東京とミラノの架け橋となって ~黒田亜樹先生主催オーディションより、国際コンクールに1名を派遣
~黒田亜樹先生主催オーディションより、国際コンクールに1名を派遣
2012年度ピアノタレント国際コンクールの表彰式より photo:Concorso Internazionale Pianotalents 2012
Bカテゴリー第1位を受賞した山口哉くん。
ミラノが誇るドゥオモ。
ミラノ在住10年目を迎える黒田亜樹先生(ピティナ正会員)は、東京とミラノを結ぶ揺るぎない架け橋になっている。そしてその架け橋は、年々広く、太くなっている。
黒田先生は東京で「Tokyo-Milanoチャオステーション」を主宰するかたわら、ミラノでもチャオ!と心を開いて相手の懐に飛び込み、10年かけて現地音楽家たちと関係を築いてきた。それが今、一つの形になろうとしている。「ピアノタレント国際コンクール(Piano Talents in Milano)」との関わりである。
これは2010年に新設されたジュニア対象のコンクールで、黒田先生は初回から審査員を務めている。イタリア内外の若い才能に多く接してきた経験を踏まえ、「ぜひ日本の若い才能も海外へ!」との思いから、2013年6月に行われる第3回コンクールには、黒田先生主催のオーディション(2013年3月3日)より1名を選抜・派遣することが決定している。
まずはこのコンクールの概要を簡単に説明しよう。
対象年齢は5~19歳で、A(5~7歳)、B(8~10歳)、C(11~13歳)、D(14~16歳)、E(17~19歳)の5部門に分かれている。プログラムは全て自由選曲。これもジュニアコンクールとしてはまだまだ珍しい。審査は1ラウンドで、第1位アッソールト・1位・2位・3位・ディプロマが授与される。黒田先生によればこの順位は絶対評価にもとづく点数で定められ、同じ順位の子が何人も出るそうだ。その意味では、コンクールというよりむしろ評価がもらえるコンサート(日本でいえばステップ)に近い感覚なのかもしれない。だから各部門でアッソールトが1名~複数名出るのか、あるいは出ないのかはその時のレベル次第となる。さらに全部門で1名のみ「ピアノタレンツ賞」が授与される。さすがにずば抜けた才能が選ばれるそうで、コンサートの機会や奨学金等が与えられるそうだ。さらに他のジュニアコンクールとの提携も進められている(オルレアン国際ジュニアコンクール(仏)との優勝者交歓など)。
コンクール会場も必見である。会場となる「ヴェルディの家」は19世紀末に作曲家ジュゼッペ・ヴェルディが全財産を投じて、余生を送る音楽家のために建てた由緒ある建物である。ホールにはトスカニーニとホロヴィッツ一家が寄贈したベヒシュタインが置かれ、各練習室にもグランドピアノが備えられている。今でも引退した音楽院教授やオペラ歌手などが住み、コンクールを見学したりするそうだ。
これまで2回の開催でイタリア国内だけでなくヨーロッパ、ロシア、アジアから生徒が集まったという。日本からは山口哉さん(当時9歳)がB部門で第1位アッソルートを受賞し、その褒賞として今年5月コモ湖の劇場でモーツァルトの協奏曲K415を演奏した。
なお2013年度日本のプレオーディション通過者(ミラノ派遣賞)1名には日本⇔ミラノ往復渡航費が支援され、さらに黒田先生が現地でお世話をして下さる予定。宿泊先には約200席のホールがあり、ステージ上のグランドピアノで練習ができるそうだ。またホテルの広い敷地内には緑や花壇、テラス等があり、心休まる空間である。
今までは黒田先生のお弟子さんしか受けたことがなかったそうだが、もっと沢山の方々に受けてほしいとの願いから、この派遣オーディションが生まれたことも付け加えたい。
Ca'Biancaの入り口から庭を眺めて。
こちらが元ライブハウスだったホール(小林侑奈さんが練習中)。
このホールで文化・芸術的なイベントを手掛けるレティツィアさん。
Limen Musicの録音スタジオはイタリアの粋を感じるデザインと素晴らしい音響。スタインウェイ1台が常時置かれ、カメラ6台であらゆる角度からの撮影が可能である。
