アメリカでは、なぜ音楽に民間支援がつくのか?(7)コミュニティで育む次世代
チェロ奏者ヨーヨー・マ氏は7歳で指揮者レナード・バーンスタインと共演した時、バーンスタインが「自分の視線までおりて優しく語りかけてくれたことが、大変印象に残っています」と語っている。小さな少年の小さな目の前に、巨匠が一瞬すっと入ってきてくれたその時、彼はそこに自分の将来の姿を見たのかもしれない。
人は環境の中で育てられる。そして自分の家族や身近にいる人、または学校や職場などの生活空間にいる人、自分と同じ視線をもつ人に見習うことが多い。だから、生活空間の延長にあるコミュニティで次世代が育まれるということは、自然なことなのである。 では、アメリカではどんな次世代教育が行われているのだろうか。
アメリカでは幼少期からのフィランソロピー教育が大事だとされ、近年ではそれを学校カリキュラムに取り込んでもらうべくプログラムが整備されている。フィランソロピーとは、社会のために自分を役立てること、奉仕精神に近い思想である。
アンカレッジ芸術・科学・歴史博物館で働くアン・ヘイルさん(第3章参照)によれば、最近コミュニティサービスに力を入れる学校が増えており、息子さんが通う中学校でも1学期に12時間の奉仕義務があるそうだ。また同博物館では10代ボランティアが100人ほど活躍している。活動は1回2時間で週に数回、内容は動物の世話や館内ガイドなどが多い。
その彼女が一部企画に関わっているのが、高校生のためのフィランソロピー教育プログラムである。全米ファンドレイジング協会で3年ほど前に開発したもので、学校カリキュラムに取り入れてもらうよう働きかけている。全12回で概要は以下の通り。
- 第1回目:フィランソロピーと私
- 第2回目:コミュニティで必要とされているのは何か
- 第3回目:他人を助けること
- 第4回目:慈善のためのファンドレイジング
- 第5回目:NPOからのヒアリング&課題を選ぼう
- 第6回目:提案依頼書を作ろう
- 第7回目:ファンドレイジングの倫理とは
- 第8回目:支援を得るための事例書を作成する
- 第9回目:提案依頼書の評価&助成先を選ぶ
- 第10回目:ファンドレイジング計画をさらに練る
- 第11回目:私たちのファンドレイジング・プロジェクト
- 第12回目:まとめと反省
- お祝い:成功を祝してパーティ!
ケーススタディを多く含む内容で、単にファンドレイジングの手法を教えるのではなく、課題を与えて考えさせるような思考トレーニングが中心になっている。さらに学校で授業を受けた後、宿題として両親・家族・近所の人にインタビューすることを課し、世代を超えた対話も促している。資金調達だけでなく、ボランティアなどコミュニティに対して自分ができることをすると、コミュニティからも何らかの形で良い報いがある、それを実感させたいという。
実は日本でも最近「子どもの寄付教室」が全国の小中高で開かれている。これは日本ファンドレイジング協会が行っている次世代教育プログラムで、すでに小学校4年生から高校1年生を対象に33校で実施している(2012年11月現在)。同代表理事の鵜尾雅隆氏にお話を伺った。
「寄付教室は子供たちが楽しみながら寄付を学び体験できる授業で、いくつかのNPOの話を聞いて、『自分はここを応援したいな』というマッチングをしていきます。自分の心が動いてそれが社会全体のためになる、その実践行動が寄付の本質だと思います。 例えば、自分は勉強もできないしいじめられっ子かもしれないけど、20円のワクチンで誰かの人生を救えるかもしれない、そうしたことに子どもたちはわくわくします。『皆プチ主役になれる』ということなんです。音楽が社会に生み出す価値は、音楽を通じて人に対してかけがいのない役割を果たせるかもという自己肯定感だと思いますが、寄付教育も同じですね」。
では音楽・芸術分野では、どのように次世代リーダーが育てられているのだろうか。
●地元、大学を代表する体験から生まれるもの
アメリカのいくつかのオーケストラでは、10代の学生に企画・運営などを体験させている。クリーブランド交響楽団マーケティング部長ロス・ビニー氏によれば、2011年から「学生アンバサダー(student ambassador)」を募り、現在11名が活動しているそうだ。彼らは自分が通う大学のキャンパスで、オーケストラの広報を務めているのである。
その一人セス・パエ君(写真)は一般大学音楽学科のヴィオラ科専攻で、1年半前から学生アンバサダーを務めている。「自分も学校代表、地元代表として何かできるかもしれないと思ったんです。街中にスポーツチームやレストランがあるように、オケも街の一部。クリーブランドは自分が生まれ育った街であり、そこが世界的オーケストラを持っていること、それを市外から来た他の学生たちに伝え広めることは、自分のプライドでもあるんです。」
