海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

ヴァン・クライバーン国際コンクール(23)今後に生かしたい5つのポイント・後編

2013/06/15
第14回ヴァン・クライバーン国際コンクールでは、世界各国30名の精鋭が競演を繰り広げた。今彼ら若い音楽家を取り巻く世界はどう変化しているのだろうか。その環境の中で、音楽や音楽教育には何が求められるようになるのだろうか?2週間強のコンクールを振り返りつつ、審査員の言葉などをも参考にしながら、今後に生かしたい5つのポイントを挙げてみた。(→前編はこちらへ)

4) 言語コミュニケーションを増やすこと

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今回の大会でもソーシャル・ネットワーク(以下SNS)が大いに活用され、ピアニストと聴衆の距離がますます近づいていることが印象づけられた。またこのコンクールではご存知の通り、毎回ドキュメンタリーDVDが制作される。そのため、出場者は始終マイクやカメラを向けられ、コメントを求められていた。この環境の変化は世界的なものであり、コンクールの名を背負って世界各地を廻る優勝者や入賞者はもちろんのこと、他のピアニストにとってもこれから重要になってくる。
審査員ヨヘベド・カプリンスキー先生はアーティストに求められるコミュニケーション力は昔とは変わり、今は言語コミュニケーションがとても大事だと語る。なんと20年前カーネギーホールのアーティスト出演契約書には「聴衆と話してはならない」という項目があったそうだ!現在では多くの音楽院や音楽学校で、レクチャー・リサイタルの機会を増やしたり、コミュニケーション法に関するセミナーが行われているそうである。(写真:英語インタビューにも意欲的に応じた阪田知樹さん)

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コミュニケーションというと、いつでも笑顔で上手に受け答えするというイメージがあるかもしれないが、真の目的は、音楽を知ってもらうこと。自分がなぜ音楽と関わっているのか、音楽から何を発見したいのか、音楽のどこにインスパイアされたのか、それをどう聴衆に伝えたいのか。我々としては、そんなことも音楽家から聞いてみたいと思う。(写真:Piano Lunchにて、ベートーヴェンのワルトシュタイン・ソナタの作曲経緯について説明するジェイソン・ギルハム)

アンドレア・ボナッタ先生は音楽院で教えていた頃、学生自身がどのようにその曲を解釈し、演奏したいのかをプログラムに書いてもらっていたという。それは自分とピアノの関わりを、別の角度を捉え直すことでもある。音楽は非言語コミュニケーションだが、より多くの人に理解してもらうために、客観的な言語に置き換えるトレーニングも重要になるだろう。


5)グローバル化を上手に活かすこと

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誰もがグローバル化を肌身で感じている昨今、音楽業界も大いにその影響を受けている。たとえば「古今東西の演奏音源や楽譜が欲しい」と思えばいつでも誰でもオンラインでアクセスできたり、「世界各国の著名教授のレッスンを受けたい」と思えば比較的に容易に受けられるなど、学習環境の世界標準化が進んでいる。どんな現象にもメリットとデメリットがあるが、今の環境をどう上手に生かしたらよいか考えてみたい。(写真:結果発表後の記者会見にて。第2位のベアトリーチェ・ラナはイタリア出身、ドイツでも学び、カナダ、アメリカの国際コンクールで優勝と第2位。若干20歳だが堂々とした演奏やインタビューでの受け答えは、いかにもグローバル世代的)

●生かしたい点

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国際コンクールやフェスティバルは、グローバル世界の縮小版ともいえる。世界各国から人が集まる時、共通言語である音楽はなんとも心強く思える。特に若い世代にとって、同世代ピアニストとの交流や彼らの演奏を聴くことは、たった2-3週間で人生を変えてしまうほどの実り豊かな時間にもなりうる。昨今国際フェスティバルでは10代・20代を対象にしたアカデミーを取り入れており、世界各国の若手音楽家を集めたマスタークラスを行うほか、アーティストとの触れ合いの機会を設けている。この時代だからこそ、幼少期からの国際音楽交流はどんどん増やしたい。(参考:『10代の音楽祭体験』『20代の音楽祭体験』『エッパン国際ピアノアカデミー』

