海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

リストの精神を受け継ぎ、発展させるリスト音楽大学

2014/04/25
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リストで繋がる!
リストの精神を受け継ぐ音楽大学

昨年完全リニューアルしたリスト音楽大学

コンサートホール内部 (photo:Fejer Gabor)。
コンサートホールと2階のホワイエは、当時ウィーンを中心に流行していたアールヌーボー様式とギリシア趣味が融合した内装。中央のフレスコ画はハンガリー人画家の手によるオリジナル。

ハンガリーの首都ブダペストの中心部にあるリスト音楽大学。正式名称はハンガリー国立リスト・フェレンツ音楽大学。1875年、作曲家・ピアニスト・指揮者として活躍していたリストが次世代教育のために創設した音楽院である。正門上部にはリストの銅像が据えられ、大学前はリスト広場、ビストロにもリストロー("Lisztró")などと名がつけられている。とことん愛されているリストである。

リスト音楽大学の中にも、リストの精神が端々に息づいている。セキュリティが厳しい中、今回リストマスタークラス開催中ということで特別に館内をご案内頂いた。創設当初の校舎は現在リスト博物館となっているが、現在の校舎は2009年に全面改装されており、すべて設立当時のアールヌーボー様式に復元されている。それこそシャンデリアから、壁紙、調度品、ステンドグラスなど、装飾の一つ一つに至るまで、100年以上前と同じ発注先に作らせたものである。何でも外観図と設計構造図は残されていたものの、内装に関しては資料が残っておらず、歴史的検証に時間がかかったそうだ。さらに共産主義時代には華美を慎めと壁がグレーに塗りつぶされてしまい、改装のため壁紙を丁寧に剥がしたところ、元の色鮮やかな壁紙が出現したそうである。

指揮者ゲオルク・ショルティはピアノ科生として同大でバルトーク等に師事、後に指揮を学んだ。リサイタルホールには氏の名が冠せられ、改装記念除幕式には夫人が臨席したそうだ。心臓部分に時計、という演出も。

中でもリスト音楽大学が誇るコンサートホールは音響に優れ、国内外の著名アーティストによるコンサートも多く開かれている。4月3日には同音楽院名誉教授に叙せられている小林研一郎氏のコンサートも行われた。もちろん学生が出演することもあり、半年に1度「タレント・オブリージュ(Talent Oblige)」と題した学生コンサートが行われている。また音楽院生であれば全てのコンサートを無料で聴くことができ、後にリポート提出が義務づけられている。50年前ここで毎日のように聴いていた学生が、今や全米リスト協会の理事になっている、なんていうこともあるのだ。

伝統を守り抜く

2004年EU加盟に際し、高等教育水準向上のため、欧州委員会財政支援(90%)とハンガリー政府の支援(10%)を受けて校舎の全面改装が行われた。リゲティの名を冠した新しいビルには、事務局・練習室・録音スタジオなどがある。

リストの精神を受け継ぐこと、それはハード面だけでなくソフト面も然りである。例えば教授陣はリストから始まり、以後弟子から弟子へと受け継がれている。つまり現教授陣の祖先はリストということになる。そしてここから生まれたピアニストには、バルトーク、ドホナーニ、クルターグ、リゲティ、リリー・クラウス、シフラ、シフ、コチシュ、ラーンキ、ヤンドー、ヴァーシャリなど、歴史に名を残す名手が続く。ではそこにはどのような伝統が継承されているのだろうか?

レーティ・バラーシュ先生(前掲)はこう答えてくれた。「2つあります。一つはピアニスト自身のオリジナリティより、作曲家自身の意図や真意を見抜くこと。それには楽譜、自筆譜、書簡、著述などから紐解くことです。もう一つは、音楽を何より大事にすることだと思います。私が師事したジョルジ・ナードル教授は、理論やテクニックについて時々言及することはありましたが、常に音楽そのものに心を配っていました」。


エクハルト先生はジュニアコース以外に、留学中の大学院生などのレッスンも。

それは確かに感じられる。たとえばエクハルト・ガーボル先生のバルトーク「10のやさしい小品」のレッスン。旋律はトランシルヴァニア地方農民の語りであるため、それに寄り添うような伴奏にすることや、舞踊の曲は1拍目にアクセントを意識することなど、横でアドバイスしながら先生自身がバルトークの音楽に入り込み、その魂を音で描き出しているようだった。ジュニアコースも指導されており、15歳の生徒のレッスンでは、ガーシュウィンのプレリュードを教えながら一緒に楽しんでいる様子が印象的であった。


ピアノ科主任ドラフィ先生のドラマティックなレッスン。

聖イシュトバーン教会内部。パイプオルガンコンサートも定期的に開催されている。

またピアノ科主任教授ドラフィ・カルマン先生のベートーヴェンOp.109のレッスン。バッハから受け継いだ伝統として、コラールのヴァリエーションや讃美歌のような箇所があること、またそれが交響曲第9番へ繋がっていくことに言及。歌といってもショパンのノクターンやリスト作品が鍵盤上で表現されるアリアのようであるのとは区別されるが、このソナタを構成しているのもやはり歌である、ということを改めて教えて下さった。

伝統を死守すること、それはハンガリーの複雑な歴史にも関係あるのだろうか。多民族国家として始まり、11世紀にキリスト教国家となり、19世紀半ばよりオーストリア=ハンガリー二重帝国、ハンガリー王国、戦後の社会主義体制を経て、1989年より民主制の共和国となる。そしてその国境線も幾度となく変わってきた。

