20代の音楽祭体験(1)アーテイストとしてのあり方を磨く―ラヴィニア音楽祭
ラヴィニア音楽祭が擁する若手アーティスト育成プログラム!
スティーンズ音楽院*は、ラヴィニア音楽祭のシンボルであるこのパヴィリオンの向かい側にある。
クラシックを中心に、ジャズ、ポップスを含む多くの有名アーティストが集うラヴィニア音楽祭。大都市シカゴから電車で40分ほど北上すると、緑豊かな芝生と白いパビリオンのコントラストが美しいラヴィニア音楽祭の会場がある。実はこのパビリオンの反対側にはスティーンズ音楽院(Steans Music Institute)があり、フェスティバル期間中の5週間に渡って夏季集中コースが開講される。最近の卒業生にはエリック・シューマン(vn)等がいる。
●1曲1曲をじっくり煮詰めていく室内楽レッスン
スティーンズ音楽院は17歳から30歳までの才能ある音楽家61名(2012年度)が集まる夏季集中コースである。"Everything for the artists"という理念のもと、プロとしてのキャリアを目指す若手アーティストを対象に、ピアノ・弦楽、声楽、ジャズの4コースが開講されている。オーディションを経て選抜されるのはピアノ・弦合わせて15名という難関であるが、授業料・滞在費は全てスカラシップでカバーされる。建物内にはレッスン室と、リサイタルホール(Bennett Gordon Hall)があり、ここで日々学生出演のコンサートやマスタークラス等が行われている。今年の講師陣はメナハム・プレスラー、レオン・フライシャー、ジョン・オコーナー等(pf)、イダ・カヴァフィアン(vn)、キム・カシュカシャン(va)等。またクリストフ・エッシェンバッハ、ジェームズ・コンロン、キリ・テ・カナワ等のマスタークラスが行われる。
スティーンズ音楽学校正面。
5週間で取り組む課題はソロのほか、ソナタを1曲と室内楽を最低2曲。意外と少ないと感じるかもしれない。ここまでご紹介してきたジュニア対象の夏季コースでは、開講期間が短い上、1週目に曲が与えられることも多く、次から次へと課題をこなすのに必死である。対してこの音楽学校では課題を事前に与え、しっかり準備してきた上で、じっくりと1曲1曲を丁寧に仕上げていくプロセスが体験できる。
今回ミリアム・フリード先生(Prof.Miriam Fried,ニューイングランド音楽院ヴァイオリン科教授)の室内楽レッスンを見学させて頂いた。フリード先生はこの音楽学校のプログラム・ディレクターも務めている。
ブラームスのピアノカルテット1番をレッスン中。熱血指導!
ブラームスのピアノカルテット第1番。冒頭から先生の問いかけが続く―「なぜ冒頭4小節がレガートなのか、彼はそこで何を表現しようとしているのですか」「ffは前に起こったことの結果なのか、それとも突然の出現なのか。このffとはどのような到達点だと思いますか」「なぜ3回同じフレーズが繰り返されるのか、そこはどう表現したらよいですか」等など。フレーズ毎の性格を見極め、的確に表現していくことはどの曲においても同じだが、室内楽は一人ではないだけに、お互いの解釈や表現の方向性を確認していくことがより大事になる。先生が横から鋭いつっこみを入れながら、曲の形が少しずつ整えられていく。フリード先生は何度となく「shape」という単語を使っていた。ハーモニー、メロディ、ディナーミク、アーティキュレーション等・・それらをしっかり汲み取りながら表現していくことで、音楽の形が創られていく。
生徒たちと共演しながら、シューベルト弦楽四重奏のレッスン。和気藹々とした雰囲気の中でお互い自由に意見を言い合う。
「音楽とはコミュニケーションです。『音楽の意味』とコミュニケートすることが大事です。音楽の中にあるスタイルを、身体を通して表現して下さい。楽譜に書かれてある点と線、それをあなたが解釈して表現するのです。そのことをもっと意識して下さい」と、自らヴァイオリンを持ち、誰よりも生き生きと弾くフリード先生であった。
