海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

アメリカでは、なぜ音楽に民間支援がつくのか?(1)無い!から生まれた創意工夫

2013/05/11
アメリカでは、なぜ音楽に民間支援がつくのか?
(1)その時、 誰が立ち上がったのか?50年前アメリカで起きたこと
●無い!から生まれた知恵と工夫~1960年代の文化予算削減

アメリカでは「学校の中に音楽・アートを」を取り戻す運動が何十年も続けられている。(c)Ravinia Festival

いきなりだが、「もし、音楽や芸術が学校や日常生活から消えたら・・・?」と仮定しよう。その時誰が真っ先に立ち上がるのだろうか。これは仮定ではなく、実際に起きた話である。

1960年代アメリカでは経済危機を理由に文化予算が大幅削減されてしまい、公立小中学校に予算が回されなくなってしまった。そこで「なんですって!」と立ち上がったのが、子どもたちの保護者や地域コミュニティの音楽家だった。「小学校に音楽や美術のクラスがないなんて!」「子供たちになんとか良い教育を受けさせてあげたい」という母親方の思いは強く、その行動は素早かった。様々なNPOや音楽家とパートナーシップを組み、学校の中に音楽の授業を取り戻す活動が始まったのである。これはシカゴで聞いた話であるが、時期や状況が多少異なるとはいえ、他の州でも同様の動きがある。


ラヴィニア音楽祭のReach-Teach-Playプログラムより。(c)Ravinia Festival

現在シカゴでは公立学校約600校に対し、175の芸術関連NPOが学内外で活動しているそうだ。(アメリカの公立学校活動に関わるNPO数は、音楽・芸術関連も含めて19,000団体・4300億円相当。"Who Helps Public Schools? Public Education Support Organization in 2010")。その一つがラヴィニア音楽祭である。同音楽祭の女性ボランティアグループWomen's Boardは1960年代から学校に音楽を取り戻す運動を続けている。自ら学校へ出向き、生徒たちのために絵本を読み、音楽を聴かせた時代もあったそうだ。今ではアーティストを派遣し、クラス担任教員を巻き込みながら音楽を教える"Reach - Teach - Play"という一大プロジェクトを通年で行っている(参考記事)。様々なアクティビティを通して音楽を体感させるプログラムを、教員とアーティストが一緒に作っていくのだ。2012年からは、音楽を通して未来世代を育む"システマ・ラヴィニア・サークル・ロケット(Sistema Ravinia-Circle Rockets)"も始動した。

今こうして彼らが獲得している音楽の時間は、「無くしたものを取り戻そう」という運動から始まった、知恵と工夫の積み重ねである。それは、「無い」を埋めるだけではない、音楽時間の再創造なのである。

●失ってないものは何か?潜在価値の再発見

ベネズエラから世界に広がったエル・システマに倣ったシステマ・ラヴィニア。楽器演奏を通じて社会性も身につけていく。音楽という資源は無限である。(c)Ravinia Festival

こうしたNPO活動が功を奏し、現在アメリカでは9割以上の公立小中学校で音楽が教えられている。(全米公立小学校の94%、公立中学校の91%/2009-2010年度教育省統計)。これは10年間ほぼ横ばいであるが、他の芸術科目の割合が下降気味である中、音楽分野における懸命な自助努力の成果と言えるだろう。それも時の政権によって芸術科目の扱いが常に変わるという状況下である。芸術系科目がコアなカリキュラムであるということは、1965年の小中学校教育法以来言及されているが、義務ではない。さらに"STEM Education(Science-Technology-Engineering-Math)"と呼ばれる理数系科目に力を入れる政策が続いており、音楽・芸術科目は不利な立場に置かれてしまっていた。(それに対して近年はArtを加えた"STEAM Education"にすべきだと、多くの政策提言がなされている。STEM to STEAM提唱者は日系アメリカ人のジョン・マエダ氏。)

では、音楽の授業時間が維持できている理由とは何か?それは、音楽は文化予算削減に伴い「学校での時間」こそ減ったが、「価値」を失ったわけではない。その信念のもとに、音楽の価値を正当に認めてもらう活動が続けられてきたからだろう。時の政権によって扱いが変わることからしても、「音楽は素晴らしいものだから聴いた方がいい、学んだ方がよい」という一つの価値観を広めることすら容易ではない。そこで「なぜ音楽は人間教育に欠かせないのか」「どのような教育的効果があるのか」を常に追求し、言葉やイメージに置き換えて伝えているのである。

例えばワシントンDCにあるケネディ・センターでは、音楽の社会的・教育的意義を理解し、政策提言に生かすためのツールキットを用意している("Arts Education Advocacy Tool Kit", Kennedy Center Alliance For Arts Education Network, 2009)。

例えばアートを学ぶ意義と利点について、次のような点を挙げている。

  • ・アートは多様な学び方ができるため、多くの子どもに関わってもらうことができる。
  • ・アートを通じて、曖昧な概念をより明確で分かりやすく捉えることができる。例えば算数や数学に出てくる「左右対称」「反転」「回転」などの概念は、ダンスや身体を動かすことで実感できる。また人文科学系の科目では、アートと世界の文化を同時に学ぶことで、我々が住む世界の多様さを理解することができる。
  • ・アートは生きるために必要な力、たとえば批評力・創造的思考力、問題解決能力、共同作業する力、持続力を養うことができる。
  • ・アートの体験を通じて、認知・感情・精神運動を司る神経経路を築くことができる。
  • ・アートは学校の学習環境を協働と発見の場に変えることができる。

