チャイコフスキー国際コンクール(8)100年で欧州を凌駕する芸術大国に.2
包括的な学びから、エッセンスを学びとる上手さ
ロシアではなぜ芸術がこれほど早く本家を凌駕するまで発展したのか?かつて芸術後発国であった立場ならではの、包括的な文化輸入と技法習得の上手さ、と思われる。
その変遷がわかりやすいのは美術分野である。1757年に芸術アカデミーが創設されると、早い段階から諸技法を欧州から学び取り、間もなく最先端の芸術思潮と歩調を合わせ始め、1-1世紀半ほどで欧州と比肩・凌駕するほどの才能も見せている。(19世紀半ばのペロフ、20世紀初頭のヴルーベリ、バクスト、レーピン、シャガールなど。シェーンベルク等と親交のあったカンディンスキーもロシア出身*)。絵画や美術品収集も半端ではなく、エカテリーナ2世によるエルミタージュ冬宮建設と美術品収集(現在のエルミタージュ美術館)、シチューキンやモロゾフによる印象派作品発掘と収集、アカデミック・スタディを目的とした膨大な模造品制作など、とにかく全てを取り入れながら学ぶことに対するこだわりには目を見張る。仕入先もイタリア、フランス、イタリア、オランダ、アジアなど多岐にわたる。
先進国が受け継いできた芸術文化をまずは大きく受け入れ、全体像を把握した上で、技法の本質を見極め、そのエッセンスを上手に取り入れることに長けていたのではないだろうか。そして、そこに民族固有の色彩やテーマをのせて独自の作品を作ったのである。
後発のピアノ教育も急成長ーヴィルトゥオーゾ・ピアニストが生み出されるきっかけは
ピアノがロシアに持ち込まれたのは19世紀初頭と言われる。アイルランド出身作曲家・演奏家ジョン・フィールド(1782-1837)は師クレメンティに連れられてロシアの地を踏み、サンクト・ペテルブルグとモスクワに長期滞在して、作曲家、演奏家、およびピアノ指導者として活動した。ロシア貴族や富裕層にピアノを宣伝したほか、"ロシア音楽の父"グリンカの指導にもあたった。フィールドはノクターン作曲の先駆者と言われるが、彼の演奏スタイルは「詩的な奏法、極めてデリケートなニュアンス、歌うようなトーン、フンメルの奏法に由来する打鍵技術」と評された(Classical-Music.com参照)。繊細な奏法で聴衆を惹きつけたようだが、弟子グリンカのピアノ曲『ひばり』(バラキレフ編曲)などから、この師に学んだものが想像できる。
富裕層の家庭ではピアノを習う環境があったものの、専門高等教育が始まるのは19世紀後半である。ロシア初の音楽院であるペテルブルグ音楽院は1862年に創設(アントン・ルービンシュタイン)、モスクワ音楽院は1866年に創設された(ニコライ・ルービンシュタイン)。ペテルブルグ音楽院長アントンはベルリンでも学んだピアニスト・作曲家・指揮者でもあり、当時オペラ中心であったロシア音楽界に交響曲や室内楽曲を持ち込んだ。当時の器楽演奏家はドイツ人が中心であったため、「ロシア語で和声の授業が初めて行われた」ことに感激していたことからも、自国での芸術家育成に対する強い意志がうかがえる。そして第1期生チャイコフスキーなどの出現によって、その願いは早くも叶ったのである。19世紀末にはロシア各地に音楽学校が設立されるに至った。当初音楽院創設は「ロシア音楽の伝統を壊す」としてロシア五人組や批評家スターソフから批判されたが、汎用性ある音楽教育の継承という点で、コスモポリタンであったアントンは適任だったのだろう。(参考:Bach Cantatas Website, The Berdichev Revival等)
ちなみにアントンは幼少期からフランツ・リストを尊敬しており、パリで本人と面会を果たしたほか、そのステージ演出を研究したり、自身の作品(交響曲第2番・全7楽章)を献呈している。またリストに並ぶほどのヴィルトゥオーゾ・ピアニストとして数多くの演奏会をこなした。リストは交響詩を生み出しているが、音楽と絵画的な要素を結びつけることもロシアでは受け入れやすかったと思われる。ロシア初の音楽院創設者であるアントンが育てたいと願った音楽家像は、ロマン派最盛期に活躍したリストや彼自身を投影しているのだろう。それは今でも残っている。
サンクト・ペテルブルグおよびモスクワから始まったロシア式音楽教育の伝統は、今日に至るまで多くの名音楽家・作曲家を生みだしてきた。また教授法も着実に伝承され、ロシア全土のみならず全世界に発信されて、次世代を育てている。チャイコフスキー国際コンクールの優勝者や入賞者も含めて。
*一部追記しました。
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/