アメリカの大学にはなぜ音楽学科があるのか? 第4回
(2)コミュニティ・アーティスト・プログラム(Community Artists Program)
(3)自主的な音楽活動に対する助成金
(4)現場に即した音楽教育研究の充実
「アメリカの総合大学にはなぜ音楽学科があるのか」をテーマに、音楽学科が生まれた歴史的背景、音楽がリベラルアーツとしてどう学ばれているのか、パフォーマンスとリベラルアーツの歩み寄り、音楽を媒介とした大学と外部社会のつながり等について、これまで触れてきた。最終章は、未来の音楽家を育てるための新しいプロジェクトについてご紹介したい。
ペンシルベニア大学音楽学科の建物。
ペンシルベニア大学では今年5月より、アーツ・アントレプレナーシップのコースを初開講した。アントレプレナーシップとは「起業家精神」を意味する。このコースの目的は、音楽家としての能力をどう生かして社会に最大限の価値を生み出せるかを、創造的に考える講座である。開講期間は12週間(毎週火曜日3時間×12週)で、コース内容は(1)コンサルティング・ワーク (2)個人プロジェクトで構成される。(1)はフィラデルフィア市内の芸術関連機関と連携し、問題に対する創造的な解決方法を編み出していく。(2)個人プロジェクトは、ビジネス計画やキャリアプランを考案することを想定している。 p>
時代は今、「リーダーシップ育成」から「アントレプレナーシップ育成」に変化しつつある。この言葉の定義について、同講座を担当するマイケル・ケトナー氏は次のように述べている。「アントレプレナーシップとは創造的に考えること。アイディアを生み出し、それを社会や世界に創造的に伝えること、またはそのスキルを指します。一方リーダーシップとは、そのアイディアを実行して事を成し遂げること。学生には両方の経験を積ませたいと思います。今多くの教育機関では『音楽業界はこうである。だからその中で生き延びるためにこうしましょう』と教えていますが、私は必ずしも今の状態である必要はないと思っています。音楽家として生計を立てていかなくてはならないという考えに固執しすぎると、『自分がこの楽器を弾いていることが誰のためになるのか』という考えが欠落してしまう可能性があります。音楽を演奏するだけでなく、その音楽で何ができるかを考えることが大事です。リベラルアーツ教育を通して、複数の分野から新しい可能性を見出していくことができるのではと考えています」。
こうしたリベラルアーツの考え方を踏まえ、人文科学部は音楽学科への支援を惜しまないそうだ。
グローバルに活躍するアーティストを多数輩出するカーティス音楽院は、同時に地域密着型でもある。地元の支援者も多い。
地域コミュニティで演奏活動を行うことを通常「アウトリーチ」と呼んでいたが、近年アメリカでは「パートナーシップ」「コミュニティ・エンゲージメント」といった文言を使うことが多い。それは単発のコンサートではなく、地域社会とより長期的な関係を築いていくことを示唆している。 カーティス音楽院では地域社会での音楽活動が長く行われていたが、より計画的にかつユニークな形で地域密着型アーティスト育成に取り組むようになった。それが昨年秋から始まったCAP(Community Artists Program)で、現在7名が参加している。1学期(秋)は主にプランニング、2学期(春)はその実践となる。週1回メンターとのミーティング、また各学期に3回ずつグループミーティングが行われ、お互いに意見交換したり、ゲストスピーカーに話してもらうそうだ。1月にはチェロ奏者ヨー・ヨー・マ氏をゲストとして招いたという。プロジェクトは演奏主体だが、単に演奏を披露するだけではない。例えば音楽祭で5日間にわたって地域住民に音楽を教えたり、親子一緒にピアノを教えたり、小学校で室内楽コンサートをするなど、学生が自分でプログラムを考案する。副学長ジョン・マンガン氏は、「これは"リレーションシップ・ビルディング"、つまり地域社会との関係構築がテーマです。自分が住んでいる地域に関わること、また地域の方々に若い音楽家の演奏を聴いて楽しんでもらうこと。どちらも重要だと思います。お互いにどれだけ成長したかも分かりますし。学生にとっては友人同士の付き合いから一歩抜け出し、社会と繋がる経験になりますね」と語る。
未来の学生たち?スタンフォード大には世界各国から見学者が続々訪れる。
助成金の目的は自主的な研究活動を促すことにある。その最たる例がスタンフォード大学だろう。Google、yahoo!、ebay、Linked In、ヒューレットパッカードなど世界的企業の創業者を数多く輩出しているが、その起業家精神は大学時代に培われたといっても過言ではない。現在キャンパス全体で五千を超える学外スポンサーによるプロジェクトが進行し、向こう10年間(2011-2021年度)の予算は合計12億ドルに達する見込みである。昨年1年間だけでも学部生の研究活動に与えられた助成金・奨学金は400万ドルを計上したそうだ。また技術系の特許収入は2010~11年度で6,680万ドルを超え、新たに101の特許が申請された。こうした数字だけでも、キャンパス全体の士気の高さが伺える。