左より、福田成康ピティナ専務理事、オーナーのミケーレ・ファルツァーニ氏と秘書、黒田亜樹先生、ご主人の杉山洋一先生
黒田先生はミラノ在住10年。ご主人の杉山洋一氏はミラノで指揮者として活躍し、黒田先生はピアニスト・指導者として精力的に活動し、現在7歳の息子さんは現地の小学校に通い、ファミリー揃ってミラノの地に根を下ろしている。「最近ようやくミラノで音楽家として生きていく自信がついてきました」という黒田先生だが、その音楽人脈は素晴らしい勢いで広がっている。
「ピアノタレント国際ジュニアコンクール」ミラノ派遣者が宿泊予定のホテル(Ca'Biancaカ・ビアンカ)には小ホールがあるが、先生が「何とかピアノが弾ける場所がないか」と探して見つけ出した場所で、もともとはジャズのライブハウスだったそうだ。昨年経営者が代わって以来、長年閉鎖されていたこの空間に少しずつ賑わいと華やぎが戻り、音楽や文化的な催し物も定期的に行われるようになり、黒田先生もそこに関わるようになった。その契機となったのが、今年6月に行われた朗読とコンサートの夕べ。「フランス」をテーマに2人の俳優によって小説が朗読され、黒田先生がドビュッシーの音楽や即興でステージを彩っていった。これが好評を博し、次にはスペイン、イギリス・・シリーズも予定されているそうである。
また、イタリアのあるウェブサイトに黒田先生の音源が多数公開されているのをご覧になったことはあるだろうか。実はこれ、全てミラノ市内にあるLimen Musicの録音スタジオで収録されたもの。ここも黒田先生が録音場所を探している時に見つけた場所だそうだ。2011年に発売された「ブルグミュラー:エチュード全集(25&18)」CD/DVDはここで収録されたものである。音響の素晴らしさ、アーティストに対する信頼、メディアの新しい生かし方などに定評があり、イタリアのトップソリストやスカラ座管弦楽団など名手の演奏が録音されており、ヨーロッパ随一の録音スタジオと称されるのも頷ける。
また黒田先生は現在、クラリネットの魔術師と言われるアレッサンドロ・カルボナーレ氏(聖チェチーリア音楽院管弦楽団)との共演を進めるなど、イタリアでも重要な存在になってきている。
さて、そんな黒田先生が若いピアニストに向ける眼差しはとても温かく、そして熱い。実はこれまで何名もの日本人学生さんや若手ピアニストを自宅に受け入れ、お世話したりレッスンをしているそうだ。「私のところは駆け込み寺なんですよ(笑)」とご本人は仰るが、若い学生たちの隠れた能力を引き出し、自ら力を発揮できるように導いている様子が伺える。今回筆者は保屋野美和さん(ハノーファー音楽大学ピアノ伴奏助手)、小林侑奈さん(山梨学院大学附属小学校音楽講師)にお会いした。二人とも黒田先生のいるミラノに定期的に足を運び、イタリアの音楽環境に触れながら、研鑽を積んでいる。保屋野さんは「イタリアは気持ちが開放的になります。杉山先生の指揮クラスで伴奏を経験させて頂き、最初は本当に大変でしたが、初見力がかなりついたと思います。黒田先生には演奏だけでなく、お人柄も本当に尊敬しています」。その経験が今では仕事に繋がり、現在はハノーヴァー音大でコレペティとして活動している。また小林さんも日本で教職に就いているが、年に3回ほどイタリアに通い、気持ちをリフレッシュし、黒田先生の元でピアノ指導や演奏の力を磨いているそうだ。2013年度CHANEL Pygmalion Days参加アーティストに選ばれ、イタリアで暖めたレパートリーを披露するのが楽しみだそう。「彼女はとても成長したね」とご主人の杉山先生も太鼓判を押す。
また山本恵利花さん(ピティナ演奏会員・東京藝術大学大学院2年)は黒田先生に導きにより、東京芸大在学中にイタリアに何度も足を運び、何と3年半の間にイタリアのペスカーラ音楽院高等過程の学位を取得したという。イタリア語も習得し、今では大学院研究科ティー チングアシスタントも務め、声楽伴奏の分野で活躍。そして何よりも視野が広がり、自分に揺るぎない自信が持てるようになったのが、一番の果実だったようだ。
