音楽祭と社会(3)ヨーロッパの心を映し出す―ドレスデン音楽祭
再建された街ドレスデンに響く音
聖母教会で演奏するカーティス音楽院管弦楽団。
ドイツ北部の街ドレスデンに流れる音楽は、この上なく上質で美しかった。1978年に始まったドレスデン音楽祭は今年35回目を迎える。(これは2012年5月に取材したものです)
第二次世界大戦中に壊滅したドレスデンの街は、現在ではドイツ北部を代表する美しい都市として蘇っている。中でも中心部にある聖母教会(Frauenkirche)はキューポラが美しい円筒形の教会で、まさにこの街の破壊と再生を象徴している。大戦で完全に破壊された後、和解の意味を込めて各国からの支援を受けて教会が再建されたそうだ。今年の音楽祭はこの教会から始まった。
オープニングを飾ったのはカーティス音楽院管弦楽団(Curtis Symphony Orchestra)。前半・後半とも若々しく闊達なパイプオルガンの演奏から始まる(ブラームス『11のコラール前奏曲』『大学祝典序曲』)。続くブラームスのダブルコンチェルトでは澄んだヴァイオリンのレイ・チェン(Ray Chen, vn)とチェロのヤン・フォーグラー(Jan Vogler, vc)の息の合ったデュオ、そして指揮者(Robert Spano, cond)はオーケストラを上手くまとめる。カーティス音楽院メンバーは個々の能力の高さもさることながら、アンサンブルの優秀さも見せてくれた。オープニングを飾ったこのコンサートが、ヨーロッパとアメリカ、若手とベテランアーティストが共演したのは象徴的である。
2日目はゼンパーオーパーにてダニエル・バレンボイム指揮ウィーンフィルハーモニー(Wiener Philharmoniker, Daniel Barenboim cond.)が、モーツァルト交響曲第39、40、41番を演奏した。巨匠がウィーンフィルから引き出す音は軽やかで澄み切っており、ハーモニーが羽衣のように透けて折り重なる様が美しい。特にフルートの美しさは忘れがたい。
北ドイツ放送交響楽団
3日目はトーマス・ヘンゲルブロック指揮・北ドイツ放送交響楽団(NDR Sinfonieorchester, Thomas Hengelbrock cond.)はロッシーニ『ウィリアム・テル序曲』、シューマン交響曲第3番はアーティキュレーションが明確で、ヴァイオリン始め各セクションの響きの統制がよく取れており、全体の調和がを程よく保ちながら、音楽の大規模な輪郭を浮かび上がらせた秀演。シューマンの溢れ出るロマンティシズムよりも、彫りの深いきりっとした佇まいが印象的だった。
国籍・世代を超えて映し出す「ヨーロッパの心」
今年のドレスデン音楽祭のテーマは「ヨーロッパの心(Herz Europas)」。ウィーン・ブダペスト・プラハを結ぶ地域から生まれた音楽をプログラムに配している。2009年から音楽監督を務めるチェロ奏者ヤン・フォーグラー氏に、このテーマの由来について伺った。
「ベートーヴェン、ブラームス、シューベルト、バルトーク、シェーンベルグ等のチェロ作品から着想を得ました。なぜ音楽家は皆ウィーンやハンガリー、プラハを訪れるのか、そこで音楽を書いたのか。何が特別なのかをずっと考えていました。それは大都市における君主政治や宮廷文化と、民族音楽とのマリアージュなのです。たとえばドヴォルザークはチェコの民族音楽に、ブラームスやハイドンはハンガリーの民族音楽に影響を受けていますし、ジプシー音楽の影響も広範囲にわたっています。上流階級の高踏な趣味と一般庶民のバイタリティの結合、それが音楽に特別なものをもたらしていると思います」。
音楽祭のテーマはその時代を反映していて興味深い。例えば音楽祭初期は「ドレスデンにおけるオペラの歴史(1983年)」「ゼンパーオーパーの伝統と現在(1985年)」「40年に渡る社会主義圏の音楽文化について(1989年)」等、ドレスデンの街や東独時代のアイデンティティを背負ったテーマが多い。その間もベルリンフィルやニューヨークフィルなど、名だたるオーケストラが出演している。1989年ベルリンの壁崩壊後はよりヨーロッパ全土に目が向けられ、「エルベ川のフローレンスにおけるイタリア人(1994年)」「スペイン(1999年)」など、ヨーロッパの再定義に従って音楽の領域も広げている。また同時に、哲学や人間心理などと結びつけた普遍的なテーマ「啓発-理由の夢(1996年)」「音楽の力(1998年)」「出発(2001年)」「未知の歓び(2005年)」「信念―理解・寛容・批判(2006年)」や最近では「ユートピア(2008年)」「新世界(2009年)」など、さらに開けた新しい世界観を模索しようという意志が感じられる。「新世界(2009年)」ではヨーロッパとアメリカ、「5大要素(2011年)」ではヨーロッパとアジアをテーマにしている。
そして、今回の「ヨーロッパの心」である。遠くまで足をのばした旅人が生まれ故郷に帰りたくなる心情と同じように、理想郷を求めた後は、全ての原点である大地に還りたくなるということだろうか。そんな魂の根源的な姿が投影されている音楽が、今求められているのだろうと思う。そこには、寸断されてしまったものを再び結ぶ、という意味もある。
なお同音楽祭では音楽教育界との結びつきも重視し、2004年から若い才能支援や音楽教育に著しい功績があった人を称える"Glashütte Original Music Festival Award"を授与している。これまでの受賞者はクルト・マズア、ギドン・クレーメル、グスタヴォ・デュダメル、ヴァレリー・ゲルギエフ等である。2012年はエレーヌ・グリモーに贈られた。
なお2013年度プログラムは、2012年9月に発表予定。出演アーティストやオーケストラと共に、ぜひ音楽祭テーマとプログラムにも注目して頂きたい。
<お問い合わせ先>
ドレスデン音楽祭
Dresden Music Festival
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Fax +49 (0)351 - 478 56 23
www.musikfestspiele.com
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/