では音楽学科の活動にはどのような助成金が下りているのだろうか。たとえば、太鼓を専攻していたある卒業生は、夏休みに行われた小口大八氏の和太鼓プロジェクトに参加するために助成金を申請し、大学が全学負担したそうだ。またある声楽専攻の学生は、ザルツブルグ国際音楽アカデミーに参加するための助成金を申請、大学側は2か月分の渡航費・受講料など全学負担した(約9000ドル)。助成金プログラムによって異なるが、終了後はプレゼンテーションやリポート等を提出する場合が多い。こうした芸術関連助成金をマネジメントするSICA(The Stanford Institute for Creativity and the Arts)という機関もあるそうだ。学生にとっては夢を実現させるために自主的に動くことで金銭援助が得られるという、なんとも贅沢な環境である。
マーガレット・ヤンさん(MTNAポスターセッションにて)
MTNA National Conferenceでのポスターセッションの様子。
見学者から沢山の質問が寄せられる。
アメリカの大学院修士・博士課程では、音楽教育現場に密着した研究活動が盛んに行われている。2012年3月に開催されたMTNA全米カンファレンスでは、その研究発表(ポスターセッション)の場が設けられた。研究内容は「レッスン時のipad活用について」「オケ中ピアニストの研究」「アンサンブル体験が学習に及ぼす好影響」「生徒の性格に合わせたレッスン計画と健全な師弟関係」等である。その中の一つ、オハイオ州立大学博士課程のマーガレット・ヤンさんは「グループピアノレッスンの正統評価について~演奏技能と姿勢の効果」について発表した。「ピアノ演奏技術の指導をグループレッスンに入れるべき」であるとの研究は過去に多くなされたが、どのように指導されるべきかについての研究がほとんどないことに触れ、効果的な指導方法とその効果について研究したものである。
研究内容の概要をご紹介しよう。同大学音楽学科の学生22名を、まず2つのグループに分ける。コントロール組(10名)はあらかじめ用意された指導内容に従うだけだが、実験組(12名)にはより充実した指導プログラム、オブザーバーの立会い、実際のピアノ指導者によるレッスンビデオ鑑賞、他のメンバーへのピアノ指導、伴奏等が加わる。実験は6週間に渡って行われ、実験前後に5つのスキル(移調、和声、伴奏、読譜、歌いながら演奏)のテストを実施した。すると6週間後、実験組の方があらゆる点においてポジティブな反応を見せたそうである。例えばこのグループレッスンの目的と効果について両グループに尋ねたところ、コントロール組は「ピアノから多くの響きが同時に得られること」と答えるにとどまった。一方実験組は「音楽指導者にとってピアノは重要であること、セオリーの理解が進むこと、専攻楽器の練習にも役立つこと」と答えたそうである。
こうした大学における研究結果がポスターセッションで発表された。こうした調査研究を通じて音楽教育のあり方が客観的に見直され、より現場に即した形で取り入れられていくと期待されている。
「アメリカの大学にはなぜ音楽学科があるのか」4回の連載を通じて、アメリカの高等教育機関における音楽教育の考え方、カリキュラムの組み方、アメリカの社会が求める音楽家の未来像などが少しでも見えてきたとすれば幸いである。現在活躍中の日本人・日系アーティストの中にも、色々なバックグランドを持つ方々がいる。アメリカ留学で音楽と同時にリベラルアーツを学んだ方、一般大学卒業後に音楽家になった方、現在アメリカの大学音楽学科で教えている方など、様々である(近日中にインタビューをご紹介予定)。この多様さこそが、音楽そのもの、と言えるのかもしれない。
●第1回目(6月8日)
I.well-cultured musician~より教養性の高い音楽の学びへ
(1)そもそも、音楽は大学の中にあったのか?
(2) 音楽はどのように学びの対象になったのか
●第2回目(6月15日)
(3) 現在、音楽学科はリベラルアーツの中にどう組み込まれているのか?
(4) パフォーマンスとリベラルアーツの歩み寄り
(i) 総合大学音楽学科で高まるパフォーマンス重視化
(ii)アーティストと組む大学付属の音楽学校
(iii) 音楽院で高まるリベラルアーツ教育
●第3回目(6月22日)
II.well-socialized musician ~外部社会とつながっていく音楽家
(1)他学部とのつながり 学際的な学びは社会に弾力性を生むか
(2)海外とのつながり 大学・学部間の国際ネットワーク拡大
(3)地域社会とのつながり より長期密着型の地域音楽活動へ
(4)実社会とのつながり 音楽の学びを、より実践的に生かすために
(5)グローバル社会とのつながり 音楽を通して世界の現実と向き合う
●第4回目(6月29日)
III.音楽業界を取り巻く新しい動き~未来の音楽家を育てる戦略的プラン
(1)アーツ・アントレプレナーシップ・プログラム(Arts Entrepreneurship Program )
(2)コミュニティ・アーティスト・プログラム(Community Artists Program)
(3)自主的な音楽活動に対する助成金
(4)現場に即した音楽教育研究の充実
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/