海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

シュタイアー氏によるバッハ講座 (2)楽曲をより深く理解するために

2013/12/20
シュタイアー氏によるバッハ講座
シュタイアー氏によるバッハ講座
(2)楽曲をより深く理解するために

後半は「ピアノで弾くバッハの魅力」に関して1時間のレクチャーが行
われました。時代劇に時代考証が必要なのと同様に、音楽も歴史的背景を捉えることが大事。バロック音楽の集大成を成したバッハが当時の音楽世界をどこまで見渡していたのか、どう自分の作品に取り入れて発展させたのか・・。フォルテピアノ・チェンバロのスペシャリストと言われるシュタイアー氏は、歴史背景を踏まえた鋭い作品解釈と、その視点からとらえたバッハの広大な世界観を我々に見せてくれました。

1
作曲の背景を見ること~「鍵盤楽器のための曲」の百科事典

作曲の背景を知ることは音楽家の基本である。シュタイアー氏は6つのパルティータだけでなく、バッハがこの曲集を鍵盤楽器作品全体のどこに位置づけていたかを読み解いていった。そのアプローチによって、パルティータという組曲の特徴や歴史的意義がより明確になるからである。

6つのパルティータはOp.1として1731年に出版された。当時は印刷代が非常に高かったが、バッハには有力パトロンがいなかったため、結局自費出版に踏み切った。このことから、バッハ自身が極めて重要な作品と位置付けていたことが分かる。1722年からバッハはライプツィヒ聖トーマス教会カントール(トーマスカントール)の職にあり、カンタータ等を何百曲も作曲していたが、次第に市と教会の対立に巻き込まれて厳しい立場に陥り、この頃には職務以上の仕事をすることはなくなっていた。その代りにチェンバロとオルガンのための曲集出版に着手する。

その成果が全4巻のクラヴィーア練習曲集である。(第1巻「パルティータ」BWV825‐BWV830、第2巻「フランス風序曲」BWV831「イタリア協奏曲」BWV971、第3巻(ドイツ・オルガン・ミサ)「前奏曲とフーガ変ホ長調」BWV552、「コラール前奏曲」BWV669‐689、「4つのデュエット」BWV802‐805、第4巻「ゴルトベルク変奏曲」BWV 988。さらに資金力があれば第5巻として平均律第1・2巻、「フーガの技法」BWV1080も加わったとみられている)。バッハはこの曲集をもって鍵盤楽器のための「百科事典」を創造したかったのではないだろうか、というのがシュタイアー氏の見解である。

2
楽曲・組曲全体を見ること~パルティータ6曲の特徴
ジグザグ構造

シュタイアー氏は組曲全体だけでなく曲集全体から、バッハがこの作品に仕掛けた壮大な世界観を明かしていく。その一つが、パルティータ全体が「ジグザグ構造」になっているという指摘である。導入曲とその調性に着目すると、B-C-A-D-G-E-と上昇・下降するラインが見えてくる。また引用する様式や声部の扱いも全て異なる。

※第1~6番 導入曲の比較
第1番 前奏曲(praeludium) B-dur 3声で始まる
第2番 シンフォニア c-moll オペラ(バロック・オペラ)の管弦楽合奏を引用
第3番 ファンタジア a-moll 2声で始まる
第4番 序曲 D-dur フランス様式を引用
第5番 前奏曲(praeambulum) G-dur 1声で始まる
第6番 トッカータ e-moll ドイツのオルガン様式を引用

これより前に作曲された組曲では同じパターンを繰り返しており(フランス組曲は全てアルマンドから、イギリス組曲は全て前奏曲から始まる)、取り組み方の違いは明らかである。また同じ舞曲でも変化を加えており、例えばジーグの拍子は全て異なる(1番:4分の4拍子、2番:なし、3番:8分の12拍子、4番:16分の9拍子、5番:8分の6拍子、6番:2分の4拍子)

