海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

リーズ国際コンクール(2)第一次予選3・4日目

2012/09/02
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リーズ国際ピアノコンクール3・4日目が終了した。日本人3名もいよいよ登場。前回と同様に、3つのP(Perspectiveパースペクティブ、Programプログラム、Peronalityパーソナリティ)の3点において、印象的な演奏を振り返ってみたい。(写真は決勝会場のタウンホール)

●パースペクティブの面白さ

ルイ・シュビーツゲベル(Louis Schwizgebel、スイス・24歳)はモーツァルトのソナタK311、ショパンのバラード3番、シューベルト=リスト「魔王」。モーツァルトが実に素晴らしく(!)、優美さや上品さを兼ね備えながら旋律の歌わせ方はごく自然で開放的であり、モーツァルトらしさが伝わってくる。第3楽章はオペラで人物が会話しているかのごとく、各フレーズによってキャラクターと口調を変化させる。ショパンも全体像を見据えた演奏。落ち着いた呼吸でフレーズを長く捉え、節度あるディナーミクの幅の中でフレーズの繋ぎ方によってストーリーを創り出す。「魔王」でも楽節毎に人物像を描きわけ、演奏者がさながら雄弁なナレータのようだった。

シンユァン・ワン(XinYuan Wang、中国・17)はベートーヴェンop.109、リスト超絶技巧練習曲『雪かき』、ラフマニノフ絵画的練習曲op.39-3。彼も緊張感に満ちたベートーヴェンが印象的。上昇・下降していく音にも緊張感が漲り、付点やシンコペーション等、一つ一つの要素に反映された作曲家独特の呼吸に意味を見出している。リストはゆったりとしたテンポで雄大な風景描写のような演奏。ラフマニノフも含めてもう少し繊細さがあればなおいいが、描こうとしている情景は伝わってくる。

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阪田知樹さん(Tomoki Sakata、日本・18歳)はJ.S.バッハ平均律第1巻BWV848、ショパンのエチュードop.10-2、ベートーヴェン熱情ソナタ。明快なアーティキュレーションと活力溢れるバッハと、情熱的なベートーヴェンの間に挟んだショパンは、打鍵の存在を感じさない滑らかさで一陣の風のように駆け抜ける。ショパンの最終音よりさらに深く沈み込むような音で始まったベートーヴェンは、1・3楽章でディナーミクのコントラストを最大限に強調。主題・副次主題の提示が大変堂々としており、これが全体を貫いていた。第2楽章はもう少し思索があると良いと思われる。
(写真は終演後。右は、リーズ大学で化学の研究者として従事している日本人のお二人)

トマー・ゲブルツマン(Tomer Gewirtzman、イスラエル・22歳)はJ.S.バッハ平均律第1巻BWV857、ショパンのエチュードOp.25-7,10、スクリャービンのソナタ第5番。全体として、堅牢なバス音の上に旋律が自在にのる構成。それがショパンのみならずバッハでも感じさせた。かといってバッハではポリフォニックな感覚も失われていない。音が内省的であり、ショパン等はもう少し煌めくような音があるとより引き立つフレーズがあるだろう。スクリャービンは後半に重心を置く構成で締め括った。

シーウェイ・ファン(Shih-Wei Huang、台湾・24歳)はJ.S.バッハ平均律第2巻BWV873、ショパンのエチュードop.10-4、ベートーヴェンのソナタop.110。華奢な身体ながら精一杯の打鍵で大曲を弾く。ディナーミクはさほど幅広くないがその中でストーリー展開があり、ベートーヴェンではdolenteから歓喜の表情に至る時の音質や、フーガの扱いなどが慎重に考えられている。

●プログラム構成の妙

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アンドレイ・デュボフ(Andrey Debov、ロシア・24歳)はモーツァルトのソナタK533/494、ラヴェル「夜のガスパール」よりスカルボ。様式感を踏まえながら幅広い音質を適材適所で使える力があるので、プログラム構成も多彩にできる。モーツァルトは控えめな艶のある音で節度をもったアプローチ。ラヴェルは一転してダイナミックな演奏ながら、響きの捉え方が洗練されており重要な音が見極められているので、ハーモニーが混濁せずに響いてくる。
(写真は国際コンクール研究家のGustav Alink氏(左)と、1981年第2位入賞者Walfgang Manz氏(右)。現在ニュールンベルグ大学教授で、ご子息Sebastianさんは有名なクラリネット奏者)