ところで、グローバル化の波は各国の独自性を奪っているのだろうか。審査員ミシェル・ベロフ先生は、「フランスで伝統的に教えられてきたピアノ奏法、つまり文学や美術と密接に繋がっている音楽のあり方というのは、若い世代から失われつつあります。その一方で、アジア各国のピアニストが我々の文化を再発見してくれることがある」と語っていた。それは日本も然りで、日本の伝統文化を外国人が再発見することもある。

グローバル化は標準化を生み出す一方、その反動として独自の文化を守ろうという意識も働く。その影響だろうか、ディミトリ・アレクセーエフ先生はロシアスクールの伝統はまだ残っていると語る。「チャイコフスキー、ラフマニノフ、プロコフィエフ、スクリャービン・・等、彼らの作品を通してロシア音楽(教育)の伝統は受け継がれています」。それは今回のコンクールでも証明されたと思う。グローバル化とローカル化が同時に進むことで、今後また面白いアーティストが出てきそうである。


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またIT化に関して、今回ファイナルで指揮を務めたレオナード・スラットキン氏(デトロイト交響楽団音楽監督)は、「インターネットや最新テクノロジーを上手に使うことでより多くの聴衆にアクセスすることできる。演奏の邪魔にならない限りは上手に使いこなした方がよい」と前向きにとらえている。同楽団では定期公演のライブ配信を行っており、そのための携帯アプリも用意している(参考『アメリカでは、なぜ音楽に民間支援がつくのか』vol.2)。また世界各地の著名ホールやオーケストラ・劇場でも、ライブ配信が年々増えている。一方では無断で録音して無料投稿サイトにアップするなど、問題視される聴衆行動も増えているが、それでもIT化を上手に活かして聴衆を増やしていくのは、現実的でポジティブな姿勢である。(写真:The Cliburn / Carolyn Cruz)



●課題と留意したい点

物事のスピードがどんどん加速し、「一刻も早く結果を出さなければ」と感じる人が増えたと思う。そのマイナス面として、カプリンスキー先生はイミテーション、すなわち人真似*が増えることを危惧する(ここでは模倣ではなく、人真似とした)。人真似をすれば早く結果が得られるために、自分で何かを発見したり、自分で創り出すといった主体性が育ちにくくなる。かつての巨匠たちは30-40代でピークを迎えていたが、今は自分を成長させるための時間や、自分の内面を掘り下げたり、曲について熟考する時間が足りない。我々は「時間」を失った、と。

自分の呼吸を見つける、自分が心地よいスピードを保つというのは、実はとても難しいのかもしれない。ましてコンクールは他人によって評価される場でもあり、自分の軸をいかに失わないか、自尊心を持つことはとても大事になる。自尊心とは、自分のアイデンティティを信じること、自分の音楽を信じること。それは自分が音楽といかに対話を重ねてきたのか、その自信が基盤になるだろう。野島稔先生は「モスクワに留学していた時、雪がしんしんと降る中、その日勉強したことを振り返りながら、30分くらいかけて宿舎まで歩いて帰りました」と、当時を振り返って下さった。

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忙しくても、ちょっと立ち止まって考える時間をつくることはできる。すると、何が見えてくるだろうか。少し話はそれるが、フォートワースには安藤忠雄設計による現代美術館がある。その中で、"The Greeting"(Bill Viola, 1995)という映像作品が印象に残った。これは16世紀ルネサンス後期マニエリスムを象徴する画家ポントルモから着想されたもので、3人の女性が街頭で会話する光景をスローモーションで引き伸ばした映像である。1分間の映像を10分間に伸ばしただけなのだが、様々な表情の変化、身体の動き、空気の流れが鮮やかに見えてくる。その隙間から見えてきたのは、人間の心理の動きであった。(写真:The Modern Art Museum of Fort Worth)

音楽の一瞬一瞬に込められた表情、そして全体を通して語られる文脈。それらを見出すために、時間の流れをちょっと緩めてみるのはどうだろうか。音を出さず、たとえば10分間じっくりと一つの音符に向き合う、あるいは曲全体を見渡してみる。すると、今まで気づかなかった何かを発見できるかもしれない。聴衆はきっと、その発見に感動するだろう。


菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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