海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

今こそ音楽を!第2章 歴史的観点から 1. 古代、中世では音楽を教養として

2015/05/29
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第2章:歴史的観点から。
音楽はどう学ばれてきたのか~専門と教養と 1 古代・中世では、音楽を教養として
古代ギリシアの教養人=リラが弾ける人だった

音楽は人類とともに生まれ、エジプトやメソポタミアなど古代文明でも盛んであったが、基礎教養として学ばれた源流は古代ギリシア、ローマにある。リベラルアーツとはラテン語でアルテス・リベラ―レスartes liberalesと言い、自由人のための諸技芸、自由技芸と訳される。自由人とは非奴隷の自由市民を指し、肉体労働から解放され、知性を磨いて精神を高めることが重んじられた。これに対してアーツ・メカニケartes mecharnicae又はartes servilesは、手工芸、農業、料理、絵画、楽器演奏などの身体を使う実践的技芸を指す。

古代ギリシアでは、音楽は社会生活や教育などあらゆる場面に存在していた。アテナイの成人男性市民は饗宴の席で歌い楽器を演奏できることが嗜みとされており、リラを弾けることはリベラル教育の証でもあった。そのため少年時代から音楽教育も受けたのである。学校で読み書きを教わり、その後楽器を携えて音楽の学校へ行き、楽器奏法を習った。まず楽器の奏法を覚え、ある程度弾けるようになると詩人の作品を教わった。Freeman, Kenneth John, & Rendall, M. J. "Schools of Hellas; an essay on the practice and theory of ancient Greek education from 600 to 300 B. C.",1907

儀式、祭事、演劇などで音楽が奏でられるだけでなく、市民は普段からリラなどの楽器を嗜んだ。酒宴では第一部では食事を楽しみ、第二部では酒を嗜みながら座談や会話が交わされる。その際、神々に対する儀式が行われ、笛の演奏が伴ったという。リラが手から手へと渡され、サフォーやシモニデス等の詩を歌い、座談を楽しんだ。紀元前4世紀に哲学者プラトンが創設した学園アカデメイアでも、師弟とともに飲食をしながら真剣な談義をする饗宴(シュンポシオン)がよく開催されていた。単なる酒宴ではなく教育的効果を持たせるため、会話、飲食、音楽の順序が定められていたのではないか、とする説もある。(廣川洋一『プラトンの学園アカデメイア』1999年)

プラトンがなぜ音楽を重視したか、それは紀元前5世紀の数学者ピュタゴラスに端を発する。ピュタゴラスは8度、5度、4度の協和する音程が単純な周波数比で成り立っていることを発見し、後世の哲学者や天文学者などに大きな影響を与えた。プラトンもその一人で、学園アカデメイアでピュタゴラス派のカリキュラムを取り入れた。それが、自然の創造物を数によって解き明かす四学科(数学、幾何学、天文学、音楽)であり、これに弁証法が加わった。この場合の音楽とは、調和(ハルモニア)の理論であり、調律によって協和する音を生み出すように、肉体と精神を調和させることが人間形成において必要だと説いている。

なおアカデメイアでは音楽を含む数学諸科を予備学問として、17~18歳まで自由に学習するようにカリキュラムを組んでいた。そして20~30歳で諸学を総合的に見る視点を磨き、30~35歳で哲学的問答を通じた学びを経て、50歳までに公務に就き、それ以降は選ばれし少数の者がイデアに達することを理想とした。

また道徳・倫理教育などにも音楽は使われていた。たとえば悲しみを表現する混合リディア調か高音リディア調はとりわけ男子には排除すべきとし、またイオニア調は柔和で弛緩した調べとして酒宴用だと見なしている。一方、勇敢さや節度といった性質を表すのはドリア調やフリギア調で、勇敢な戦士や運命に毅然と立ち向かう人にふさわしいとした。(プラトン著・藤沢令夫訳『国家』p232-234)。戦が隣合わせにあった古代ギリシア社会を象徴しているようだ。プラトンの弟子で万学の祖と言われるアリストテレスはより柔和な音楽を好み、リディア調を「教育上好ましい」としている("Schools of Hellas"p242)。このように音楽は、古代ギリシア特有の道徳観念と結び付けられた一面もある*。さらに「フリギア調で奏でる笛の音は心を癒す」など、音楽療法の考え方もあった。

やがて数学、幾何学、天文学、音楽(数学に関わる四科)は、文法・修辞学・弁証法(言語に関わる三科)とともにリベラルアーツに組み込まれた。これを自由七科ともいう。ローマ帝国崩壊後、リベラルアーツはカトリック系修道院を通じてヨーロッパ各地に広まり、9世紀にはフランク王国カール大帝の命によりさらに広域へ普及した。この大帝が招いた学者が高等教育の基礎、つまり教養学を作ったと言われる。それが典礼聖歌を学ぶことと、リベラルアーツを学ぶことであった。

音楽の主要教書として、6世紀の哲学者ボエティウスによって著された『音楽教程』が中世まで読み継がれた。原本には声楽に関する解説が少ないが、各時代に合わせて注釈や図解が加えられていき、後にはローマ・カトリック教会の典礼歌を学ぶための音楽書とされたInscribing sound: Medieval remakings of Boethius's "De institutione musica" Elizabeth A Mellon, University of Pennsylvania。ボエティウスは音楽を「ムジカ・ムンダーナ(宇宙の音楽)」、「ムジカ・フマーナ(人間の音楽)」、「ムジカ・インストゥルメンターナ(器具の音楽)」の3種類に分けて論じた。「人間の音楽」では、精神と肉体を融合するのは調和の力であるとして、プラトンやアリストテレスの思想を踏まえている。また真の音楽家とは、実践的な演奏技術よりも、観念的・理性的に音楽を理解している人だとした。これは古代から中世にかけて支配的な考えであった。

中世では、音楽を大学教養課程として学んだ

中世になると、1018年ボローニャ大学を始めとしてヨーロッパでは大学が次々に創設された。リベラルアーツ、すなわち自由七課は学芸学部(または人文学部、教養学部)となり、上位三学部(神学部・医学部・法学部)へ進学するための基礎教養として必修となった。これが中世大学の学修モデルとなる。

1410年ライプツィヒ大学の資料によれば、学芸修士履修科目として数学の中に音楽が含まれており、ヨハネス・デ・ムリスの著書が教材となっている。14世紀の数学者・天文学者ムリスの著作にはアルス・ノヴァの記譜法について論じた『計量音楽の書』『ボエティウスに基づく思弁的音楽』などがあり、いずれかが教科書として指定されていたと考えられる。カリキュラム全体としては「七自由学芸がふえており、全体としていっそう均衡のとれたものになっている」(『大学の起源』チャールズ・ホーマー・ハスキンズ著、青木靖三・三浦常司訳)と見られるが、音楽に着目すれば理論のみで履修期間も1か月足らずと短かった。つまり中世においてもリベラルアーツとしての音楽は、歌や楽器演奏などの実技ではなく、音楽理論に限定されたものだった。

*文章中の表現を一部変更しました。

INDEX

菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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