音楽祭と社会(5)地域社会にリーチする―ラヴィニア音楽祭2
"One Score, One Chicago"2012年度テーマ、ホルストの『惑星』にちなんだコンサート(ジョン・アクセルロッド指揮シカゴ交響楽団)。地元の天文学者に協力してもらい、望遠鏡を沢山用意して、音楽を聴きながら星を見てもらうという企画!下にも写真あり。(c) Ravinia Festival
地域コミュニティにどうReachする?
ラヴィニア音楽祭では、夏だけでなく、年間を通してシカゴ一円の地域音楽活動に関わっている。前頁でご紹介したWomen's Boardは、1960年代にアウトリーチ活動を始めた。その理由は全米が経済危機に陥った際に文化予算が真っ先にカットされたため、公立学校に音楽・美術教育予算が回されなかったことだ。「子どもや青年への音楽教育が最優先課題」と考えたWomen's Boardは自発的に音楽支援活動に取り組み、現在は"Reach-Teach-Play"としてその活動の幅を広げている(映像はこちら!)。中でも"Reach"カテゴリが最も多いが、今回はその一つ"One Score, One Chicago"プログラムをご紹介したい。
2003年夏に始まり、今年10年目を迎えるこの"One Score, One Chicago"プログラムは、シカゴ市内の児童に大人気だ。同市内図書館で行われている"One Book, One Chicago Program"に倣ったものだという。この音楽版ともいえる企画を始めたラヴィニア音楽祭会長ウェルツ・カウフマン氏(Mr.Welz Kauffman)にお話を伺った。
「"One Score, One Chicago"では毎年テーマとなる曲を1曲決め、我々が行う様々な地域音楽教育プログラムに組み込んでいます。今年はホルストの組曲『惑星』です。この曲にはギリシャやローマ神話や天文学も関わってきますし、音楽と関連する要素が沢山あるので、多くの人に関心を持って頂いてます。これまでドヴォルザーク『新世界』やベルリオーズ『幻想交響曲』などにも取り組みましたが、今年は最も人気が高いですね」。
実はカウフマン会長はピアニストでもあり、自ら積極的に企画推進に関わっている。「NASAの映像や星座図等をスクリーンに映しながら、私と友人で2台ピアノを弾きました。実はホルストは本来2台ピアノ曲として書いた後にオーケストレーションしています。
2台ピアノによる『惑星』のコンサート。右がカウフマン会長。(c) Ravinia Festival
地元の公立学校でもコンサートを行いました。『惑星』は、映画『スターウォーズ』『スタートレック』『ET』等のテーマソングに借用されているので、まず『スターウォーズ』のテーマを弾いてから『惑星』を弾くと、子どもたちはすぐにピンときますね。スタッフもダースベイダーのマスクをかぶって登場したんですよ(笑)。また生徒たちには音楽と美術を結びつけたアートワーク等の体験もしてもらいました。彼らにとって、シンプルながら強烈な体験になったと思います」。
会長が言うように、この企画の肝は「シンプルであること」。子どもたちにとって音楽との初めての出会いを、いかに豊かに、楽しく、強烈な体験にするか。それは"Reach"の仕方によって大きく変わる。1曲からどんどんアクティビティを広げていく"One Score, One Chicago"の考え方は、その問題意識に見事に応えてくれている。
音楽専門外の先生方とアーティストが、共に取り組むプログラム
ところでこのプログラム、実は音楽専門ではない教員の先生方に各学校で実践して頂いているという。全体コーディネートをしているクリスティン・テイラーさん(Ms.Christine Taylor)に内容をお伺いした。
「幼稚園から小学校3年生までを対象にしたMusic Discoveryというプログラムに、"One Score, One Chicago"を組み込んでいます。これはラヴィニア音楽祭のアーティストが公立学校のアーティスト・イン・レジデンスとなり、教員の先生方とコラボレーションしながら児童の音楽体験を支える活動です。
"One Score, One Chicago"プロジェクト主担当のテイラーさん。
先生方は音楽専門ではないので、この"One Score.."プログラムを通して、クリエイティブな音楽との関わり方や、生徒への伝え方を学んで頂きます。毎年8月末に1週間の講習会を開き、先生方にトレーニングを受けて頂きます。講師のジャネット・バレット女史(Prof.Janett Barrett、ノースウェスタン大学音楽学科准教授)は、子どもたちにクラシック音楽を紹介するモデル(facet model)を考案しました。ダイヤモンドの様々な切子面のように、1曲を様々な角度からアプローチするのです」。
では教員の先生方に、どのように音楽を理解してもらい、自信を持ってこのプログラムを実践して頂いているのだろうか。8月末に行われる1週間短期集中講習会の内容とは?
これは生徒たちが作ったアートワークの一つ。力作!