このことから、いかに鍵盤楽器から多くの可能性を引き出せるか、その極限に挑戦したバッハの姿勢が見える。そしてこのパルティータをもって組曲で全てが表現できることを証明し、バッハはこれ以降組曲を書いていない。だからこそパルティータは「百科事典」だとシュタイアー氏は語る。

開放されてゆく舞曲形式

さらにこのパルティータは「6つの形式が展開し、次第に開放されていく構造を成している」とシュタイアー氏は指摘した。たとえばサラバンドを比較すると、第1番では元となる舞曲の構造を踏襲しているが、第6番では遠くにかすかにその基本構造が残っているだけで、だいぶ元の構造から解放されている。オペラのレチタティーボのような箇所もあり、幻想曲のようでもある。こうした比較を通して「サラバンドがどのように展開・発展したか」「元の特徴の何が失われたか」、この2点を演奏家が示すべき要素として挙げた。

◆譜例:第1番 サラバンド冒頭


◆譜例:第6番 サラバンド冒頭


サラバンドに限らず、シュタイアー氏自身が適切と思う演奏は、「バッハがモデルとなる舞曲とどう取り組んだか、どう打ち壊したか、また立ち返ったか」という基準で考えているそうだ。モデルに近い構造であるほどテンポも近づける、そのような考え方でパルティータ各楽章・各曲・全体を見渡してみてはいかがだろうか。「常に比較することが大事」とシュタイアー氏はアドバイスする。

3
歴史の流れを見ること~19世紀に蘇ったバッハ・後世への影響とは

バッハは同時代人には卓越したチェンバロ・オルガン奏者であるとの評価を受けていた。が彼ほど死後名声が高まった人もいないのではないか。シュタイアー氏はバッハ再発見のきっかけを特定の作曲家に拠らず、ロマン期という時代の特性と結びつけて論じた。

転機となったのは18世紀末から19世紀、音楽における「美学」が覆された時代だった。バッハの時代には音楽といえばプロテスタントのためのコラールやカンタータなど讃美歌や声楽曲が中心だったが、19世紀には器楽が主流となり、シューマン、メンデルスゾーン、ブラームスなどドイツロマン派作曲家を生み出した。

この頃彼らは、ベートーヴェンの偉業の前に集団的な劣等感に陥っていた。そこからなるべく離れようとする中で出会ったのがバッハの作品で、大きな表現力の拠り所となった。その卓越したポリフォニー的手法だけでなく、声部の扱い、モチーフの発展させ方、表現方法の多彩さなど、音楽の構築法もバッハに拠るところが大きい。とりわけ平均律の存在感は大きく、シューマンは「バッハのプレリュードとフーガは理想」と日記に綴っている。そしてブラームス、ショパンなど多くのロマン派作品だけでなく、ヒンデミットやショスタコーヴィチなど20世紀以降の作曲家に至るまで、バッハの影響や引用が多々見られる。つまり、バッハとは過去の作曲家ではなく、19世紀においてはまさに「生きている」作曲家だったのである。

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貴重なヒントを与えてくれたシュタイアー氏の公開レッスンとマスタークラス。多くの楽曲、楽器、書物に触れている氏ならではの洞察力が印象的だった。また楽曲の読み込み方や背景知識の深め方など、バッハに限らずどの作曲家でも応用できるアプローチだろう。なおバッハに関する研究書の一例として、クリストフ・ヴォルフ氏(Christoph Wolff)を推薦して頂いたので、お時間のある方はぜひ読んでみてはいかがでしょうか。

コラム(レクチャーより)
バッハは大事な作品には自分の「署名」を刻みこんでいる。自分の名前のアルファベットをAから数値化し、その合計数を楽章数とした。たとえば6つのパルティータは、全ての楽章合計を41(J-S-B-H=41)にするため、第2番にはジーグを入れずに6楽章としている。またイタリア協奏曲は14楽章(B-A-C-H=14)である。

菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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