な統計的データをもとに、幸福になるメカニズムを考えました。この4つの因子が本来の意味で幸福に関連しているのではないか、という結果が導き出されました。

1つ目は「やってみよう」因子で、自己実現と成長に関わります。目標を達成している人、そのために努力や成長している人が持っています。たとえばピアノを上手くなりたい、そのために努力しようとすること。また、目標や夢を持っているだけでも幸せです。2つ目は「ありがとう」因子で、繋がり、感謝、利他性などに関わります。友人を多く持ち、しかも多様な友人を持つ方が幸せです。また、社会貢献している人や他人のために何かしている人の方が、自分のために何かをしている人よりも幸せです。3つ目は「なんとかなる」因子で、前向きと楽観性に関わります。くよくよするよりも練習すれば何とかなるさ、といった前向きな気持ちを持てる人は幸せです。4つ目は「あなたらしく」因子で、独立性やマイペースに関わります。人と比較して勝ち負けを争うより、自分自身と闘ったり、自分の夢を追い求めることが幸せに繋がります。

目標や夢があって、それを信頼して支えてくれる家族や先生がいて、これはやれるぞと思って取り組み、たとえ他人の方が上手くても気にしない。この4つの因子をもっていると、自然に「幸せ」になろうという力がふわ~っと出てきます。そして幸せな人の周りには幸せな人が集まります。

ピアノを練習して上手くなりたい気持ちは、恐らく10~20代が強いですね。利己心は20代が一番高いのですが、それは「自分を磨こう!」という思いが強いから。その後は年齢とともに利他心の値が上がっていきますので、他の人に教えたりするようになります。人間が上手く幸せになるために一番の方法は、20代までに成長して、後継者に教えて、幸せな老後を迎えることではないかと思っています。

  • 過去の幸福研究から、幸せに関連する項目を徹底的に洗い出し、それをアンケートにして日本人千五百人に回答してもらい、その結果をコンピュータにかけて多変量解析によって求めた4つの因子。(『幸せのメカニズム』p112)

幸せになる方向に向かっているか?
音楽やピアノを習っている人は主観的幸福度が高い印象があります。一方で、コンクールなどではどうしても他人との比較や順位にこだわってしまう面もあるようです。結果がどうであっても、そこから多様な価値を見出していくことが大事ですね。

実際に幸福度そのものに関係するわけではないのに、それを追い求めなければ幸福になれないと誤解している人は多いです。これをフォーカシング・イリュージョンfocusing illusion※といいます。目指す方向が間違っている(幻想である)という意味です。

たとえば負けたらすぐ気持ちを切り替えて、「いいことも色々あった」というのがスポーツマンシップの考え方です。パッと気持ちを切り替えられる人は幸せですね。逆に、順位にこだわり過ぎるからこそ1位になれないという面もあります。

失敗する人は人間的に成長しています。たとえば浪人生も1年間苦労すると、人間的に大人になります。何も失ってはいないのです。ピアノのコンクールも同じで、実は3位は1位よりも学ぶことが多いかもしれません。ちゃんと負けて学べば人生の勝ち組になれるのです。実はずっと勝ち続けた人の方が大変で、元五輪メダリストは普通の生活に戻るのに苦労している人が意外と多いので、新しい生き方を見つけてもらうためのカウンセリング方法を研究している方もいます(メンタルトレーナーのウルヴェ京さんなど。現在慶応大学博士課程在籍中)。

人は考え方によって二通りに分かれます。たとえばお金を持っている場合、こんなにお金は要らないとして寄付する人と、もっと金持ちにならないと不満だと思う人。幸せでない人は、いくらお金が集まってもまだ足りない、もっと欲しいと思うのです。また失敗したり辛いことがあった時に、その中から幸せの種を見つける人と、自分はなんて不幸だと思う人に分かれます。ちゃんと気がつくかどうかですね。

本当は気がつけば、どんどん人は幸せになるようにできているのです。お金も大事ですが、人と人の繋がりも大事です。毎日少しずつ意識を変えれば幸せになれる。それを10年で3600回近く変えていけば、かなり差がつくでしょう。

  • ダニエル・カーネマン(プリンストン大学名誉教授・ノーベル経済学賞受賞者)が提唱した概念。「感情的幸福」は年収七万5千ドルまでは年収に比例して増大するのに対し、それを超えると比例しなくなる、などの研究結果を得ている。また経済学者ロバート・フランクによれば、お金・地位・順位など他人との比較によって満足を求める地位財と、健康・愛情・自主性など他人との比較に関係なく満足を得られる非地位財があり、前者より後者の方が長続きする。(前掲書p63、70参照)

なぜ幸せの研究を?
なぜ幸せの研究を始められたのでしょうか?

以前は機械工学科でロボットや触覚の研究をしていました。8年前に慶應義塾大学大学院にSDMヒューマンラボ(システムデザイン・マネジメント研究科ヒューマンシステムデザイン研究室)を新設しました。文系・理系を超えて色々な問題を解くことは面白い!と思って始めました。

機械工学科にいた頃からロボットハンドの研究よりも、それが「そもそも何の役に立つのか?」をいつも考えていました。「つるつる、ざらざら」より、「それがなぜ心地よいのか、なぜ安心感が生まれるのか」など、複合的な要素に興味が移っていきました。

幸せのメカニズム著書「幸せのメカニズム」

人間が究極に求めるものは幸福です。これまでは心理学者や哲学者しか幸福の研究をしていなかったのですが、私は工学として幸福を研究したかったのです。たとえばこのカメラを使ったらどんどん幸福になれるとか、幸福になれるピアノ教室とか・・そのようなモノコトづくりの考えに思い至りました。文理融合なので、あらゆる幸せ研究をすることができます。たとえば経営者は「幸せな社会を創りたい」のにその方法が分からない。皆を幸せにするためにやっていたはずなのにその点が抜けていた。だったら"幸福の経営学"をすればいい。理系・文系・芸術すべて融合させて学ぶと、相互作用で皆の研究がどんどん進んでいきますね。

INDEX

菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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