今こそ音楽を!第2章 歴史的観点から 2. 近代では、音楽を専門&教養教育として(米)
近代の大学でも音楽が教えられていたが、その内容は中世の大学とは異なる。それはある思想の大転換と関わっていると考えられる。ヨーロッパ大陸では14世紀~15世紀半のルネサンス、17~18世紀の啓蒙主義や科学の発達を経て、神を中心としたキリスト教的世界観から、人を中心とした世界観への変容を経験した。こうした啓蒙思想を積極的に取り入れる新しい種類の大学が各地に登場し、学問的中心も神学部ではなく、新しいカリキュラムの導入が行われるようになった。
その一つ、1737年に創設されたゲッティンゲン大学では「教育の自由」を掲げ、教会からの思想的な影響を受けることなく、独自の裁量によって科学的研究と教育が行われていた。この大学で1772年より、音楽学者ヨハン・ニコラウス・フォルケルが私的にではあるが和声の講義を始めている(musicologie.org)。数学でもない宗教でもない、音楽を実践するための音楽理論と演奏技術がドイツの大学で学ばれるようになったのは、このフォルケルに拠るところが大きいだろう。あるいは彼に多大な影響を与えたJ.S.バッハか。フォルケルは啓蒙主義時代において、哲学者や歴史学者と同様に、文化人類史の中で音楽を捉え直した。「人間はどのように音楽を発見し、発展させてきたのか」、つまり人間が築き上げた文化とともに発達した音楽、という視点で捉え直したのである。そして音楽の発展を3つの時代に区分した。第1段階を先史時代における音とリズムの誕生、第2段階を古代ギリシア・ローマにおけるメロディの誕生、そして第3段階を16世紀以降のハーモニーと調性の誕生として、その頂点をJ.S.バッハとした(The Beginning of Music Historiography, p283)。
同じころ、新大陸アメリカでの高等教育はまだ中世の延長にすぎなかった。1636年に米国で初めて創立されたハーバード大学は、英ケンブリッジ大学卒業生によって設立されたもので、当初はイングランド式高等教育によってカリキュラムは厳格に定められていた。ピューリタンであった彼らは聖書を直接読むことに重点を置き、授業も朗読を繰り返すだけであった。しかし音楽の授業こそないが、カレッジ内の教会や日常生活の中に音楽は息づいていた。1808年に何名かの学生が集まってピエリアン・ソダリティと呼ばれる小さな室内楽団をつくった。これがハーバード=ラドクリフ・オーケストラとして現在に至る。
なお偶然にも、世界初の音楽学士号は1464年にケンブリッジ大生に授与されており、その2世紀後に同大卒業生がアメリカに渡ってハーバード大を設立し、その2世紀後に全米初の音楽学科が生まれたのである。
19世紀半ばになると、社会にも大学にも近代化の波が押し寄せる。ハーバードではベルリンやゲッティンゲン大学などドイツ留学経験のある若手教授を筆頭に、カリキュラムの大幅改革が声高に主張され始めた。様々な紆余曲折を経て、19世紀後半に自然科学、歴史、政治経済学を重視したカリキュラム近代化へと踏み出す。音楽学科が創設されたのも、その最中である。やはりベルリンで音楽を学んだジョン・ノウルズ・ペイン教授による貢献が大きい。彼は帰国翌年からハーバード大学の講師となり、1863年に楽式論と対位法・フーガの講義を受け持った(Spalding, Walter Raymond, Music at Harvard: A Historical Review of Men and Events (1935), N.Y. Biblio Bazaar Coward-McCann, Inc.)。当時の学長トーマス・ヒルは芸術の造詣深く、その後押しがあったとされる。1869年に学長就任したチャールズ・エリオットはカリキュラム近代化を強く推し進め、幅広い科目選択が可能になった。1871年には音楽が選択科目として正式認定され、音楽史、和声学、通奏低音、対位法、音楽史、音楽理論、作曲法、ソナタ・管弦楽楽式論、管弦楽法などが次々と科目に加わった。1875年にペインは正式に専任教授となり、全米初の音楽学科長に就任する。この時点で音楽学科は19名まで増えた。
こうした経緯を経て、「作曲家または指導者になるべく音楽を専門的に学ぶ生徒」と、「教養として学ぶ一般学生」と、2段階で教えられるようになった。前者には和声学、対位法、声楽作曲、カノンとフーガ、オーケストレーション、自由作曲などを、後者には音楽史と音楽鑑賞を教え、後者の割合が増えていった。音楽の学び方が多様化した証であり、それが現在の大学音楽学科の原型となった。
この背景には、産業革命や商工業発展による富裕市民層の拡大など、社会の近代化がある。音楽や芸術を学ぶことが教養であるという意識も高まってきた。音楽が学問として体系的に学ばれるようになったのは、「豊かな生活の象徴としての音楽」という文化思潮が定着してきた兆しと言えるかもしれない。
これ以降ハーバード大学に倣い、全米の総合大学に音楽学科および音楽学校が付設されることになる。そして現在に至るまで、音楽が専門科目および教養科目として開講されている。
- 第1章:社会的観点から
はじめに 「社会は何を求め、音楽には何ができるのか」- 1.「表現する力」
表現したい本能は赤ちゃんから大人まで
表現様式を知った先にある世界 - 2.「文脈を読み解く力、創る力」
音楽家は優れた解読者でもある!?
