ヴァン・クライバーン国際コンクール(3)予選I:曲全体から伝わるもの
曲全体をどう見るのか、どう楽想を膨らませるのか。曲の全体像を見ることで、フレージングに有機的な繋がりができたり、間を効果的に取ったり、曲のイメージにふさわしい音色や音質を導き出していくことができるだろう。また呼吸の仕方も変わってくるように思う。
アレクセイ・チェルノフ(Alexey Chernov, Russia)はバッハのトッカータBWV915ト短調、スクリャービンの3つのエチュードOp.65、ラヴェル『夜のガスパール』。バッハはオルガン曲トッカータとフーガニ短調のような音効果を意識しているのか、壮麗な冒頭である。和音には響きの厚み、旋律には躍動感があり、教会で弾いているかのような感覚に陥る。一方スクリャービンのエチュードは重要な音の取捨選択が瞬時になされ、エッセンスだけが研ぎ澄まされて聴こえてくる。そして曲間を空けずに弾き、3曲目に全体のクライマックスを持ってくる。本人いわく、「緩徐楽章を中間に置いたソナタのように、一つのまとまりとして弾きました。いつも曲の全体像を見るようにしています。また3年ほど英国留学しましたが、楽譜の細かい部分まで見るようになったと思います」。ラヴェルも感情移入しすぎず、描き出しているのは情景ではなく抽象画のようでもある。全体的に客観的でクールなアプローチが印象的。
ユーリ・ファボリン(Yury Favorin, Russia)はシューベルトのソナタD.568変ホ長調、ワーグナー=リスト『タンホイザー序曲』、アンドレ・ブクレシュリエフ『オリオン3』。シューベルトは儚げに移ろいゆくような和声進行を推進力に、静かに内省的に音楽が進んでいく。一音一音と対話するようなシューベルトから一転して、ワーグナー=リストはワーグナーの壮大さをピアノで「これでもか!」というほど極限に表現したリスト編曲作品を、いささかの躊躇なく再現していく。時に叩き付けるような音は、そのあとのブクレシュリエフを予感させる。彼もアブストラクトな作品が得意なようだ。ちなみにリストをプログラムによく取り入れており、予選Iでは編曲、予選IIでは『詩的で宗教的な調べ』抜粋、セミファイナルは『4つの忘れられたワルツ』第3番と、次第に内省的な後期・晩年の作品に向かっていく。この辺りにも彼の主張が垣間見えるようだ。
ジェイソン・ギルハム(Jayson Gillham, Australia/UK)はバッハのトッカータBWV916ト長調、リゲティのエチュード第1巻・2巻より第2番『開放弦』、第6番『ワルシャワの秋』、第10番『魔法使いの弟子』、ショパンのソナタ第3番Op.58という選曲。バッハとショパンの間に挟んだリゲティ3曲では、畳みかけるようなリズムや和声の変化、半音階進行するパッセージなど、よく音を聴き特徴を捉えながら全体をまとめていく。またショパンのソナタ第3番は、旋律の歌い方にそれほど陰影がなくとも、フレージングや間の取り方で曲の全体像を大きく描き出し、要所で弱音などを効果的に用いてニュアンスを与えていく。彼の演奏は2010年、2012年に別のコンクールで聴いたが、呼吸が深く落ち着いてきたのだろうか、素直で伸びやかな感性が年を経るごとに洗練されてきていると思う。
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/