海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

20代の音楽祭体験(5)室内楽体験を! 全ては始めの一歩から―ちちぶ国際音楽祭

2012/08/28

室内楽&協奏曲を初体験できるプログラム

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秩父の美しい自然。

埼玉県秩父市で今年初めて「ちちぶ国際音楽祭」が8月20日から26日まで開かれた。前夜祭オペラ公演(『メリー・ウィドウ』)から始まり、毎日のようにコンサート、室内楽&マスタークラス、合唱コンクール、街中コンサートなどが開催された。ボストンを始め海外から教授やアーティストが招聘され、「ここは日本じゃないみたい」という声もささやかれるほど、国際色豊かな雰囲気に包まれた。今回はその一部をリポートする。

●初めての室内楽&協奏曲体験のために

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多喜靖美先生による室内楽のマスタークラス。

この音楽祭の目玉の一つは、室内楽と協奏曲を体験するプログラム「ユース&ミューズ」。室内楽+協奏曲コースは中学生以上22歳以下、室内楽コースは中学生以上25歳以下という条件で、ピアノ6名、ヴァイオリン6名、ヴィオラ、チェロ各1名が参加した。マスタークラスの指導・共演にあたったのは海外招聘指導者と共演指導者の各氏で、受講生は彼らと一緒に弾きながら室内楽の学びを深めていった。今回は多喜靖美先生の室内楽マスタークラスを見学させて頂いた。(曲はシューマンのピアノ四重奏曲、ベートーヴェンのピアノ三重奏第3番、モーツァルトのピアノ四重奏曲第1番、チャイコフスキーのピアノ三重奏曲)。

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ドンウー・リー先生による室内楽のマスタークラス(チャイコフスキー三重奏曲)。作曲家・作曲の背景や演奏指示について、楽譜を丹念に読みながら解釈を深めていくレッスン。

長年にわたって室内楽を指導されている多喜先生は、各トリオ、カルテットに対して簡潔で的確なアドバイスをしていく。拍感をしっかり保つこと、ピアノのバス音をしっかり聴くこと、その上に弦の響きが乗ると意識すること、メロディだけに気を取られず和声全体を意識すること、フレーズを長く取ること、各作曲家の特徴など、基本的なことを次々とアドバイスしていく。最も指摘が多かったのは、弦のボウイングを意識しながらピアノを打鍵すること。例えばモーツァルトのピアノ四重奏曲第1番冒頭の弦のボウイングを見せ、アップでフレーズが終わることを確認。そのことを意識して打鍵すると、ピアノの音色や響き方はまるで変化し、より弦楽器に寄り添った音質になっていく。また弦はモーツァルトの時代と変わらないがピアノは大幅に変化していることを踏まえ、ディナーミクに考慮することもアドバイス。こうした重要なポイントを意識するだけで、全体の印象が変化していく。

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指揮者のブルース・ハンゲン氏と。久保山菜摘さん(右端)はチャイコフスキーのピアノ三重奏とベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番全楽章を演奏した。

室内楽マスタークラスは他にもブルース・ハンゲン氏(cond,ボストン音楽院音楽監督、元ボストン交響楽団指揮者)、ピーター・ゲッツェル氏(vn,ウィーンフィルメンバー)、ドンウー・リー氏(vc, 元KBS交響楽団首席奏者)、ミシェル・ミカラカコス(va, パリ音楽院教授)など、アーティストが講師となって実施された。ピアノだけでなく、ヴァイオリンの学生にとっても、専攻楽器以外の指導者からアドバイスを得られるというのは新鮮だったよう。「今まではヴァイオリンだけのセミナーしか参加したことがなかったのですが、素晴らしいピアニストの方々とトリオなどができて勉強になりました」。(vn谷村愛美さん)

また多喜先生は連弾ワークショップも開催。ピアノソロ曲(チェルニー30番とブルグミュラー)を連弾で弾いてもらい、右手と左手がどのようにハーモニーを作っているかを学んでもらったそうだ。「室内楽作品がどのようにできているのかという、違う角度のアナリーゼ」という多喜先生ならではのユニークなアプローチ。見学されたピアノの先生方は、室内楽は急にできないけれどこれはすぐやってみたい、という感想が多かったそうである。

●アーティストとの共演から得られる刺激

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今回は第1回目ながら、アメリカ、オーストリア、フランス、トルコ、韓国などからアーティストが来日し、国際色豊かな音楽祭となった。会場では英語が公用語で、国際的な雰囲気に包まれていた。アーティストとの共演も若い音楽家にとって何よりの刺激になったようだ。
久保山菜摘さんは「協奏曲の夕べ」(8/24)で、ブルース・ハンゲン指揮・ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番『皇帝』全楽章を演奏した。共演の「ちちぶ国際音楽祭オーケストラ」は、招聘教授・共演指導者・受講生に加え、東京音大卒業生を中心とした若手フリー演奏家等が集まったオーケストラで、大変レベルが高かったと評判になった。
久保山さんは「トップレベルの指揮者やウィーンフィルの方、ボストン音楽院の教授など、色々な国籍の方と共演させて頂くことができました。(『皇帝』の)間奏は本当に幸せな時間でした。音楽は感じることが一番だと思いますが、今まで以上にそれが感じられました」と幸せそうに語ってくれた。大学ではヴァイオリンやチェロの伴奏をよく頼まれ、ソロと同じくらいの感覚で室内楽を勉強して刺激をもらっているそうだ。

