リーズ国際コンクール(22)審査員R・レヴィン先生:リスクから生まれる創造性
2012/09/22
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国際コンクールでよく囁かれる言葉の一つに、「アーティストのような演奏」と「生徒のような演奏」がある。両者は何が違うのだろうか。アーティストの演奏が、自ら考えて創造する演奏だとすれば、それはどのようにすればよいのだろうか。今回が二度目のリーズ国際コンクール審査となるロバート・レヴィン先生(ハーバード大教授)に話をお伺いした。百科事典のごとく博識で即興の名人でもあり、自らもバッハ国際コンクールを主宰している立場から、アーティストに求められているものについて語って頂いた。
―前回ご審査された時(2003年)と比べて、今回の印象はいかがでしたでしょうか。
前回審査した2003年よりレベルはさらに高くなっています。様々な点において、世界最高レベルの国際コンクールの一つだと思います。ファイナリスト6名だけでなく、セミファイナリストも素晴らしかったですし、そこまで残れなかったピアニストの中にも良い才能がいました。最終結果は発表の瞬間まで我々も知りませんでしたが、ファイナリスト6名の誰が優勝してもよいと思っていました。それぞれ違った個性とピアニズムを持っていますから。
―セミファイナルはどうご覧になりましたか?ほぼフリープログラム(共通課題曲のブリテン『ノットゥルノ』以外)でしたが、レパートリーに関してはいかがでしょうか。
レパートリーとはそのピアニスト自身の反映だと思っています。しかしある時、ごくひと握りの曲が国際コンクールで非常によく選ばれる傾向にあると気づきました。このコンクールでも、少数の曲が何度も何度も何度も弾かれていました。リストのソナタ、ラフマニノフの2番ソナタ、ラヴェル『夜のガスパール』等・・・ベートーヴェンのソナタも32曲中4曲くらいしか弾かれません。こうした傾向を見ていると、あたかも出場者が「できる限り最高難度のテクニックを要する曲を弾かなければならない」と思いこんでいるのではないかと思ってしまいます。こうした考え方は芸術性を損なうものだと思います。
私が主宰しているバッハ国際コンクール(独ライプツィヒ)では、バッハ作品における未来的な解釈をテーマにしているため、各ラウンドで課題曲をある程度指定しています。しかしリーズではほとんど課題曲がないため、彼らが何を弾きたいのか、あるいは何を弾かなくてはいけないと思っているのか、真の姿が明らかになります。これは私がファニー・ウォーターマン先生を尊敬している点の一つです。
もちろんラフマニノフの2番ソナタや夜のガスパール等は素晴らしい曲ですが、もし9人、17人、28人・・とあまりに多くのピアニストが弾くと、演奏者による差というものはあまり意味がなくなってきます。また、私自身はあまり出場者同士を「比較」したくはありません。ピアニストがステージに出てくるたびに、私は自分の心をオープンにし、彼らが私の心に語りかけ、自然に涙をもたらしてくれる瞬間を待っているのです。「この人こそ私が待っていたピアニストだ」と。そのピアニストが心から愛している曲を弾き、そこから愛情と高揚感が自然に溢れ出て、我々もそれを愛さずにはいられない、それはまさに魔法の瞬間です。もちろん一音一音決められたように正確に弾く能力というのもあり、それには脱帽しますが、あまり心は動かされません。
審査においては、各ラウンドで通過者を何名かを選ばなければなりませんので、その時はいつも、「もう一度聴いてみたいピアニスト」を選ぶようにしています。もし規定人数以上のピアニストに"YES"をあげたくなってしまう場合は、そこで初めて細かい部分に目を向けます。
最も尊敬するのは、想像力豊かな演奏ですね。例えばバッハ国際コンクールでは事前に審査員に伝えていることがあります。それは、予選ではもし自分と正反対の解釈であったとしても、彼らなりの想像力や思想があればぜひ次に進めてあげてほしい、ということ。審査員には事前に、「最終結果発表の後に『アイディアがあると思ったピアニストが、ファイナルに残りましたか?』という質問をさせて頂きます」と伝えています。これはコンクールにおいて最も重要なことだと思います。音楽は芸術なのです。
