ロシアのピアノ教育から学べること(2)考えたことをすべて音に―永野栄子先生
日本で聴いたロシア人ピアニストたちの演奏に感激し、
モスクワ音楽院で4年半学んだ永野栄子先生。
「ロシア人には何もかも適わない」と圧倒された留学1年目だったが、先生方が横でちょっと弾いてくれる音が惚れ惚れするほど素晴らしく、その全てを学びとりたいという意気込みへ変わっていった。現在は谷昂登君(2014年度Jr.G級金賞)など、次世代の教育にも携わっている。生徒さんとのコミュニケーションの様子もぜひお読み頂きたい。
モスクワ音楽院には1994年から4年間半ほど留学しました。ヘンリエッタ・ミルヴィス先生に師事し、最後1年間は演奏が好きなナタリア・トゥルーリ先生の個人レッスンも受けていました。ロシアで学びたいと思ったきっかけは、日本国際音楽コンクールなどを聴いて感激したのがほとんどロシア人の演奏だったこと。また大学時代に初めてエリソ・ヴィルサラーゼ先生の演奏を聴いた時、「こんなに凄いことがピアノでできるんだ!」と感激し、その夜は一睡もできなくなるという初めての体験をしました。それがきっかけとなり、モスクワ留学を決意しました。
当初は「ロシア人には体格も手の大きさも演奏も何もかも適わない。自分は一体何を弾けばいいんだろうか」とただ圧倒されていました。でも先生方のレッスンを受けていると、自然に楽しく心地良い気分になるのです。横でちょっと弾いて下さる演奏も素晴らしくて。たとえばトゥルーリ先生のレッスンでは「なかなかいいわね、それどうやって弾いているの?」と興味を持って尋ねて下さることもありました。その後先生のリサイタルでその曲を弾かれたことがありましたが、それがまた惚れ惚れするほど素晴らしい演奏で、「この国の先生はすごい!」とあらためて感銘を受けました。
レッスンはほぼ週3回でした。口承で技を伝えていく邦楽の世界と同じように、真横で先生方の技を盗み取ることができる最高に幸せな瞬間でしたね。とことん真似しようと思いました。私が師事した先生方は言葉で指示するよりは、音を通して感性に訴えかける方でした。抽象的な言葉も多かったですね。言葉そのものは日本で師事していた先生とあまり変わりませんでしたが、その音や演奏が本当に素晴らしかったのです。仕草まで含め、全てが参考になりました。
ロシアではそのような先生方に幼少期から習うので、良い生徒が育つのですね。一音から徹底するのでダメ出しは日常茶飯事です。ある先生はマスタークラスで「こうしたいと思ったけどできなかった、試みようとしなかったのは、あなたがしたいと思わなかったのと同じ。人間はしたいと思えば絶対しようとするのです」と仰っていました。
その気があればテクニックはついてくるでしょう、という感じでした。同じ楽譜を見ているのになぜそんなに弾けるのか、どこまで弾かなければいけないのか、どこまで考えて弾くべきか、考えたことを演奏に表わすとはどういうことか・・・先生方が演奏を通じてそれを見せて下さいました。
谷君が3歳の頃から指導をしています。教えるというよりは、彼自身が持っているものを引き出す感じです。こんなに小さい子を教えたのは初めてでしたので、彼や彼のお母様のサポートを見ながら、どう子供を教えていくべきかを学ばせて頂きました。彼には兄が2人いるので、自然と耳で覚えて弾けるようになりました。私が出した音を聴かせて「その音を出してみよう」と、弾いて聴かせながらのレッスンはモスクワ方式かもしれないですね。
4年生の頃から自分で譜読みを進められるようになりました。「この音符や音型にはこういう意味がある」と説明すると、自分なりに研究しては『発見!』と題して、「こことここの音型は一緒だよ」「この音型だから、ここはきっと何かに悩んでいるんだよね」といった内容のメールを送ってきます。メンデルスゾーンのロンド・カプリチオーソを弾いた時には、場面毎にシャガールの絵を思い浮かべて、「ここはこの絵」と当てはめていました。私が少しヒントを話すとそこから自分で発展させて、音符から音楽の意味を見出していくのです。
あとは読み解いたものをいかに演奏に反映させるか。「あなたはこう言ったけれど、その通りに聴こえていますか?」と音を追究していきます。
いつも「あなたから」というのを大切にしています。幼稚園の子でも、色、言葉、花など・・・簡単なことでもいいので、それぞれ頭に浮かんだものを何かで表現してもらうようにしています。
特にテキストは決めず、その子の持ち味や長所を伸ばすように様々な曲の中から選ぶようにしています。3歳の時に田中カレン作曲「星のどうぶつたち」より「おひつじ」、幼稚園で「人形の夢と目覚め」、小学生ではソナチネ、シューマンのユーゲントアルバムなど。谷君は旋律を歌うように弾くのが得意なので、カンタービレの曲を多くしました。
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/