海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

今こそ音楽を!第1章:社会的観点から 6.「見えにくい力を評価すること」

2015/05/21
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今こそ音楽を【6】
音楽や勉強での見えにくい力とは

本当に大事なものは何か?たとえそれが分かっていても、目に見えないと見過ごされてしまうことがある。今、その目に見えない価値を視覚化して、積極的に評価しようという流れがある。

右図は「確かな学力の氷山モデル」(梶田叡一、参照元:『〈新しい能力)と学習評価の枠組み』 松下佳代著、京都大学・高等教育研究開発推進センター)である。これは21世紀に必要な“新しい能力”をどう規定し評価するか、という調査の過程で引用されたモデルである。これによれば、「技能や知識」は見える学力、「思考力」は見えにくい学力、さらに「関心・意欲」「感性・経験」は氷山の底にあり、なかなか見えない力とされる。

「技能や知識」はまず物事を覚えることから始まる。暗記できているかどうかで判断できるのは、見えやすい学力である。一方、「思考力」は文脈を理解したり、知識をもとに自分の考えを述べるなど、物事の本質を読み解いて応用する力である。この力があれば、新しい課題に出会った時でも、自ら解決に導くことができるだろう。さらに「感性」は、物事全体のイメージや性質をぱっと把握したり、直感や想像力を生かして新たな視点からその本質をつかむ力にもなる。「思考力」や「感性」を測るのは難しいが、その力量次第で学びの深さが変わってくる。

同じことが音楽にも当てはまる。新しい曲を弾く時に、以前学んだ知識や考え方をどのように生かし、自らの力で読み解くことができるかは、学びの深さと比例する。それが、国際コンクールなどで審査の対象となる(参考:エリザベート王妃国際コンクール「個の力を引き出すシステム」

こちらは「個体内の音楽的発達」の図である(「ピアノにつながる!リトミックレッスン大集合」講座・神原雅之氏資料より)。リズム→旋律→ハーモニー→形式や様式→音楽を構成する様々な要素、の順に学びが進んでいくという図式である。これは自然の摂理に適っているだろう。なぜなら、音楽の歴史的変遷とほぼ一致している。

まずリズム、旋律はどちらも人間が原初的にもつ力といえる。リズムや声の調子は人間の内的律動に直結した根源的なものであり、古代ギリシア詩人は韻律と旋律によって詩を語り継いだ。一方、ハーモニーや形式・様式は、より体系的で知的な営みを象徴している。ハルモニア(調和)の概念は古代からあったが、ハーモニー(機能和声)の進行が楽曲の骨格を成すようになったのはバロック時代以降の調性音楽である。さらに時代を経て、今では形式・様式などを体系的に学ぶようになったことで、楽曲全体の構造や時代背景を読み解き、様々な楽曲解釈に応用できるようになった。

楽譜を読むということは、楽曲本来の姿を浮かび上がらせること。だからこそ、部分的な音の美しさや正確さだけではなく、その音がどのような時間的推移や時代的背景の中で生まれたのかを考えることで、より本質に迫ることができる。

この音楽的発達モデルと学力モデルを逆にして重ね合わせてみると、似通っている部分がある。「リズムや旋律」は見える学力、「ハーモニーや形式・様式」は見えにくい学力に相当すると言えるだろうか。音楽においても、後者の力を身につけたとき、学びが深まった状態だと言えるだろう。さらに知性と感性で「音楽を構成する様々な要素」を有機的に統合できれば、独自の美が生まれる。

音楽を含む全人的教育では、問いかけが鍵に

思考力や問題発見・解決力など、見えにくい力を重視する教育プログラムがある。国際バカロレア(IB、本部:ジュネーブ)はその一つだ。全人的教育をめざし、初等教育から高等教育まで主要科目を万遍なく学び、その一環として芸術や音楽も含まれる(参考:音楽を重視するIB校・アマデウス音楽学校。現在147カ国3,700以上の学校で導入され、117万人の生徒が学んでいるそうだ。近年は特にアジア各国での普及が進み、日本でも大学入試での IB 活用促進の方針を打ち出した。東大では推薦入試(2016 年度より導入予定)で、推薦要件を満たす根拠としてIB の成績証明を認めている学部もある。

国際バカロレアは年齢別に3段階に分類される:PYP (Primary Years Programme)は3歳~12歳、MYP(Middle Years Programme)は11歳~16歳、DP(Diploma Programme)は16歳~19歳。学際的に学んでいくシステムで、例えばPYPでは下記のようなテーマを掲げている。

「私たちは誰なのか」「私たちはどのような時代と場所にいるのか」「私たちはどのように自分を表現するか」「世界はどのような仕組みになっているのか」「この地球を共有するということ」・・・。

この問いかけは統合的かつ普遍的なものであり、どの教養科目においても、深く学ぶ力を引き出してくれる。実際、IB校のカリキュラムは総合的な成績向上にも繋がっているという報告がある。米国の IB 修了生対象に実施した調査によると、アイビーリーグ(ハーバード、イェール等、8大学)においてIB 修了生の合格率は当該大学における全体合格率と比べて 3~13%ポイント高く、また米国共通テスト(SAT, ACTなど)においても全米平均スコアより高いそうである。 (参考PDF)

またこのような問いかけは、学ぶ意味や方法を見つめ直すきっかけになる。現在、日本で進められている大学入試改革では"高大接続改革実行プラン"、個人個人の多様性に富む学習成果や能力を反映させるべく、新たな大学入学者選抜ルールが構築されている。その一つとして新テストの実施が検討されているが、従来の「教科型」だけでなく、新たに「合教科・科目型」・「総合型」の学力評価方法が導入される。「合教科・科目型」「総合型」では、どの科目にも応用できるような力、すなわち問題解決力や分析力などが評価の対象になる。このような見えにくい力をいかに評価するか、その指標の開発が現在進められている(ルーブリック等)。

言葉になる以前の、感じる力

全人的教育は、人間のあらゆる能力を統合的に伸ばしていく考え方である。知識や技能を実社会で生かす時に、専門科目の知識だけではなく、幅広い教養という土壌から多彩な花を咲かせてほしいという願いが込められている。そして地下水脈のようにあらゆる領域をつなぐのが、「人間とは?」という問いかけである。

では、なぜ全人的教育に音楽や芸術が含まれているのか。
音楽や芸術には、言葉になる以前の曖昧で複雑な感情を受けとめ、包み込み、解き放つ力がある。言葉にするには感情を客観視しなければならないが、音楽はただ"共にいる""共に感じる"ことができる。そして、その中で本当に大事なことに気づくことがある。それは小さな心の声かもしれないが、それが実は豊かな社会の原点でもあり、人類にとって最も大事なことであったりする。

それを感じ取る「感性」は、氷山モデルの底にある。つまり、その人自身を支える「根」だ。その根を豊かに伸ばしていくのが、音楽・芸術なのである。

INDEX

菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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