これはごく一部にすぎないが、「音楽や芸術の潜在的価値とは何だろう?」「どうすればそれが伝わるのだろうか?」という問題提起や、それに基づく調査や政策提言が今でも活発に行われている。ちなみに毎年4月10日は「Arts Advocacy Day(アートの政策提言の日)」とされ、ワシントンDCでイベントが行われる。こちらは今年の模様である。チェロ奏者ヨーヨー・マ氏らがアートや音楽の重要性についてスピーチをしているので、ぜひご覧頂きたい。

●どうやって「創造的に」音楽の時間を取り戻したのか

生徒が書き綴ったラヴィニア日記は、学校の授業で経験した音楽やアートの思い出がいっぱい!(c)Ravinia Festival

ではラヴィニアのお母様や地元アーティストのように、なぜ「自分たちの手で何とかしよう」という力が出たのだろうか?

一つには当事者意識であり、自分が属しているコミュニティを少しでも良くしたい、それはいずれ自分や自分の家族や子孫に還ってくる、その気持ちが行動を後押ししている。ラヴィニア音楽祭Women's Boardの方々には、「自分たちの手で、自分たちのアイディアで、コミュニティを良くしてきた」という晴れやかな誇らしさが伺えた。

アメリカはこのようなコミュニティへの帰属意識が強く(教育の成果もある)、音楽との関わり方も、コミュニティライフの中に音楽がどうあるべきかという視点が欠かせない。それが結果として、目の前にある課題「音楽やアートの授業をいかに取り戻すのか」「資金をどう調達するか」を解決するだけでなく、「コミュニティ全体をどうデザインしていくか(街の緑化・美化運動)」や、「その中で音楽をどう生かしていくのか(Reach-Teach-Play)」という活動へと、大きく発展していった。

もちろんラヴィニア音楽祭やシカゴ交響楽団など、世界有数の音楽水準という資源があることも一因かもしれない。しかしそれよりも、「コミュニティに音楽があってほしい」という気持ちの強さが根底にあった。だからこそ音楽を軸としながらも、音楽の枠組みを超えた広がりが出てきたのだ。彼らが課題をより深く、より広くとらえていたことが伺える。そして、そこに思いがけない創造力が生まれたのである。

<目次>

はじめに
(1) その時、 誰が立ち上がったのか?50年前アメリカで起きたこと
(ア) 無い!から生まれた知恵と工夫~1960年代の文化予算削減
(イ) 失ってないものは何か?潜在価値の再発見
(ウ) いかに「創造的」に音楽の時間を取り戻したのか
(2) コミュニティの潜在的支援者との接点を増やす
(ア) どう接点を広げる?身近さがもたらす当事者意識
(イ) SNSで広くコミュニティと繋がる
(ウ) 自宅・隣近所が音楽仲間を呼び込む
(エ) コミュニティの聴衆が聴衆を連れてくる
(3) コミュニティの支援者と対話する
(ア) コミュニティには誰がいるのか?
(イ) 支援者との1対1の対話、支援者同士の対話
(ウ) 中間支援者との対話
(エ) ボランティアとの対話
(オ) 理事との対話
(カ) コミュニティ代表者との対話
(キ) コミュニティパートナーとの対話
(ク) 企業との対話
(ケ) 行政との対話
(コ) 対話は「音楽」という資源を創造的に見直す機会
(4) コミュニティの行動力を活かす
(ア) ボランティアはアイディアと行動力の宝庫
(イ) ボランティア組織化は100年前から
(ウ) 日本でも音楽イベント現場で活躍
(エ) いかに継続してもらうか
(5) コミュニティとともに創り上げる
(ア) 音楽団体が持つ資源×コミュニティが持つ資源
(イ) シカゴ:公立小中学校教員とコラボで音楽の授業を
(ウ) シカゴ:シカゴ交響楽団管轄の市民オーケストラ
(エ) マイアミ:コミュニティを繋げるアイディアは、コミュニティにある
(オ) 日本の事例~潜在価値を倍増させるのは市民の参加
(6) コミュニティの企業と組んで相乗効果をもたらす
(ア) 音楽・アートの潜在価値と企業力を組み合わせる
(イ) どのようなパートナーシップがあるのか?
(ウ) アートへの投資は、コミュニティへの投資
(エ) 創造的な社員を増やしたい、そのための投資でもある
(オ) 日本でも進むNPO×企業のパートナーシップ
(7) コミュニティで次世代を育てる
(ア) 未来の支援者はコミュニティから生まれる
(イ) 小中高におけるフィランソロピー教育
(ウ) 大学生に企画・広報・運営のプチ体験を
(エ) 20~30代は次世代の中核に
(オ) コミュニティを代表する「誇り」を受け継ぐ
(8) オンラインでも繋がる新しいコミュニティ
(ア) 支援者は世界中に広がる
(イ) 目的別コミュニティが創れるクラウドファンディング
(ウ) 支援者に選ばれるコミュニティとは
むすびにかえて
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菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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