次のシューマンのピアノトリオ第1番の3人組はだいぶ仕上がってきたようで、コンサート前日の仕上げの段階に入っていた。ピアノの音量調整と、fとffの違い等、細かい部分をアドバイス。またシューベルトの弦楽四重奏第15番(写真)は、フリード先生が第2ヴァイオリンを担当し、別の生徒3人と共演しながらのレッスン。レッスンというより、ヤングアーティストと一緒に音楽づくりを楽しんでいる様子だった。
●自分で責任をもって考える年齢、相手の行動を見ることも大事
ゲイリー・ホフマン氏(vc)のマスタークラス風景。
同音楽院設立当初からプログラム・ディレクターを務めるミリアム・フリード先生に、このプログラム内容についてお伺いした。
「この音楽院では、コンサート、マスタークラス、レッスンがあり、講師も生徒と一緒にコンサートで共演します。受講資格は17歳から30歳ですが、自分で責任をもって考え行動することができる年齢だと考えています。他の人がどう考え、どういう行動をとるのかを見るのも大事ですね。
室内楽最低2曲とソナタ1曲を準備してから来てもらいます。伴奏ピアニストは3人、この音楽院の卒業生で皆さん素晴らしいですよ。レパートリーはクラシックだけでなく、新曲に取り組んでもらうこともあります。今年はありませんが、2013年は当音楽院開校25周年を記念して、新曲を委嘱する予定です。委嘱先はデーヴィッド・ルードヴィヒ(David Ludwig・カーティス音楽院作曲科教授)で、ピアノトリオかカルテットになると思います。以前にも何人かの作曲家に委嘱したことがあります」。
フリード先生はルーマニアで生まれ、その後18歳までイスラエルで教育を受けた。幼少の頃にメニューイン、ミルシュタインなど偉大なヴァイオリニストに出会い、それがその後の人生に大きな影響を与えたそうである。スイス留学を経て、米インディアナ大学ブルーミントン音楽学校に入学したその日に、同じクラスにいたご主人に出会ったという。息子さんはピアニストのジョナサン・ビス氏で、今年のラヴィニア音楽祭でも親子共演する。そんなフリード先生に、10代・20代の音楽教育で重要なことをお伺いした。
音楽学校内にあるホール。ここで演奏会やマスタークラスが連日行われている。
「才能も必要ですが、それが全てではありません。才能がある人は、知性を磨き、よくトレーニングし、よい教育を受け、よく練習し、音楽に対する欲求をもつことが大事。良く弾ける人でも、何を訴えたいのかがよく分からない人もいます。『完璧』というのは現実にはありません。ミスをしないことが完璧ではないのです。音楽は何よりコミュニケーションです。コミュニケーションとは、感情と向き合うことであり、作曲家の意図、音楽の構造、ハーモニーといった様々なものとコミュニケーションすることを意味するのです」。
常に選択を繰り返しながら人生を自分で歩んできた先生ならではの、含蓄に富んだ言葉や音楽に対する責任感。フリード先生のお話からは、そんな言葉が思い浮かんでくる。人の重みが分かるから、生徒一人一人に対する視線はとても優しい。音楽的にはとても厳しいけれど、それは音楽に対する責任感ゆえだろう。
自分と他人と音楽にしっかり向き合う時間。それがこの音楽院の醍醐味だと思う。
●寄付が支える音楽教育&若手アーティスト育成
スティーンズ音楽院にその名を冠されているスティーンズご夫妻は、現在スポンサーとしてラヴィニア音楽祭に多大な貢献をされている。この音楽院創設の経緯とファンドレイジングについてお伺いした。
スティーンズご夫妻。
―この音楽院にお名前が冠されていらっしゃいますが、設立の経緯とどのように経済基盤を作ってきたか教えて頂けますか。
この音楽院は私が音楽祭会長を務めていた1988年に設立されました。当時エグゼクティブディレクターであったエドワード・ゴードン氏が、音楽教育とアウトリーチに力を入れ始め、次世代教育をより広く行き渡らせることが社会の変革にも繋がるとのことで、積極的にファンドレイジングにも関わるようになりました。
