エリザベート王妃国際コンクール(1)セミファイナル結果&教育のグローバル化
2013/05/25
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●エリザベート王妃国際コンクールの歴史と今
75年の歴史を重ねるエリザベート王妃国際コンクール。その歴史はヴァイオリン奏者・作曲家ウジェーヌ・イザイの名を冠したイザイ国際コンクールとして1937年に産声を上げ、第1回目はダヴィッド・オイストラフが優勝した。翌年1938年ピアノ部門ではエミール・ギレリスが優勝。歴史にその名を刻む旧ソ連の両雄が、このコンクールのヴァイオリン、ピアノ部門第1回目を制したのだ。その後コンクールは1951年に再開され、大パトロンの一人であったエリザベート王妃の名が冠された。以降も王侯貴族を始め、音楽を愛する一般市民が支援者となり、現在に至る。「国の支援を受けず、市民の皆さんによって支えられているコンクールです」と、コンクール事務局長ミシェル・エティエンヌ・ヴァン・ネステ氏は誇らしく言う(参考:パトロン訪日ツアー)。
過去の優勝者・入賞者には、レオン・フライシャー(1952優勝)、ウラディミール・アシュケナージ(1956優勝)、内田光子(1968)、ワレリー・アファナシェフ(1972優勝)、若林顕、仲道郁代(1987)、フランク・ブラレイ(1991優勝)、最近ではセヴェリン・フォン・エッカードシュタイン(2003優勝)、デニス・コジュヒン(2010優勝)、エフゲニ・ボジャノフ(2010年)など、活躍しているピアニストは他にも大勢いる。そのレベルの高さ、課題の過酷さから、世界最難関コンクールの一つと言われる。
2013年度ピアノ部門は283名の応募者から、DVD審査を経て、75名の第一次予選出場が決定した。実際に第一次予選に参加したのは、18か国63名(女性25名、男性38名)。日程は第一次予選は5月6日-11日、5月13日-18日セミファイナル、5月27日-6月1日がファイナルと、3週間以上におよぶ過酷なスケジュールである。来週からはいよいよファイナルが始まる。
「あら、5月19日からの一週間はどうなってるの?」とお思いの方もいらっしゃるかもしれない。実はここがこのコンクール最大の山場、の準備期間なのである。ファイナルの課題は古典ソナタ1曲+新曲課題曲+ピアノ協奏曲1曲(古典ソナタとは異なる作曲家)=60分以内なのだが、この新曲を8日間で仕上げるという試練が待っている。これについては、後に述べたい。
●セミファイナルの印象
※一次予選アーカイブ音源はこちらへ。
※セミファイナルアーカイブ映像はこちらへ。
筆者は今回セミファイナル後半を聴かせて頂いた。セミファイナルに選ばれた24名は、リサイタルとモーツァルト協奏曲、各自2回のステージが待っている。前半3日間にリサイタルを弾いた人は、後半3日間で協奏曲というように、弾く順番は自動的に割り当てられる。(協奏曲2名+リサイタル2名×1日2回×6日間)。photo:Queen Elisabeth Competition
このコンクールの過酷さの一つは、このセミファイナルにおいてリサイタルプログラム40分(約5分の新曲課題曲を含む)×2つ用意し、本番60分前に審査員からいずれかを指定されること。つまり2プロとも磨き上げておく必要がある。全て違う曲で臨む出場者もいれば、重複している場合もある。このプログラムの作り方に、バックグランドの厚みが出てくる。
まず、今回聴いたセミファイナル後半で印象に残った演奏をいくつか挙げたい。Andrew Tysonの多彩で繊細な内声が際立つバッハ・パルティータ1番、複雑な旋律をすべて聞き分け織り上げていくスクリャービン・ソナタ3番。Mateusz Borowiak(photo: Queen Elisabeth Competition)のバッハ・パルティータ2番は、テンポ・リズムの軽快さとポリフォニーの躍動感にあふれ、パイプオルガンのような演奏効果も考えられたか、壮大な絵巻物のようだった。またYuntian Liu はリスト・ペトラルカのソネット123番で、音色、間の取り方、フレージングがとても洗練されていた。