長期留学という選択肢ではなく、数週間単位の短期留学を繰り返し、少しずつその土地に慣れ、着実に学びを吸収していく。東京・ミラノの架け橋となる黒田先生がいたから、それができたのかもしれない。現在は海外にいてもやり取りできるスカイプ・レッスンも取り入れているそうだ。
ところで、イタリアといえばルネッサンスの国である。音楽の殿堂スカラ座前には15世紀に活躍した天才レオナルド・ダ・ヴィンチの銅像が建ち、『最後の晩餐』が展示されているサンタ・マリア・デル・グラツィエ教会もミラノ市内にある。
ルネッサンスとは何か?ローマ在住の歴史小説家・塩野七生氏によれば、それまでの1000年近いキリスト教教会による特権的支配から解き放たれ、人々の「見たい、知りたい」という欲求が一気にあふれ出した時期である。いわばルネッサンスは前時代の反動であり、きわめて自然な人間の欲求に従ったムーブメントなのである。そして新たな資産階級や権力層をもたらし、革新的な芸術家を生み、美しい都市空間を創り、その芸術思潮がイタリアを中心としてヨーロッパに広まっていった。
現在でも一人一人のイタリア人を見ると、新しい思潮を生み出すエネルギーは衰えていないように感じることがある。たとえば「ピアノタレント国際コンクール」主宰のヴィンセンツォ・バルツァーニ先生(Prof.Vincenzo Balzani)は、7つの国際コンクールを創設または運営するという偉業を成し遂げている。その中でも「協奏曲」「ジュニア」は、バルツァーニ先生が起こした2大ムーブメントといっても良いだろう。
まず「協奏曲」を主軸としたカントゥ市国際コンクール。最近でこそ協奏曲コンクールが増えてきたが、これは23年前に立ち上げられている。32名ものピアニストがオーケストラと共演できる貴重な機会だ(古典派協奏曲16名、ロマン派協奏曲16名)。ここで5年前にイタリアの新星フェデリコ・コッリさんが優勝している(2012年リーズコンクール優勝)。
また「ジュニア」対象のコンクールとしては、ヴァルセシア・ムジカ国際ジュニアコンクール(A~F部門、23歳以下、ピアノソロ・デュオ・ヴァイオリン)、ピアノタレント国際コンクール(A~E部門、19歳以下・ピアノソロ)、さらに現在音楽監督を務めるポッツォーリ国際コンクールのキッズ版として、2012年より「子供のためのポッツォリーノ国際コンクール」を立ち上げている。
そしてさらに、「協奏曲」と「ジュニア」を組み合わせたコンクールを、2013年に立ち上げる予定だという。こちらは16歳以下を対象に、ピアノ&オーケストラ部門、ヴァイオリン&オーケストラ部門が開催される。これも早速人気が出そうだ。
ではジュニアに着目した理由とは?バルツァーニ先生ご自身の子供時代について伺ってみた。10歳からピアノを始め、なんと13歳の時にはヴェルディ音楽院での初試験でショパンのエチュードOp.10を弾いたそうだ。18歳の時にヴィオッティ国際コンクールで優勝し、初めてオーケストラと共演。こうした体験を今の子供たちにもさせてあげたいというのが、コンクールを立ち上げる動機になっているそうだ。だから順位よりも"機会"が何より大切なのだろう。
「子供たちは"未来"なんです」と力をこめるバルツァーニ先生は、今年ついに音楽学校"Associazione Piano Friends"を開校した。自らピアノ指導に携るほか、ミラノ大学の心理学科教授(ユーロ・タレンツ主宰)とも連携して、若い才能の発掘・育成に力を注いでいくそうだ。海外の生徒にはスカイプ・レッスンも検討中だという。
八面六腑の活躍のバルツァーニ先生であるが、忙しさを感じさせない落ち着いた佇まいで、言葉には重みがある。会話の中で留学生の話になった時、ふと語った一言が印象深い。
「楽器の練習だけでなく、ぜひ人間の歴史を学んでほしい」。
だからこそ、子どもたちの未来に人一番熱心なのである。
<参考ページ>
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/