広報手段としては、メールで友人知人にコンサートの案内を送ったり、ポスターを掲示したり、リハーサルなど大勢が集まる時に口頭で呼びかけたり。また直接の対話を一番大事にしており、これまでに100人近くと話し、うち30-40人は実際にコンサートに足を運んだようである。他には、コンサート前にディナーパーティを開いて毎回新しい人を誘ったり、また少し離れているが、NYでも熱心に活動している学生アンバサダーがいるそうだ。
またクリーブランドでは学生記者も活躍している。こちらは学生音楽リポーターのアン・ニコロフさんが書いた記事(ケース・ウェスタン・リザーブ大学機関紙Observer)。クリーブランド交響楽団が学生割引プログラム(※)を始めたこと、レストランや美術館も割引になること、ホールの豪華な内装、コンサートプログラムと演奏の面白さ、そして最後はクラシック音楽ファンでなくとも一度は「トライしてみて!」と結ばれている。
※同楽団では2012年秋より学生ファンカード(年間50ドル)を発行。カードを提示すればいつでも定期公演に入場可能という気軽さが人気で、すでに400名以上がパスを購入している。これにより、学生の平均来場数は1.2回から3回へアップしたそうだ。
●地域コミュニティでイニシアティブを取れる人材育成を
一方、ダラス交響楽団は10代学生で結成されるティーンズ・カウンシル(DSO Teens Council)に、コンサート企画・運営の機会を与えている。下記はその一例で、プログラムから終演後のパーティまで彼らが手掛けている。こうした体験を通じて、学校またはコミュニティで、音楽のリーダーシップを取れるようになっていくのである。(写真:Dallas Symphony Orchestra)
- 「ダラス交響楽団をもっと知ろう!コンサート」
- "Get to Know the DSO! " Presented by the DSO Teen Council
- ジョン・ウィリアムズ(ラベンダー編曲):ジョン・ウィリアムズに捧ぐ
- プロコフィエフ:交響的協奏曲(第2楽章)
- ブラームス:交響曲第3番(第4楽章)
- メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲(第1楽章)
- ラフマニノフ:交響的舞曲(Lento assai - Allegro vivace)
学生がコミュニティで音楽的なイニシアティブを取ること、それは将来を担うための布石でもある。そのためアメリカの高等教育機関では、音楽とコミュニティを結ぶプログラムが盛んだ。その一つがカーティス音楽院の「コミュニティ・アーティスト・プログラム」。副学長のマンガン氏は、「これは"リレーションシップ・ビルディング"、つまり地域社会との関係構築がテーマです。自分が住んでいる地域に関わること、また地域の方々に若い音楽家の演奏を聴いて楽しんでもらうこと、どちらも重要だと思います」としている。詳しくはこちら(「アメリカの大学にはなぜ音楽学科があるのか」)をご覧頂きたい。
●日本にも「社会からの視点」を考える学生
一方日本の音大にも、音楽業界の末来をどう担うのかを真剣に考えている学生がいる。その一人、東京音楽大学大学院生の小室敬幸さん(作曲)は、現在日本ファンドレイジング協会でのアルバイト経験を通じて、様々な気づきを得ているそうだ。クラシック音楽は21世紀において前世紀とは異なる新たな意味を見出す必要があるのではないか、教育プログラムにしても社会からの視点を踏まえたアプローチが必要ではないかとの考えから、一つの参考事例として名古屋フィルハーモニーが行ったエール・コンサートを挙げてくれた。
「このコンサートは『芸術に触れることはいいことだ』という前提を共有せずとも成り立ち、また芸術分野だけではなく福祉分野からも評価されるものであったために、日本財団からの助成を得られたのだと思います。『ファンドレイジング・日本』に登壇なさるようなNPOさんによるファンドレイジング成功事例には、社会の理解を得て巻き込んでいく力があります。音楽分野からもそのような活動を増やしていければ、苦境に立たされたクラシック音楽業界にも未来が見えるのではないか。これがファンドレイジングを学んでいく中での最大の気付きです。」