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海外招聘指導員とYouth&Muse受講生の皆さん。

その他の受講生も「アーティスト距離が近くて、楽器を弾いている時以外にも音楽に対する想いなどを知ることができてよかったです(pf小熊芙美子さん)」、また「室内楽は初めてでしたが、指導者の方と共演したり、豪華に初経験させて頂きました。指導者がほとんど外国人で国際感が出ていて、語学の勉強にもなりました(pf, 鈴木啓資さん)」との感想を寄せてくれた。

この3名と協奏曲を共演したハンゲン氏は「皆さんとても才能があり、良い音楽教育を受けていて素晴らしかったです。オケも見事でした」と讃えた。ハンゲン氏は父がチェリストで指揮者、母はピアニストという音楽一家に生まれ、14歳の時に指揮者になることを決心。一方高校時代には自前のジャズバンドを結成し、ポップスやジャズはごく普通に日常にあったそうだ。「昨日ガーシュウィン『ラプソディ・イン・ブルー』も演奏しましたが、これもアメリカの文化の一部であり、我々にとってはごく自然な音楽言語です。例えばベートーヴェンやモーツァルト等に様式があり適切なアプローチがありますが、ガーシュウィンに対しても同じことがいえると思います」。

この音楽に対する幅広いアプローチは、ある日本人にも確実に伝わっている。それはハンゲン氏のボストン音楽院における初の生徒であり、このちちぶ音楽祭音楽監督の佐藤洋平氏(指揮者)である。

●実行委員の熱意×地元ボランティアの好奇心が導いた音楽祭

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ジャズコンサートにて(栗谷かずよカルテット)。佐藤洋平さん(右端)のユーモラスな司会も。

この第1回ちちぶ音楽祭は、様々な音楽家の熱意と地元ボランティアの好奇心によって、3年越しで開催の運びとなった。これは音楽監督の佐藤洋平氏が、2008年ボストン音楽院で始めた教育プログラムが発端となっている。

「留学先のボストン音楽院で色々な方に助けられましたので、今度は自分が経験したものをお返しする番と思っていました。指導者として未熟でしたが、思い切って大学院卒業後の2008年に始めました」。

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「ボストン音楽院の教育プログラムを日本でも」と熱意を語る佐藤洋平氏。

そして2010年夏、多喜靖美先生がワシントンDCで行われたワシントン国際ピアノフェスティバル教授として招聘された帰りにプライベートで訪れたボストンで、偶然ボストン音楽院を訪問。そこでブルース・ハンゲン氏を通じて佐藤氏を紹介され、その年11月に多喜先生主宰ステップに佐藤氏の同志である谷口賢記氏(vc)が見学に訪れ、すっかり意気投合して「室内楽を日本に広めましょう」と動き出したそうだ。実は昨年第1回が開催される予定だったが、東日本大震災の影響で延期になり、関係者のみでシミュレーション的に行われた。そんな経緯を経ての今年である。

ボストンの教育プログラムよりも拡大した形で始まったちちぶ音楽祭であるが、オペラ、オーケストラ、室内楽、合唱、ジャズコンサート・・とプログラムは実に多岐にわたる。その理由を佐藤氏に伺った。

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アウトリーチコンサートにて。ピアノ、ヴァイオリン、チェロについて楽しく分かりすい解説をする多喜先生。

「例えばニューヨークでは色々な音楽のジャンルがありますが、ポップスやジャズにヴァイオリンが入ると盛り上がるし、クラシック音楽の楽器が現代の音楽と自然に融合しています。そんな現状を見て、様々なジャンルの音楽を入れることで、「音楽って楽しい」と感じて頂ければと思います(フルートを含むジャズコンサートも開催)。アウトリーチコンサートも大事で、海外アーティストに出演頂くことにもインパクトがある。それであればぜひ教えたい!ということで皆さんには賛同して頂きました」。

さらに秩父市民の積極的な協力体制も見逃せない。多喜先生によれば、「実行委員長の池田俊江先生、鈴木啓三氏はとてもよく動いて下さいましたし、青年会議所など地元の若い方々が『自分たちは音楽のことはあまり分からないけど、秩父でそんな凄いことをするのであれば、ぜひ色々やりましょう!』とトップの方が積極的に動いて下さいました。青年会議所は個人経営や起業家の方が多く、そのような思考があるのだと思います。場内整理など色々ボランティアでやって下さっています」。

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アウトリーチコンサートにて小学校のコーラスグループが、地元で生まれた歌『旅立ちの日に』を熱唱。

そんな秩父市民への感謝の気持ちを込め、グリーティングコンサート(多喜先生始め招聘教授が出演)や、市内保育園・病院・学校などへのアウトリーチコンサートが連日行われた。

実は秩父は合唱曲『旅立ちの日に』(小中学校卒業式で歌われる曲の全国1位)が生まれた街。今回の音楽祭でも『旅立ちの日に合唱コンクール』が行われ、アウトリーチコンサートでは会場となった原谷小学校合唱団が、同曲を熱唱した。同校では毎月1回全校で音楽集会が開かれ、音楽室掲示板には小学校4?6年生の「音楽鑑賞カード」が紹介されていた。音楽に対する興味は、どうやらかなりありそうだ。

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地元ボランティアの皆さん。県外からも平嶋裕美子先生等、ボランティアや聴衆として音楽祭に足を運んでいた。

こうしてボストンから始まった教育プログラムは、音楽の情熱が宿る秩父へと飛び火し、海外&国内アーティストを交えた音楽祭として始動することになった。第1回目の試行錯誤を経て、これからどんどんエネルギッシュに花開いていくだろう。

<お問い合わせ先>
ちちぶ国際音楽祭
http://chichibu.youthandmuse.org/index.html
info@youthandmuse.org


菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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