海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

リーズ国際コンクール(9)審査員パスカル・ロジェ先生:グローバル時代の音楽との関わり方

2012/09/11
今回の出場者の中には自分の生まれ育った国を早くに離れ、10代から留学している人も多いようだ。流動化するグローバル社会は、音楽との関わり方にも変化をもたらしているのだろうか。今回は審査員の一人で、コンサート活動で世界中を巡っているパスカル・ロジェ先生にお伺いした。

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―最近は自分の生まれ育った国や地域を離れて、早くから他国へ留学する学生が増えているように思います。彼ら若い世代のピアノ演奏を聴いて、どのような印象を持たれましたか?

素晴らしいテクニックで様々な曲を弾いていますが、その作曲・時代背景・様式などに目を向けていないと思われる演奏は残念に思います。例えばベートーヴェンはどこに住み、どの文化に属していたのか。音楽はそこから生まれているわけですから、その背景が重要です。シンプルなドビュッシーの前奏曲などを弾く時にも、ただ楽譜通りに弾くだけで、思想が背後にないことがあります。ドビュッシーが何を見て、何を読み、どこに住み・・といったリファレンスが大事です。

―ロジェ先生ご自身は、世界各国を巡る中で新しい知見や視点を得られてきたと思います。ご自分の文化に属していない音楽についてはどのように学ばれましたか。

作曲家の伝記をたくさん読んだり、どんな音楽や詩が彼の周りにあったのか、またその時代背景やそれまでの歴史を知るように心がけています。音楽がどのようなコンテクストで作曲されたのかを知ることが大事です。私は多くの国や街を訪れる機会に恵まれましたが、何より師匠であったジュリアス・カッチェンのアドバイスが、私に重要な指針を与えてくれました。それは「ピアノから離れなさい。美術館に行ったり、郊外に出向いて自然に触れたり、常に自分自身でいることを心がけなさい」ということです。
今は世界中の情報や知識に触れ、色々な人とすぐにコンタクトが取れる時代になりました。ただ不思議なことに、「世界」がすぐそこにあるはずなのに、若い世代の文化や世界に対する興味の範囲は、より狭くなっているように感じるのです。

―興味の対象が狭くなっている理由はどこにあると思われますか

何でも簡単に手に入りすぎるのでしょうね。昔は何かを手に入れたいと思えば、学校に通ったり、書店で本を探したり、その国に足を運んだりしたものですが、今は何でもすぐその場で手に入るし、何でも可能です。あまりに身近にあると意識しなくなるもので、逆にどこから始めたらいいのか分からなくなるのではないでしょうか。若い世代が新しいテクノロジーやライフスタイルにどのように適応しているのだろうか、と不思議に思うことがあります。
私は日本がとても好きなのですが、それは未来に向かって進んでいるのに、伝統や過去も同時に共存している、つまり過去・現在・未来がしっかり結ばれているからだと思います。

―私もヨーロッパに対して同じような印象を抱いているのですが、世界が想像以上のスピードで変化しているのは確かですね。ロジェ先生は様々な国に訪れたり住んでいらっしゃいますが、「いつでもフランスが自分の精神基盤である」と仰っていたのを覚えています。世界各国を巡るようになったのは何歳頃からでしょうか。

コンサート等で世界を廻り始めたのは20歳の時です。それまで学生時代はパリの同じ学校で同じ先生にずっと習っていました。その後も15年ほどパリに住み、それからジュネーブやニューヨークなど別の国に住み始めました。ですからたとえ今は住んでいなくとも、私の文化・教育・精神の基盤はフランスにあります。今の若い世代はそういった基盤ができる前に移動する例が多いので少し心配しています。どの文化に属しているのかという基盤がなくなると、アイデンティティの根源が失われていまいますから。

私はここ20年ほどフランス音楽に集中的に取り組んでいますが、フランスで受けた教育は今でも記憶の中に鮮明に残っていて、時々思い返しています。マルグリット・ロン先生とのレッスンもよく覚えていますよ。あの時もっといろいろな質問をしておけばよかったと思いますね。あとになって、それがいかに重要だったのかに気づきました。プーランクの音楽も当時は分かったようなつもりでいましたが、色々質問できる環境にいたことのありがたみを今になって感じます。

―リーズコンクールでは各予選結果発表後に出場者が審査員と会話できる場がありますが、色々質問して新たな視点を得るきっかけになるといいですね。ところでプログラム構成に関してですが、現代曲を組み合わせるピアニストが多いと思いますが、どのように思われますか。

現代の作品を弾くのはいいことだと思います。グルダの曲("Play Piano Play, ")を弾いていた子もいましたね、とても面白かったですよ。プログラム構成はとても大事です。自分のリサイタルでは「旅」しているように感じられるプログラムを考えています。フォーレ、ドビュッシー、ラヴェル・・の他、あまり知られていない作曲家の作品を入れることもあります。プログラムは自分の思想を反映したものや、聴衆と共有したいものを組み合わせるようにしています。超絶技巧の曲よりは、フランス音楽独特の音や色彩を感じてもらえればと思います。
最近はソロリサイタルだけでなく、妻(Amiさん)とのピアノデュオや、日本ではアーティストの束芋さんとコラボレーションをしています。今年11月にも共演予定で、今回は色彩・映像・音が融合したステージで、ショパン、シューマン、ラヴェル、ドビュッシー等、いずれもビジュアルを連想させる曲を演奏する予定です。(2012年11月2日・3日/浜離宮朝日ホール)

―貴重なお話をありがとうございました。11月のコンサートも楽しみですね。


菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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