20-30代はまさに次世代の中核である。社会経験がある人も多く、社会人ならではのネットワーキングの重要さも分かっている。すでに業界をリードしている人材もいる。そこで20-30代を対象にコンサート鑑賞&ネットワーキングの機会を提供するオーケストラが増えている。たとえばシアトル交響楽団は「ウォルフガング・クラブ"WolfGang Club"」、フェニックス交響楽団やヒューストン交響楽団は「ヤング・プロフェッショナル"Young Professionals"」など、呼称は様々だ。会費は有料だがコンサート優待割引があるほか、コンサート前後にレセプションパーティを開いたり、ドリンク無料などの特典がある。特に20-30代という次世代の中核を担う若者に、音楽を通じたネットワークを拡げてもらうことは、音楽界の将来にも繋がる重要な取り組みである。
こうした動きは音楽界だけに限らず、アメリカの社会全体で行われている。実は全米各地には、若者のネットワーキンググループが網の目を張り巡らすように点在している。ヤング・プロフェッショナル・クラブと呼ばれ、地域の20-30代(40代の場合もある)の男女が集まって月1回ミーティングを開き、ボランティア活動をしたり、コミュニティについて話し合ったりしているのだそうだ。
クリーブランド近郊でこのクラブを主宰するロリ・シャンドールさん(写真左)は大変エネルギッシュで、会員約100名のリーダーである。「この街で生まれ育ったので、街の役に立ちたいという気持ちがいつもあります。ここに住む人は皆知ってるわ。新しいメンバーを増やしたいので、良い人がいないか常に探しています」。クラブ内で奨学金制度やフィランソロピー教育も行っている。ここでも、未来社会の芽が着々と育っている。
先日デトロイトで伺った話によれば、「最近若い人が街に戻ってきている」そうである。こうしたネットワークは、若い力を集め将来の人材を育てる場にもなっている。その中心には、やはり音楽があってほしい。クリーブランド交響楽団学生アンバサダーのセス君のように、音楽は誇りをも与えてくれるのだから。
<目次>
- はじめに
- (1) その時、 誰が立ち上がったのか?50年前アメリカで起きたこと
- (ア) 無い!から生まれた知恵と工夫~1960年代の文化予算削減
(イ) 失ってないものは何か?潜在価値の再発見
(ウ) いかに「創造的」に音楽の時間を取り戻したのか - (2) コミュニティの潜在的支援者との接点を増やす
-
(ア) どう接点を広げる?身近さがもたらす当事者意識
(イ) SNSで広くコミュニティと繋がる
(ウ) 自宅・隣近所が音楽仲間を呼び込む
(エ) コミュニティの聴衆が聴衆を連れてくる - (3) コミュニティの支援者と対話する
-
(ア) コミュニティには誰がいるのか?
(イ) 支援者との1対1の対話、支援者同士の対話
(ウ) 中間支援者との対話
(エ) ボランティアとの対話
(オ) 理事との対話
(カ) コミュニティ代表者との対話
(キ) コミュニティパートナーとの対話
(ク) 企業との対話
(ケ) 行政との対話
(コ) 対話は「音楽」という資源を創造的に見直す機会 - (4) コミュニティの行動力を活かす
-
(ア) ボランティアはアイディアと行動力の宝庫
(イ) ボランティア組織化は100年前から
(ウ) 日本でも音楽イベント現場で活躍
(エ) いかに継続してもらうか - (5) コミュニティとともに創り上げる
-
(ア) 音楽団体が持つ資源×コミュニティが持つ資源
(イ) シカゴ:公立小中学校教員とコラボで音楽の授業を
(ウ) シカゴ:シカゴ交響楽団管轄の市民オーケストラ
(エ) マイアミ:コミュニティを繋げるアイディアは、コミュニティにある
(オ) 日本の事例~潜在価値を倍増させるのは市民の参加 - (6) コミュニティの企業と組んで相乗効果をもたらす
-
(ア) 音楽・アートの潜在価値と企業力を組み合わせる
(イ) どのようなパートナーシップがあるのか?
(ウ) アートへの投資は、コミュニティへの投資
(エ) 創造的な社員を増やしたい、そのための投資でもある
(オ) 日本でも進むNPO×企業のパートナーシップ - (7) コミュニティで次世代を育てる
-
(ア) 未来の支援者はコミュニティから生まれる
(イ) 小中高におけるフィランソロピー教育
(ウ) 大学生に企画・広報・運営のプチ体験を
(エ) 20~30代は次世代の中核に
(オ) コミュニティを代表する「誇り」を受け継ぐ - (8) オンラインでも繋がる新しいコミュニティ
-
(ア) 支援者は世界中に広がる
(イ) 目的別コミュニティが創れるクラウドファンディング
(ウ) 支援者に選ばれるコミュニティとは - むすびにかえて
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/