体系的な学びは、他分野にも応用できる - 3.「本質を問う力」 リベラルアーツしての音楽~知識を知力に
リベラルアーツとしての楽器演奏~感覚を表現に
問いかけ体験して学ぶ、アクティブ・ラーニング - 4.「協働する力」 自分の役割を知り、他者とコラボレーションする
米大学AO入試で評価されることは
PISA世界学習到達調査に新たな指標 - 5.「世界とつながる力」
小さい頃から身につく異文化理解力・受容力
世界の音楽仲間に出会い、関わること
様々な世代と接すること - 6. 見えにくい力を評価すること
音楽や勉強での見えにくい力とは
音楽を含む全人的教育では、問いかけが鍵に
言葉になる以前の、感じる力
- 1.「表現する力」
表現したい本能は赤ちゃんから大人まで
- 第2章:歴史的観点から
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1. 古代・中世では、音楽を教養として
古代ギリシアの教養人=リラが弾ける人だった
中世では、音楽を大学教養課程として学んだ -
2. 近代では、音楽を専門&教養教育として(米)
ドイツからアメリカへ渡った音楽教育
ハーバード大でカリキュラム近代化・自由選択化へ -
3. 日本では、音楽を専門&師範教育として
日本に西洋音楽を導入したのは
近代から現代へ至る歴史の中で
大学音楽教育に音楽を取り入れる新たな動きも -
4. 民間が担ってきた教養としてのピアノ学習
指導者環境の変化によって、繋がり支え合う指導者
学習者環境の整備によって、動機づけが変わった
音楽環境はどんな学びの変化をもたらしたか -
3. 日本では、音楽を専門&師範教育として
日本に西洋音楽を導入したのは
近代から現代へ至る歴史の中で
大学教育に音楽を取り入れる新たな動きも -
4. 民間が担ってきた教養としてのピアノ学習
指導者環境の変化によって、繋がり支え合う指導者
学習者環境の整備によって、動機づけが変わった
音楽環境はどんな学びの変化をもたらしたか -
5. 専門と教養が融合する時~金子一朗さんインタビュー
1.音楽と数学はなにが似ているのか?
2.全員が弾く時代に、音楽の何を学ぶべき?
3.音楽・数学・歴史・全てを関連づけながら学ぶこと
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1. 古代・中世では、音楽を教養として
古代ギリシアの教養人=リラが弾ける人だった
- 第3章:脳科学的観点から
- 第4章:経済「音楽の見えない経済的価値とは?」
- 1. 暮らしの質全体を測るべき 日本国民は教養費・教育費にどれだけかけているか?
-
2. 自己成長~それは消費か投資か?
音楽を習う動機を7つに分類
人間には成長欲求がある
中高生・成人のステップ参加 - 3. 自己成長および社会との関係構築に
人間には繋がりたい欲求もある
社会への還元もステーション運営や社会貢献など
自己投資だと思える消費とは?自ら選び、自ら関わること -
4. 教養費を増やして医療費を軽減!?
教養・技能教育は1兆円、精神科病院は1.5兆円規模
高齢者×アートの取り組み、および社会的インパクト研究(英) -
5. 人的資本投資の21世紀~エコノミストに聞く
世界の新しい幸福度指標は「人」と「社会」
今現在の支出削減より、未来のための投資を -
6. 世界の文化費・教育費のトレンドは?
フランス×人間理解と能力開発
イギリス×全ての人にアートを&経済効果測定も
スウェーデン×民主主義社会の創造 -
7. 世界的に投資が進む人文学研究、音楽も力に
学際的研究が進むと、なぜヒューマニティーズが重要になるのか
ヒューマニティーズの音楽・芸術分野への応用
- 第5章:大学最新カリキュラム編
- はじめに
- 1. 音楽で思考法、実践力、創造力を養う~総合大学教養科目 慶應義塾大学~知識は実践してこそ!「身体知・音楽」
- 2. 音楽を深く学んだ社会人を育てる~総合大学音楽学部・音楽専攻
青山学院大学~芸術の学びを糧に社会へ
フェリス女学院大学~音楽が心にある豊かさ
金城学院大学~3タイプの音楽家像を想定して - 3. 音楽の可能性をさらに掘り下げて~音楽大学
音楽大学 その1「東京藝大~スーパーグローバル大学創成支援認定校に」
音楽大学 その2「東京音楽大学~演奏と作曲を同時に学ぶ」
音楽大学 その3「昭和音楽大学~博士課程&短大社会人コース」
番外編 音楽で思考法や創造力を養う~国際バカロレア東京学大付中高
- 第6章:ライフスタイル&ボディ編
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/