「国、町、家といった「目に見えるもの」つまりハードウェアが意外にも頼りなく、もろく崩れ去るということを知る。一方で、宗教や伝統、習慣、芸術―文学、美術、音楽―などの、いわばソフトウェアの部分は自分たちとともに「持ち運ぶ」ことが可能であるため、困難のなかでも生き残ることができる、というよりはむしろ、困難のなかだからこそ必死になってそれを守り続ける。」(横井雅子著『音楽でめぐる中央ヨーロッパ』)

ハンガリー(マジャール)民族としての精神、その結晶としての音楽の伝統を守っていくことは、生まれながらの使命なのかもしれない。

新たなネットワークを切り拓く

4大学合同オペラフェスティバルより、リスト音楽大学によるドン・ジョヴァンニ・プロジェクト(photo:Andrea Felvégi)。

伝統を守るためには、時代に応じて新しい風を入れていくことも大事である。そのため、他国とのパートナーシップにも積極的だ。たとえば欧州4大学との合同国際オペラフェスティバル(International Opera Exam Festival)や、エルサレム演劇舞踊アカデミーとの室内楽ワークショップ(The Reconnections Project)などを開催している。

さらにジュネーブ高等音楽院とは2013年よりパートナーシップを組んでいる。スイスはリストが「巡礼の年・第1年」を書いた縁の深い場所でもある。教授を相互派遣してワークショップを行うもので、今年はリストのピアノ作品をジュネーブで、バルトークの弦楽四重奏をブダペストで学ぶ。現在『ブダペストにおけるリストの足跡(Footsteps of Liszt in Budapest)』というiphoneアプリを制作中で、2014年5月に公開される予定だそう。

  • スイス・コントリビューションの全面支援により、生徒は無料受講できる。これは2004年以降にEU加盟した12か国の社会・環境・経済水準などを高めるために、スイスが実施している投資プログラムの一つ。

EU内の教員・学生の交流を促進するエラスムス計画を通じて学生を受け入れており、欧州各国から留学生がやってきている。現在は全学生数の20%弱である。日本からは東京音大によるスタディツアー(毎年3月末)などが行われている。


ブダペスト市内の繁華街。

さらに各国のリスト協会との連携も活発で、日本リスト協会のマスタークラス開催は前述したとおりである。また韓国リスト協会とは2009年にハンガリー=韓国国交樹立20周年を記念してリスト協会主催コンクールが開催された(今年の優勝者は4月初旬にブダペストで演奏)。また全米リスト協会会長トマス・マストロヤンニ氏による講演『リストと詩情』も4月半ばに開催された。

ガラス工芸を披露する男性と、じっと見守る少年。ちなみにリスト・キッズ・アカデミーの一環として、リスト音楽大学のレゴ模型が制作された。映像はこちら。(協力:リスト音楽大学、レゴ社ハンガリー支社)

伝統の中の新しさは、教授陣にも受け継がれている。前述したとおり教授は全て同大卒業生であり、大学院課程で博士論文を執筆することが義務付けられている。レーティ教授はキース・ジャレットのクラシックピアニストとしての側面を取り上げ、即興演奏や自在な解釈について書いたそうだ。論文指導したギュンター・ヤーノシュ教授自身がジャレットのような存在で、ピアノ演奏と音楽学の博士号をリスト音楽院で取得し、その後はジャズピアニストとして活躍、バルトーク音楽学校にジャズ科を創設した方でもある。ピアノの実技や楽典知識だけでなく、柔軟な発想もこうして受け継がれていく。

才能を社会に還元したリスト

ヨーロッパ各国を結ぶドナウ川。リストは1838年に故郷でドナウ川が氾濫した際、慈善演奏会を開いて被災者のために寄付したという。

リスト音楽大学コンサートシリーズにもある "Genie Oblige"(才能あるものは社会に還元しなければならない)。これは生前のリストがよく口にしていた言葉だそうだ。リストがあれだけ編曲が多かったのも、他人の才能を見抜く才能があり、世に埋もれさせてはならないという意識からである(→「感性が変わる時: バイロイト・リスト博物館を訪ねて」)。中でもリヒャルト・ワーグナーとの出会いと親交は、歴史的な必然だった。リストはワーグナーが手に携えて持ってきた譜面を見てその天才を瞬時に見抜き、まだ彼への支持者が少ない頃から積極的な音楽的支援を惜しまなかった。1850年にはワイマール楽長の立場を生かしてオペラ「ローエングリン」上演のために奔走し、自身の指揮によって初演に至る。その後もリストは度々ワーグナーのために助力したのである。

そんなリストに対して、当時パートナーであったヴィトゲンシュタイン公爵夫人は、なぜそんなに他人の車ばかり押しているのか?まるで自分の作がないようではないか、と問いかける。するとリストはこう答えたという。

「私は芸術の車を押しているのです。すべて偉大で美しいものは神の賜物で、それに奉仕するのは私の義務なんだよ。その作者が私であろうと誰であろうと、そんなことはまったく問題ではない。」(ホルシャニ著・木村毅訳『ハンガリー狂詩曲』より)

この言葉はハンガリーの伝記小説家の想像かもしれないが、音楽家リストの広い心が現れている。


菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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