今回(リーズで)優勝したフェデリコ・コッリさんは、自分の視点を持っていました。もちろん別の考えを持つ人もいると思いますが。誰よりも幅広く興味深い音のパレットを持ち、大変な優美さもあり、また必要とあらば大胆・華麗に弾くこともできる。洗練されたアーティストだと思います。モーツァルトなどもいとも容易く(見事に)弾くのですが、この自然さというのが実はとても難しいのです。
彼は2011年度モーツァルト国際コンクールでも優勝していますが、私はその時の審査員でもありました。当時交わした言葉を彼は覚えてくれていて、今回のガラコンサート後に笑顔でこう話しかけてくれました。「レヴィン先生、私は1年半前に先生から『リスクを取れ』と助言して頂いたのですが、それから何度もその言葉について考えました。今回第一次予選でブラームス『パガニーニの主題による変奏曲』を弾いた時も、果たして自分がこの曲を弾けるんだろうか?弾いてもいいのだろうか?と、先生の言葉が頭をよぎりました」。そこで私は「そのように考えてくれたのならば、君の将来はきっと良い方向に行くと思いますよ」と伝えました。
コンサートは、ある意味、聴き手の人生を変える機会でもあると思うのです。中には演奏会の後も興奮冷めやらず、夜中の2時3時まで演奏について語り合う聴衆もいるでしょう。そういう演奏であってほしい、と私はよく若いアーティストに伝えています。
たとえば映画『ミッション・インポッシブル』では主人公が最後には無事に危機を乗り越えることが分かっていても、彼が危険な状況に陥り、それが解決されるまで我々は手に汗を握りながら展開を見守るわけです。音楽も同様です。演奏の場合には、そこにコミットメント、ドラマ、色彩感、畏怖、官能・・等があるはずです。それだけでなく、モラル、つまり誠実さも大事です。演奏に聴衆の感情を変える力があるとすれば、それは正しい理由で行われなければなりません。聴衆が何より大事であり、彼らに理解してもらえるようにするべき。そして聴衆はそのメッセージが目の前に差し出された大きな鏡であることに気づき、例えばベートーヴェンの熱情ソナタの中に彼ら自身を見出すわけです。私自身の人生にも、熱情ソナタのように、恐れ、官能、忘我の境地・・等があってほしいですね。
―レヴィン先生ご自身の"リスク"を教えて頂けますか?
私はいつもリスクを取っています。毎回カデンツァを即興しているのもそのためです。聴衆も、オーケストラも、私も、その先がどうなるか分からないという状況で、会場の空気が次第に張り詰めていくのが分かります。そしてカデンツァが終わりオーケストラが入ってきた瞬間、はーっと安堵の雰囲気に変わるのです。
そういえば2003年に初めてリーズで審査をした時、1週目の週末にファニー先生のご自宅でパーティがありました。その時、審査員一人一人に何か1曲弾いてくれるよう頼まれたので、私はその場で『ファニー先生(名前)の主題によるワルツ』を即興しました。今年もまた頼まれましたので、今回は同じテーマでちょっとキャラクターを変えて演奏しました。もちろん全く違う曲になりましたよ(笑)。
―それはファニーですね、ぜひ聴いてみたいものです!貴重なお話をありがとうございました。これからまた(音楽上の)リスクを取っていくだろうコッリさんも楽しみですね。レヴィン先生も今後ますます精力的にご活躍ください。
優勝したフェデリコ・コッリさんにとって、第一次予選のブラームス『パガニーニの主題による変奏曲』が自身にとって最もリスクだったようだが、奇しくも、この曲を最も高く評価する人が多かったようだ。ちなみにコッリさんは"リスクを取る"ことを、「自分のためでもなく、自分のキャリアのためでもなく、審査員のためでもなく、聴衆のために弾くこと、極限まで表現すること」と解釈していた。
2012年度リーズ国際コンクールは既に幕を閉じたが、これからもまた若く実力あるピアニストが腕を磨いて挑んでくるだろう。リポートの最後は、創立者であり、審査員長であるファニー・ウォーターマン先生の言葉で結びたい。
アーティストにとって大切なもの、それは「インテグリティ(integrity)、誠実さ(honesty)、知識(knowledge)」である。
菅野 恵理子(すがのえりこ)
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/
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