教養としての音楽教育とは(2)なぜ音楽=教養?社会で生かすには
教養とは、人間が何千年もかけて培ってきた普遍的な価値観や英知の集合体である。では音楽も教養だろうか?
音楽は古代より、人間の感情、情愛、信仰、思考、理想、想念などが音として発露され、形を変えながら脈々と受け継がれてきた。人間の営みの中から生まれたものである以上、どの音楽も社会的・環境的・歴史的文脈の中に位置づけられる。中世の音楽にも近現代の音楽にもそれらが生まれた背景がある。しかし時代によって表現方法が変わろうと、そこに表現されている人間の本質はほとんど変わっていないのではないだろうか。
シューマン=リスト「献呈」もドビュッシー「喜びの島」も、表現されている愛や情念は似ているかもしれない。ショパンの革命エチュードもプロコフィエフの戦争ソナタも、為政者の抑圧や愚行に対する怒りは同じかもしれない。ヒルデガルド・フォン・ビンゲンとスクリャービンの神秘主義は相通じているかもしれない。誰より鋭敏な感性をもち、人間の機微に通じ、世の中の動きを敏感に察知し、宇宙の神秘に思いを馳せてきた音楽家の作品に、我々は触れているのだ。
だから時代を経てもあいかわらず、音楽は人の感情を揺さぶり、何かを訴えかけてくる。演奏を聴くだけでなく、楽器を弾いたり、楽譜や書物を読んだりしながら作曲家の生き様やその時代を直感的に追体験することで、一つの英知となって自分に内在化されていく。それは、まさに教養といえるのではないだろうか。
歴史から英知を学びとり現在や未来を予見する力(洞察力)だけでなく、音楽を通して他人と繋がる力(共感力)もまた教養につながる。たとえば日本では幼稚園から高校までほとんどの学校で合唱や合奏をするが、情感や知能を発達させていく子どもにとって、言葉以外の手段で他人とつながる瞬間はとても貴重である。本来コミュニケーションとは非常に緻密なものだが、言語だけでお互いを理解するにはまだ十分ではない段階に、音楽の存在はどれだけ大きいものだろうか。音楽という大きな世界に包まれる感覚によって、自分や相手に心を開き、もっと知りたいという能動的な感覚を生むこともあるのではないだろうか。感覚の発達が人間を成長させるとすれば、音楽はまさにそこに働きかけるものだ。教養とは文字を頭に詰め込むだけでなく、感覚を発達させて知に変えていくことでもある。
カリフォルニア大バークレー校では音楽学科創設時からコーラスの授業があった。
ここで、「音楽における教養」を3段活用法的に考えてみたい。
第一に音楽そのものが教養である、つまり人間形成において欠かせない教養だと捉えること。これは前述したとおりである。
第二に、音楽を教養的に学ぶこと。つまり音楽への理解を深めるため、美術・文学・歴史・哲学・教育学・言語学などと他分野と関連させながら学ぶこと。それによって音楽を学ぶ自分を見る眼、他人を見る眼、音楽を取り巻く世界を見る眼が熟成されていく。
第三に、音楽を教養的に生かすこと。音楽をより広い世界と関連づけていくこと、と言ってもよいだろう。世界を見る眼が変われば、音楽の生かし方も広がる。
この第三に関して、実際にどのように社会に生かせるだろうか?主として教養教育を行うリベラルアーツ・カレッジと異なり、音楽大学には音楽という専門性がある。音楽を創造したり再現する力は、これまで専門的に教えられ多くの優れた人材を輩出してきた。これからはそれらに加え、音楽の価値をより広くとらえ、社会に伝達する力、未来に伝達する力、何を伝達するのかを取捨選択する力などが求められているのではないだろうか。現在アメリカの大学院や音楽院では、音楽教育法に関する専門的研究(例:Doctor of Philosophy in Music Education)や、社会での活用法に関する研究・実践が進んでいる。
ピアノコンクールをイメージした旗を地元小学生がデザイン。音楽がより身近に。(ヴァン・クライバーン国際コンクール)。
また音楽と外の世界を結ぶ文脈をつくることで、その繋がりが意識化される。欧米では小中学校での音楽教育プログラムや、音楽祭やコンサートのプログラム構成に生かしている例が多くある。
- ヴァン・クライバーン国際コンクール(25)一般科目と共に音楽を学ぶ「Musical Awakening」
- ザルツブルグ音楽祭(5) なぜ今「神話」なのか?オペラ2作品より
- 音楽祭と社会(3)ヨーロッパの心を映し出す―ドレスデン音楽祭
- 音楽劇を通して日常と違う世界の扉をひらく(『フランスのアート教育』vol.1)
なお、現在国立音大は多摩アカデミック・コンソーシアム(TAC:国立音楽大学、ICU、武蔵野美術大学、東京経済大学、津田塾大学、東京外国語大学で結成する学術協力機構)に加盟し、図書館の相互利用や単位互換などを行っている。また2014年度からは教養科目が大幅に増加されるほか、音楽に関わる情報に主体的に取り組む音楽情報専修の設置、またグローバル人材育成のため英語で授業を行ったり、外国語学習に中国語を追加するなど、カリキュラムが大幅に刷新される。「ソフト化された現実」(前掲)がどのように実現されるのか、教養教育の行方に注目したい。
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/