音楽院は2013年に設立25周年を迎えます。それを記念して、2013年末までに500万ドル(約4億円)を募るキャンペーンを実施中です。私は現在50万ドルのチャレンジ・グラント(challenge grant※)を展開しており、50万ドルの寄付に対して私が倍額を上乗せして基金に寄付します。これで全体の20%になります。
―チャレンジ・グラントというのですね。日本のピティナでも同じ仕組みの寄付プロジェクト(CrossGiving)を展開しており、プロジェクト毎に寄付者と受益者を繋げる役割を果たしています。昨年は東日本大震災後に様々な形で寄付を募ったり、また育英、公共財に関するプロジェクトでもマッチングを進めています(説明部分は省略)。
それは素晴らしいですね。大震災で被災された方々への音楽活動の再開支援も、大変意義深い活動だと思います。ラヴィニア音楽祭にも多くのファンドレイザーが関わっています。Women's Boardは、50年前の創設当時は非常に慎ましい組織でしたが、今では主力の一つになっています。主な活動は音楽教育とアウトリーチ(Reach-Teach-Play)ですが、これをさらに推進しようと、アソシエート(Associates)という若い組織が彼女たちに追随するような活動をしています。
"Reach-Teach-Play"プロジェクトの一コマ。(c) Ravinia Festival
アメリカでは芸術教育が長い間圧力にさらされてきましたが、音楽こそが基礎教養に必要だと我々は考えてきました。この多様な社会において、音楽はユニバーサルなものであり、人と人を結ぶものです。そこで現会長のウェルツ・カウフマンは、クラシック音楽だけでなく、他ジャンルの音楽を積極的に取り入れることによって、より多くの聴衆を惹きつけることに成功しました。またミリアム・フリード先生が、若い音楽家を連れて様々な場で演奏の機会を与えることも素晴らしいですね(毎年春に演奏ツアー実施)。こうした活動基盤をより堅実にするには、常に新しい動きを入れていくことだと思います。
―より広く、より多くの方々に活動を広げていくためには、ファンドレイジングは大変重要な活動ですね。これまでに、ラヴィニア音楽祭以外にもファンドレイザーとして関わったご経験があれば教えて頂けますか。
"I have a dream program"という、マーティン・ルーサー・キングJr.の言葉を引用したプログラムを1987年に始めました。シカゴ市内公立高等学校の学生に大学入学奨学金を与えています。私の家族は全員教育に関心を持っています。娘が3人いまして、一人はラヴィニア音楽祭理事、一人はイリノイ州議員、もう一人は教育改革に携る組織の事務局長を務めています。皆それぞれ何らか教育に関わる仕事をしています。
日本での寄付プロジェクト活動も、ますます拡大発展されるようお祈りしています。
―ありがとうございます。50万ドルキャンペーンのご成功もお祈りしております。本日は貴重なお話をありがとうございました。
※ラヴィニア音楽祭のファンドレイジングにはAnnual Fund, Corporate Partners Program, Endowmentのほか、Matching Giftが存在する(あるいはchallenge grant)。マッチング・ギフトとは社員・従業員がラヴィニア音楽祭に寄付すると、その倍額あるいは3倍額を会社が負担して寄付効果を倍増させるという仕組みである。マクドナルド社、HSBC、ゴールドマンサックス、アップル、マイクロソフト、シカゴトリビューン紙など、大手企業も多数参加している。
<お問い合わせ先>
Steans Music Institute
Tel: 847-266-5106
SteansMusicInstitute@ravinia.org
※呼称の表記を変更させて頂きました。ご了承ください。
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/