ザン・ゾウ(Zhang Zuo、中国・22歳)はJ.S.バッハのパルティータ第1番、リストのハンガリー狂詩曲。質の良いテクニックとリズム感を持ち、バッハは透明感のある和声の処理と舞踏形式に相応しい弾むようなリズムで、最後のジーグに至るまで、空間の広がりを感じさせる軽やかな演奏に仕上がった。リストもどんなパッセージも難なくこなしながら、ちょっとした艶と香りづけもある。スペインの濃厚な情熱というより、重さを感じさせない小気味よい演奏。

エスター・パク(Esther Park、米国・28歳)はベートーヴェンのソナタop.27-1、バルトーク「戸外にて」という組み合わせ。様式感を踏まえたベートーヴェンだったが、形の中に安住せず、その中にある精神性に肉迫するための様式感であってほしい。バルトークは情景描写が優れており、特に「夜の音楽」では冷ややかな闇夜の中に恐れや不安といった心理も表現されていた。


●パーソナリティの反映

アンドリュー・タイソン(Andrew Tyson、米国・25歳)はショパンのマズルカOP.59-1,2,3、ベートーヴェンのソナタOp.81a『告別』。特にベートーヴェンは大変集中力の高い、緊張感に満ちた演奏を聴かせてくれた。まず第1楽章冒頭、3音目のぐっと内に入り込む音でこれからの展開を予感させる。フレーズの運びはいずれも慎重にかつ方向性がよく考えられており、行間にも多くの意味を含み、聴き手の集中力も逸らさない。第2楽章は抑制されたテンポの中で内省的にハーモニーを奏でていく。第3楽章は一転して緊張から解放され、歓喜の表情に。特に最後の主題の再現では、第1楽章からの物語が全てが凝縮されたようなエッセンスが詰まっていた。2年前にショパンコンクールで聞かせて頂いたが、今回は音楽の内面を真剣に見つめる、非常に大人びた印象をもった。

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ショーン・ケナード(Sean Kennard、米国・27歳)はバッハのパルティータ第4番、クライスラー=ラフマニノフ『愛の喜び』。音楽の中にある闊達さ、躍動感、一瞬の翳りなどを、余計な肉付けをせず自然に表出したような演奏。『愛の喜び』は華やかで開放的、自然に笑みが浮かぶような演奏だった。
(写真はオリンピック鑑賞用の特大スクリーン)

アレクセイ・メルニコフ(Alexei Melnikov、ロシア・22歳)はグルック=ズガンバティ『オルフェオとエウリディーチェ』、ベートーヴェンの熱情ソナタ。修行僧のような佇まいの彼は音楽も内省的。『オルフェオ・・』は一音一音が研ぎ澄まされ、その透明感は二人の純愛を描いた世界観にふさわしいものだった。ベートーヴェンも内省的なアプローチであり、特に第2楽章に彼の精神性が反映されていた。高貴さもあるが、時にそれを打ち破るようなエネルギーがあると、さらにこの作品の内奥に近づくのではないかと思う。

渡辺友理さん(Yuri Watanabe、日本・24歳)はラフマニノフOp.32-12、ベートーヴェンのソナタ「ワルトシュタイン」。ラフマニノフは連鎖するフレーズの行間に、情熱と繊細さ、内省とその開放が交互に行き交い、それが音楽を前へと進めている。ベートーヴェンも同じ推進力と内省的な音を感じるが、その中に特別な音を配して印象づける。特に第2楽章から3楽章へ移行するパッセージの音は、そのまま第3楽章において夢想のような性格を与えていた。

須藤梨菜さん(Rina Sudo、日本・24歳)はベートーヴェンのソナタOp.10-2、リストのハンガリー狂詩曲、ビゼー=ホロヴィッツのカルメン変奏曲。優れたテクニックでどの作品も難なく弾きこなしている。ベートーヴェンはフレーズ間に意味を見いだせるといいと思うが明るい音質で丁寧に、リストは若々しくエネルギッシュに、そしてカルメン変奏曲は軽快なリズム感などが生きた演奏。いずれも彼女の長所が生かされた演奏だった。

一次予選は毎日10時、14時半、19時に開演する(日本時間の18時、22時半、翌3時)。審査員参加者・プログラム、演奏順はこちらへ!


菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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