またセミファイナルでは新曲課題曲が課されるが、今年はベルギー在住アメリカ人作曲家フレデリック・ジェフスキ氏が手がけた『Dream』。白昼夢といおうか、夢と現実を交差させたようなSamson Tsoy、また鋭敏な音色・音質の感覚を生かしたAndrew Tyson等が特に印象に残った。
なお惜しくもファイナル進出ならなかったが、Stephanie Prootの全編通して一貫したアプローチは、ややロマン派的傾向はあるが芯の強さを感じ、岡田奏さんの落ち着いた呼吸と繊細な音色のシューマン『子供の情景』も優れた演奏だった。
右写真はセミファイナリストの岡田奏さんと、ファイナルに進出したRemi Geniet君。岡田さんはシューマンとリスト『ダンテを読んで―ソナタ風幻想曲』と組み合わせたプログラムで臨んだ。「どちらも劇の要素がたくさんあり、その点で対比的な曲なので、一つのまとまりとして演奏したいと思いました」。フランスでは印象派絵画などの色彩感やフランス語の発声方法なども、音楽を理解する糸口になっているそうだ。今回はモーツァルト協奏曲第24番のカデンツァも自作。中学卒業を機にフランスで学び始めたという意志の力が、どこか音楽に表れていたような気がした。ぜひこれからも自分の信じる道を進んでほしいと思う。
●モーツァルト協奏曲 自作カデンツァも色々
シンプルな旋律に織り込まれる様々な陰影、ユーモア、快活さ、あるいは陽気さに隠された悲哀といった表情の豊かさをいかに引き出せるか。よくモーツァルトのオペラを観ることというが、そういった意味でのモーツァルトらしさを感じる演奏は多くなかったかもしれないが、Stanislav Khristenkoの非常に抑制された美しさの23番第2楽章、Remi Genietの一気に駆け抜けていく爽快さ(ソロを聴いてみたかった)、Boris Giltburgの構築力ある第15番などが印象に残った。
また筆者は聴けなかったが、Andrew Tysonの旋律の繊細な歌い方と、創造力を発揮したカデンツァは評判が高かった(右写真・協奏曲第21番)。また他の出場者Zuo Zhangも、第24番で彼のカデンツァを採用していた。photo: Queen Elisabeth Competition
※共演は、王立ワロン室内管弦楽団(ミハエル・ホフシュテッター指揮)。
●全体の印象--音楽教育のグローバル化は、演奏の個性化に繋がるか?
全体的な印象としては、もちろん水準は高く、皆とても素晴らしい才能を持っている。誰もが難易度の高い曲をこなしていた。もはやどの国出身なのか、どこで教育を受けたのかも、以前ほど明らかな違いはないように思う。弾く曲が出場者同士で重複している場合も多い。昨今音楽教育もグローバル化しており、早い時期から留学したり、様々な国の指導者のマスタークラスや個人レッスンを受けるなど、多国籍的かつ複合的に影響を受けながら育ったピアニストが増えている。学ぶ環境を選べる時代になり、その選択肢が似てきている、ともいえる。ということは、演奏も均質化しているのだろうか?
きっと、そうではないのだろう。何でも選べる時代だからこそ、むしろその人自身のアイデンティティが浮き彫りになる。選ぶということは、決断でもある。つまり自分の持ち味や能力をどう見極め、どう選曲や表現に結びつけていけるかが分岐点だと感じた。それを瞬時に見極める人もいれば、長い時間かけて積み上げるように磨いていく人、様々な意見を取り込みながら試行錯誤の末に体得する人もいるだろう。
いずれにしても、何かを選び取ることができた人は、演奏のどこかに「その人らしさ」が漂う。自分の道筋を見出し、それを起点に学びを積み重ねていけた人は、どの方向へ進んでも個性を輝かせることができるのではないだろうか。それを審査員は見抜くのだと思う。実際、大きなミスをしてもファイナル進出を手にしたピアニストがいた。これは不思議ではなかった。もちろん誰もが完璧を期するのだが、コンクールのステージ上では何が起きるか分からない。暗譜やミスタッチはステージ上の一瞬のこと。それよりも、彼の持つ資質に加え、どのような考えや学びを重ねてきたのか、その背景が見えた演奏だったからこそ、次のチャンスが巡ってきたのではないかと思った。
菅野 恵理子(すがのえりこ)
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/
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