リーズ国際コンクール(13)審査員ジョン・オコーナー先生:選曲について&語りの文化
2012/09/14
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いよいよ今夜からファイナルが始まる。それに先立ち審査員インタビューをお届けしたい。一次予選では25‐30分・二次予選50‐55分・セミファイナル65‐70分のプログラムを組むわけだが、先に進めば進むほど選曲の大切さが重みを増してくる。そこで今回は審査員の一人ジョン・オコーナー先生に話をお伺いした。オコーナー先生はダブリン国際コンクール主宰で、創始時から「完全フリープログラム」を貫いている。
―最近のコンクールでは選曲の自由度が高まっているように思います。オコーナー先生が主宰されているダブリン国際コンクールでは、全てのラウンドでフリープログラムとなっていますが、「自由」の中でどのようにバランスを取りながら個人個人に合った選曲をするとよいと思われますか。
コンサートのプログラムを組むのと同じですね。聴衆は「そのアーティストが自分自身を理解してプログラムを組んでいる」と期待して足を運ぶわけです。プログラムは興味深い曲であったり、挑戦的であったり、刺激的であったり、あるいは深みのある曲目であったり、人それぞれです。
コンクールでは審査員の前で弾くわけですから、審査員を魅了するようなプログラムであってほしいですね。やはりその場に相応しいプログラムというのがあると思います。一つ興味深い例としては、今回のセミファイナルでワグナー=リスト「イゾルデの愛の死」で終えたプログラムがありましたが、これは一つのチャレンジでした。というのも普通であればクライマックスにならないような曲で、クライマックスが作れると証明したわけですから。最後をこの曲で締め括るというのは、聴く側の気分も高揚するものですね。
何名かはいわゆるよく弾かれる曲(ショパンのソナタやブラームスの各変奏曲など)を選んでいました。このような曲を弾く場合は、どうしても他と比較されることになってしまいます。何らかの新しいアイディアを見せるか、あるいは初めて聴く曲のように新鮮に聞こえてこなければなりません。
耳が肥えている聴衆は、「あなたが何を弾くか」ではなく、「どう考えているか」を聴いています。あなたが本当にその曲を愛していて何かを伝えたいと思えば、それを伝えること。聴衆は自分もその曲を愛したい、と思っているのです。
―ファイナリスト6名中5名は20代半ばですね。この結果をどのように捉えていらっしゃいますか。
キャリアをスタートさせるにはちょうどいい年齢ですね。レパートリーを幅広く学び、経験も積んできていると思うので、コンサート活動に向けての準備が整っていると思います。
次の「神童」を探しているエージェントもあるかもしれませんが、私はその考えは好きではありません。音楽的なアイディアがないと、速く上手に弾けるだけではいつか飽きられてしまいます。とはいえ、その賞に値すると思えば年齢は関係ありません。例えば今年ダブリン国際コンクールでは19歳のピアニストが優勝しましたが、彼には大変な才能があり、十分その賞に値すると思います。
私がコンサート活動を始めたのは23歳の時でしたが、ロンドンのレコーディング・エージェントの社長に「まずは小さなコンサートを多くこなしなさい、大きいコンサートは必ず後からやってくるから」と助言を頂いたのを覚えています。
また、自分が特別に思える曲とそうでないものを見極めることも大事です。ある米国でのツアー中、たまたまラジオからラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の生演奏が聞こえてきました。私はもちろんこの曲を熟知していましたが、その時、「これは自分の音楽ではない」と咄嗟に悟りました。そこですぐエージェントに電話し、その後のコンサートで組まれていたラフマニノフ2番を全て外し、それ以降一度も弾いたことはありません。ピアニストは自分がどの音楽を追求するのかを、真摯に探し求めていかなくてはならないと思います。最初の話に戻りますが、プログラムが自由に選べる場合には特にそうです。
―選曲はまさに思想の反映ですね。ところで出場者の中で英国文化圏出身のピアニストに(それ以外にもいますが)、ストーリーテラーとしての潜在能力を感じました。先生は隣国アイルランドご出身ですが、アイルランドにおける語り部の文化やその歴史を教えて頂けますか。
アイルランドでは20世紀初頭まで、一般庶民はあまり読み書きができませでした。「シャナヒ(old story teller)」と呼ばれるストーリーテラーが、町から町へと移動してはグリム童話や自分の創作話などを人々に語っていました。彼らが町へやってくると人々は無償で食事や宿泊場所を提供していました。1日の仕事が終わって夜になると、町中の人がその家に集まってきて彼らの話に耳を傾けたのです。腕のよいシャナヒはどの町でも大歓迎され、稼ぎも良かったようですね。当時の一般庶民にとって近くの町に行くことすらもちょっとした冒険で、まして遠方への旅などなかなかできませんでしたから、シャナヒが町にやってくることは大切な年間行事でもあったのです。
こうしたストーリーテリングの文化は、今でもアイルランドに影響を残していると思います。伝統音楽も色濃く残っています。楽器はハープ、パイプ等沢山あり、チーフトンズ(The Chieftains)等のフォークグループによって世界中に知られるようになりました。昨年日本で旭日章の叙勲を受けた時、美智子皇后陛下と共にコンサートに出演させて頂いたのですが、皇后陛下はアイルランドがとてもお好きで、アイルランド民謡もよくご存知でした。日本でよく知られている歌もありますね。
アイルランド民謡は世代から世代へと着実に受け継がれています。現在はリバーダンス(River Dance)を通じて広まっています。語り、舞踊、音楽は、いずれもアイルランド文化にとって重要なものです。
―アイルランドのもつ豊かな文化の土壌を感じます。語りと音楽が融合したようなものはありますか?
伝統的なアイルランド唱歌の中には、独特の形式を持つものがあります。アイルランドの歴史的事件や出来事が歌詞になっていて、音楽にのせてそれを物語るというものです。99の韻文があり、小学校でもその一部を教わることができます。
またアイルランドは演劇も盛んです。私の両親もよく舞台を観に行っていました。私も小学校では演劇とスピーチのクラスを取っていて、特に詩が好きでした。小学校では毎年演劇発表会があり、シェイクスピアやバーナードショー等の作品を演じていました。大学でも演劇研究会で活動していました(現在ご子息が映画・舞台俳優として活躍中)。
―ストーリーを語るためには文脈が存在するわけで、それは楽曲の解釈や楽器の演奏においても大切な要素だと思います。選曲に関するご見解も含めて、貴重なお話をありがとうございました。
菅野 恵理子(すがのえりこ)
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/
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