教養としての音楽教育とは(1)音大で対話始まる@国立音大
11月9日(土)国立音楽大学にて『リレートーク~音楽大学と教養教育』セミナーが行われた。音大生にとっての教養とは何かについて、パネリスト2名の発表、そして出席者のリレートークで問題意識などが共有された。
まず国立音大の久保田慶一教授より、セミナー開催の主旨が説明された。約20年前の大学設置基準大綱化以降、多くの大学で1年次から専門教育を実施始めたため、教養課程の勉強が激減してしまったこと。また近年の音楽産業の構造変化により、音楽家が自分で社会の中に存在意義を見出さざるを得なくなったことなどが、「音大にとって教養教育とは何か」の問題提起の理由として挙げられた。音大を卒業するまでにどのような教養やスキルを身につけているべきか、教養教育の必要性について長年研究している久保田教授から問いかけがなされた。 (久保田教授著「音楽とキャリア論集」が配布された)
次に2名のパネリストが専門分野の研究や実体験をテーマに関連づけながら発表した。山名淳准教授(京都大学教育学研究科准教授)が教育哲学の立場から「「ビルドゥング(Bildung=ドイツ語で人間形成や教養を表す)」について紹介。古代ギリシャ・ローマ時代から音楽は人間形成プロセスにおいて重要な手段=教養であったが、19世紀にビルドゥングが制度化されるにしたがって教養のあり方が再編成されるなかで、学校教育的な領域における音楽の相対的地位が周辺化するという現実に直面することになる。つまり教養の制度化が、教養の中の音楽の立場を危うくさせた*。しかしそれを修復させたのもまた制度であり、20世紀初頭の田園都市ヘレラウ**のように、再び音楽と生の統合が試みられる。そして今日においても、やはりビルドゥングという制度、つまり大学や教育機関に期待するが、それは「ソフト化された現実」を実現する空間であるべきとの教育観(パーモンティエ、2012年)に賛同を示された。最後に、現代社会においてはどのような文脈で音楽が捉えられるか、3点挙げて説明された(意味づけの時代、メディアの時代、放浪の時代)。
一方アメリカで演奏活動経験のある大島路子氏(ヴィオラ奏者)は「まず社会を知ることが第一歩」であるとし、コミュニティセンターのレジデンス・アーティストとして演奏活動するにあたって、助成を申請した時のエピソードなどを披露された。5日間のセミナーを受講し、地域と密接な関係を築くにはどうしたらいいか、室内楽の素晴らしさを感じてもらうためのアプローチ、聴衆や主催者等との付き合い方、新しい演奏法や音楽の提示の仕方などを学んだそうだ。さらに同プログラムは音楽家の自立を促すため、助成金が段階的に半減される仕組みになっており、その分自分で仕事を作っていく体験を余儀なくされたという。音楽が社会の中で必要とされているのはどこか、どのように語りかけていくのか、それを考えるプロセスを大学のカリキュラムの中に組み込んでいく動きもあるそうだ。
また「自分が関わる音楽に責任を持つ」(黒沼ユリ子著『アジタート・ノン・トロッポ』(1978年)より参照)ために音楽を深く学ぶ時間を作ること。ご自身も楽器練習で忙しい中、1年で日本語をマスターした友人ピアニストやイーストマン音楽院(米ロチェスター大学付属)でダブルメジャーの学生を多く見て、「時間は作るもの」と認識を改めたという。
さらにこれからの音楽家には多様性が必要であり、その一例としてハワード・ガードナー氏(Howard Gardener)の言葉が引用された。
- 創造する人(作曲や編曲だけでなく、文章を書いたり詩を作るなど)
- 演奏者
- 聴衆(自分の偏見から離れて心を開いて音楽を聴くこと)
- 批評家(音楽史や形式などを分析する力をもって客観的に音楽を見ること)
後半は出席者によるリレートーク。約20名の出席者は大学教授や、学生キャリア支援センター、演奏家、芸術文化団体、出版社、現役生など、多彩な顔ぶれであった。問題提起として、「社会の中で音楽の価値を創っていかなくてはならない」「音大で学ぶ『音楽』の範囲をもっと広くしてはどうか」、また「音楽大学出身者の能力は高く、社会で十分役立せることができる」「生涯学習としての音楽を学び、地域の指導員となることも考えられる」など前向きな提案も寄せられた。また現役ピアニストの立場から、久元祐子先生は25年前にレクチャーコンサートを始めたエピソードを披露。当時は批判も多かったが今ではそれが当たり前になり、音楽家に求められるものが変化していること、また音楽の力の大きさ、音楽で培ったコミュニケーション能力などを社会の中で役立てることが大事と述べられた。また音楽の起源について研究中の現役生(大4・吉田さん)は、音楽を学ぶことによって人間が発達してきたことが証明されれば、教養にも生かせるのではないか、と未来の展望を語る。なお筆者は持参の資料『アメリカの大学にはなぜ音楽学科があるのか』を会場で配布して頂き、最近アメリカの音楽院でもリベラルアーツの教育が増える傾向にあり、音楽がより広い文脈で捉えられていることを紹介した。
教養教育と音大生のキャリアについて長年取り組んでいる久保田慶一先生は、様々な立場の意見を引き出しながら会をまとめられ、出席者にとっても5年、10年単位で音大のあり方を考えていく貴重な機会となった。今後もアメリカなど海外事例も参考にしながら、他の音大と共に検討していきたいそうである。
- *)
- 時代の特殊性(19~20世紀ドイツにおける国家戦略)を加味する説もある。
- **)
- 20世紀初頭、独ドレスデン近郊にあるヘレラウで「音楽―生活―仕事」の融合を目指した都市が築かれ、リトミックの創始者ダルクローズが招聘されて教育と舞台芸術の上演が行われていた。「音楽がそれ以外のものによって支えられ、また同時にそうしたものが音楽によって変容していくというダイナミズムが、ほぼ例外的といってよいほどにこの田園都市で目に見えるかたちで展開していたのはなぜか。(中略)音楽と他領域との接続を促すものを、教養と呼びたい衝動に駆られるのは私だけだろうか」と山名教授は問いかける。
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/