「私が行っている"Creativity and Music Making"というセッションでは、まず10分間以内に教室内にあるもので楽器を作り、似たようなアイディアを出した先生方をグループ化し、ミニオーケストラを組みます。そこに適当なリズムを与えて、全員で合奏してもらいます("Found Sound")。こうして始めに音楽に慣れ親しんで頂きます。次に合唱体験。ジョゼフィン・リン女史(シカゴ児童合唱団指揮者)指揮のもと4日間で3-4曲練習し、最終日にコンサートで発表します。最初は少し戸惑う方もいますが、1週間もすると音楽との関係性がみるみる変わっていきますね」。
8月末の講習会を経て、9月には協力アーティストと担任でどのアプローチが良いかを相談しながら決め、いよいよ10?11月から週1回のプログラムがスタートする。期間は10?15週間。協力アーティストはシンガーソングライター、フォークシンガー、クラシック・アンサンブル奏者、ジャズトランペット奏者、バンジョー奏者等、多彩な顔ぶれだ。
前述した『惑星』のコンサートでは望遠鏡で星座を見ながら音楽鑑賞。小さい子どもたちも沢山集まったそうだ。(c) Ravinia Festival
では、教室ではどのようなアクティビティをしているのだろうか?テイラー女史によれば、「まずは日頃慣れ親しんでいる教室で、アーティストが演奏する音楽を聴いてもらう、それだけで音楽の純粋な美とエネルギーを感じてもらえると思います。次にマッピング。紙とクレヨン、色鉛筆を使って音楽を表現してもらいます。例えば音楽のフレーズ、テンポ、形式が変わるところで、クレヨンの色や形を変える。子供たちの絵を見ていると、ちゃんと音楽を聴いて描いているのが分かります。そしてムーブメント。モティーフや転調する箇所など、音楽に合わせて身体を動かします。あるいは『木星(ジュピター)』をテーマに歌詞を付けさせたり。間口は色々ありますね」と言う。
約15週間のセッションが終わると、4月頃に各学校で発表会を行う(class act)。そして5月にはラヴィニア音楽祭に20校全ての参加児童が集まり、リサイタルホールで発表する(全5日間)。この1曲を通して多くのことを学び、1年経つ頃には音楽を聴く姿勢がしっかりできてくるそうだ。
こうした着実な関係作りは、地域の学校だけではなく芸術団体にも及ぶ。「"One Score..."の良いところは、様々な文化芸術団体とパートナーシップを組めることです。例えば昨年のホルスト『惑星』ではプラネタリウムと提携しました。二度コンサートを開き、プラネタリウム館員が制作した映像を上映しながら、2台ピアノ版を演奏しました。ライブ演奏と映像の組み合わせは、子どもたちにとって大きなインパクトがあったようです。ムソルグスキー『展覧会の絵』の年はシカゴ美術館の協力を頂いて、教員のための館内ツアーを企画し、音楽と絵がどのように結びついているのかを先生方に学んで 頂きました。プロコフィエフ『ロミオとジュリエット』の年はジョフリー・バレエ団と提携し、『モンタギュー家とキャプレット家』の踊りを披露して頂きまし た。それを実際に先生方にステップを踏んで体験して頂き、クラスの中でも生かしてもらいました」。一つのテーマからネットワークがどんどん広がっていく。これも音楽のReachする力である。
●音楽支援活動をより効率よくスムーズに
アーティストもReach-Teach-Playに積極的に参加している。中央はジョシュア・ベル(vn)。(c) Ravinia Festival
アメリカでは音楽・美術などが義務教育に組み込まれていないため、それを支援する民間団体が存在する。シカゴはニューヨークの次に公立学校が多く、支援団体は175に及ぶ。ラヴィニア音楽祭もその一つである。前述のカウフマン会長が着任した2000年当初も支援活動が活発に進められていたが、何をどのくらい行えばいいのかという全体像が見えなかったそうだ。そこで彼が着手した改革とは?
「私が手がけてきたのは、芸術文化団体からの支援が、効率よくかつ効果的に学校に流れる仕組みづくりをしました。とはいえシカゴ市内の公立学校600校は水準も運営状態も違いますし、当初はどこから手を付けてよいやらという状態でした。そこで4年前、私を含む4人でどのようにこの作業を進めていくかを検討しました。2年間かけて調査した末、Ingenuity Incという組織を作りました。最初の仕事は公立学校のマッピングで、美術、演劇、舞踊、音楽、ビジュアルアートの教師の有無や人数を調査しました。Ingenuity Incを参照すれば、どの学校で何が行われているのかをチェックできます。すると「この学校には4つの支援団体が入っているが、この学校には何もない、では何かしましょう」という感じに、アンバランスな状態を解消していくことができます」。
今年からエル・システマに倣ったオーケストラプロジェクトが本格始動する。(c) Ravinia Festival
そのマッピング作業の成果により、ラヴィニア音楽祭だけでなく、他の民間芸術団体にとっても効率的なコミュニティ支援に繋がっているようだ。ではここで始まったばかりの新しいプログラムもちょっとご紹介。Reach-Teach-Playのうち、Playカテゴリにあたる。
「我々のPlayプログラムには3つあります。シカゴ東部のアフリカ系アメリカ人が最も多い地区にあるローンデル音楽院では、ファミリーと対象とした無料音楽指導を行っています(Ravinia-Lawndale Family Music School)。対象楽器はピアノ、ギター、ヴァイオリン、声楽です。他には高校生対象のジャズ教育プログラム、そして最新の試みとして、ベネズエラのエル・システマに倣ったメソッドのオーケストラ(Sistema Ravinia-Circle Rockets)を始めました。小学校4年生以上が対象です」。
ラヴィニア音楽祭ではキッズ&ファミリー向けのコンサートもある。終演後、キッズたちが楽器を初体験!
このユース・オーケストラを始める原動力になったのはWomen's Boardである。元会長アネット・デゼランさんは 「音楽によるポジティブな活動を通じて、子どもたち一人一人に良いセルフイメージを持ってもらうことが目的です。彼らの人生において、様々な選択肢を持ってほしいと願っています」。メンバーは必ずしも全員が音楽家ではないそうだが、大きな愛情と関心を持って教育活動に取り組んでいるのが伝わってくる。
ラヴィニア音楽祭ではさらにIT教育の推進団体と提携し、次世代音楽教育の模索も進んでいる。またどんな新しいプロジェクトが生まれるのか、楽しみである。
<参考>
Women's BoardとReach-Teach-Playプロジェクトの映像はこちらへ!
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/