海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

今こそ音楽を!第2章 歴史的観点から 2. 近代では、音楽を専門&教養教育として(米)

2015/06/02
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第2章:歴史的観点から。
音楽はどう学ばれてきたのか~専門と教養と 1 古代・中世では、音楽を教養として
ドイツからアメリカへ渡った音楽教育

近代の大学でも音楽が教えられていたが、その内容は中世の大学とは異なる。それはある思想の大転換と関わっていると考えられる。ヨーロッパ大陸では14世紀~15世紀半のルネサンス、17~18世紀の啓蒙主義や科学の発達を経て、神を中心としたキリスト教的世界観から、人を中心とした世界観への変容を経験した。こうした啓蒙思想を積極的に取り入れる新しい種類の大学が各地に登場し、学問的中心も神学部ではなく、新しいカリキュラムの導入が行われるようになった。

その一つ、1737年に創設されたゲッティンゲン大学では「教育の自由」を掲げ、教会からの思想的な影響を受けることなく、独自の裁量によって科学的研究と教育が行われていた。この大学で1772年より、音楽学者ヨハン・ニコラウス・フォルケルが私的にではあるが和声の講義を始めている(musicologie.org)。数学でもない宗教でもない、音楽を実践するための音楽理論と演奏技術がドイツの大学で学ばれるようになったのは、このフォルケルに拠るところが大きいだろう。あるいは彼に多大な影響を与えたJ.S.バッハか。フォルケルは啓蒙主義時代において、哲学者や歴史学者と同様に、文化人類史の中で音楽を捉え直した。「人間はどのように音楽を発見し、発展させてきたのか」、つまり人間が築き上げた文化とともに発達した音楽、という視点で捉え直したのである。そして音楽の発展を3つの時代に区分した。第1段階を先史時代における音とリズムの誕生、第2段階を古代ギリシア・ローマにおけるメロディの誕生、そして第3段階を16世紀以降のハーモニーと調性の誕生として、その頂点をJ.S.バッハとしたThe Beginning of Music Historiography, p283

同じころ、新大陸アメリカでの高等教育はまだ中世の延長にすぎなかった。1636年に米国で初めて創立されたハーバード大学は、英ケンブリッジ大学卒業生によって設立されたもので、当初はイングランド式高等教育によってカリキュラムは厳格に定められていた。ピューリタンであった彼らは聖書を直接読むことに重点を置き、授業も朗読を繰り返すだけであった。しかし音楽の授業こそないが、カレッジ内の教会や日常生活の中に音楽は息づいていた。1808年に何名かの学生が集まってピエリアン・ソダリティと呼ばれる小さな室内楽団をつくった。これがハーバード=ラドクリフ・オーケストラとして現在に至る。
なお偶然にも、世界初の音楽学士号は1464年にケンブリッジ大生に授与されており、その2世紀後に同大卒業生がアメリカに渡ってハーバード大を設立し、その2世紀後に全米初の音楽学科が生まれたのである。

ハーバード大でカリキュラム近代化・自由選択化へ

19世紀半ばになると、社会にも大学にも近代化の波が押し寄せる。ハーバードではベルリンやゲッティンゲン大学などドイツ留学経験のある若手教授を筆頭に、カリキュラムの大幅改革が声高に主張され始めた。様々な紆余曲折を経て、19世紀後半に自然科学、歴史、政治経済学を重視したカリキュラム近代化へと踏み出す。音楽学科が創設されたのも、その最中である。やはりベルリンで音楽を学んだジョン・ノウルズ・ペイン教授による貢献が大きい。彼は帰国翌年からハーバード大学の講師となり、1863年に楽式論と対位法・フーガの講義を受け持ったSpalding, Walter Raymond, Music at Harvard: A Historical Review of Men and Events (1935), N.Y. Biblio Bazaar Coward-McCann, Inc.。当時の学長トーマス・ヒルは芸術の造詣深く、その後押しがあったとされる。1869年に学長就任したチャールズ・エリオットはカリキュラム近代化を強く推し進め、幅広い科目選択が可能になった。1871年には音楽が選択科目として正式認定され、音楽史、和声学、通奏低音、対位法、音楽史、音楽理論、作曲法、ソナタ・管弦楽楽式論、管弦楽法などが次々と科目に加わった。1875年にペインは正式に専任教授となり、全米初の音楽学科長に就任する。この時点で音楽学科は19名まで増えた。

こうした経緯を経て、「作曲家または指導者になるべく音楽を専門的に学ぶ生徒」と、「教養として学ぶ一般学生」と、2段階で教えられるようになった。前者には和声学、対位法、声楽作曲、カノンとフーガ、オーケストレーション、自由作曲などを、後者には音楽史と音楽鑑賞を教え、後者の割合が増えていった。音楽の学び方が多様化した証であり、それが現在の大学音楽学科の原型となった。

この背景には、産業革命や商工業発展による富裕市民層の拡大など、社会の近代化がある。音楽や芸術を学ぶことが教養であるという意識も高まってきた。音楽が学問として体系的に学ばれるようになったのは、「豊かな生活の象徴としての音楽」という文化思潮が定着してきた兆しと言えるかもしれない。

これ以降ハーバード大学に倣い、全米の総合大学に音楽学科および音楽学校が付設されることになる。そして現在に至るまで、音楽が専門科目および教養科目として開講されている。

INDEX

菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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