海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

アメリカの大学にはなぜ音楽学科があるのか? 第1回

2012/06/08
第2回記事>>
アメリカの大学にはなぜ音楽学科があるのか?
アメリカの総合大学の一風景(イェール大学)
アメリカの総合大学の一風景(イェール大学)
第1回

「音楽」の辞書的定義は一つでも、「音楽」への接し方は人によって様々である。音楽にどのような価値を見出すのか、音楽にどのくらいの距離感で接するのか、音楽をどのようなカリキュラムで学ぶのか、音楽以外にどのような分野の知識や見識を持っているのか、音楽を通してどのように人や社会と繋がるのか・・・。それによって、各々の「音楽」に関わるコンテクストが存在するはずである。そのコンテクストは、近年ますます多様化しているようだ。それは音楽が文化として広く根づいてきた証ともいえるだろう。今回はその一例として、アメリカの高等教育機関における音楽教育のあり方を取材した。

アメリカでは日本と異なり音楽単科大学は少なく、音楽の専門教育は全米各地にある音楽院にて行われている。中でもカーティス音楽院、ジュリアード音楽院、イーストマン音楽院等はトップ校として知られている。一方、総合大学にもほぼ必ずといってよいほど音楽学科あるいは付属の音楽学校がある。たとえば世界大学ランキング(QS World University Lanking 参照)上位校のハーバード大学、マサチューセッツ工科大学、イェール大学、ペンシルべニア大学など、いずれも音楽学科がある。なぜ総合大学にあるのかと意外に感じる方も多いかもしれない。日本の総合大学では、教養科目の一環で音楽史や音楽理論などの授業が開講されることがあるが、学科として成立している大学は少ない。
なぜアメリカの総合大学には音楽学科があるのか?音楽院とは何が違うのか?音楽は高等教育においてどのような位置付けなのか?音楽学科生をとりまく教育環境と未来像は?

そこでアメリカの大学音楽学科と音楽院双方への取材を通して、未来の音楽家像、人物像をどう捉えて教育しているのかを探ってみた。今回取材させて頂いた総合大学(あるいは関係者へのインタビュー)は以下の通り。各創立年と音楽学科設立年を列記した。これだけで一般化して語ることはできないが、一つの傾向としてご紹介したい。

ハーバード大学 マサチューセッツ州ボストン 1636年創立 音楽学科1855年
イェール大学 コネチカット州ニューヘイブン 1701年創立 音楽学校1890年
ペンシルべニア大学 ペンシルベニア州フィラデルフィア 1755年創立 音楽学科
ジョンズ・ホプキンス大学 メリーランド州ボルティモア 1876年創立 ピーボディ音楽学校1857年
マサチューセッツ工科大学 マサチューセッツ州ボストン 1865年創立 音楽学科1961年
カリフォルニア大学 カリフォルニア州サンフランシスコ 1868年創立 音楽学科1905年
(州立・バークレー校)
スタンフォード大学 カリフォルニア州サンフランシスコ 1891年創立 音楽学科1947年
カーティス音楽院 ペンシルベニア州フィラデルフィア 1924年創立  
ジュリアード音楽院 ニューヨーク州ニューヨーク 1926年創立
(前身のThe Institute of Musical Artは1905年)
 
バークリー音楽大学 マサチューセッツ州ボストン 1945年創立  

I.well-cultured musician より教養性の高い音楽の学びへ
(1)
音楽は、そもそも大学の中にあったのか?
Harvard Cambridgesquare
全米最古にして最高学府のハーバード大学は、ニューイングランドのケンブリッジという地区にある。

Stanford fountain
スタンフォード大学には中世の建築様式を模した校舎がある。内部はwifi完備。

Stanford chapel
スタンフォード大学構内にある教会は、創立者ジェーン女史がイタリアに何度も足を運び、ルネサンス時代の教会を忠実に再現したものだそうだ。 カリフォルニア大バークレー校では音楽学科創設時からコーラスの授業があった。
カリフォルニア大バークレー校では音楽学科創設時からコーラスの授業があった。



MIT
アジアからの留学生も多いマサチューセッツ工科大学(MIT)。構内を歩いていると、ふとピアノの音色が聞こえてきた。

Philadelphia square
フィラデルフィアの独立記念館。アメリカ独立宣言はここで起草・署名された。

BostonMuseum_periodinstruments
ボストン美術館の古楽器コレクション。16世紀ナポリで製作されたハープシコード等が展示されている。


カリフォルニア大学バークリー校は、小高い丘一面がキャンパスである。

Yale building
アカデミックで落ち着いた雰囲気のイェール大学。

バイネキ稀覯本図書館(Beinecke Rare Book and Manuscript Library)。モダンなインテリアと古書の組み合わせが印象的である。
バイネキ稀覯本図書館(Beinecke Rare Book and Manuscript Library)。モダンなインテリアと古書の組み合わせが印象的である。

アメリカにおける大学の歴史は約380年だが、音楽学科は約150年と比較的歴史は浅い。全米最古の高等教育機関であるハーバード大学は1636年に創立されているが、音楽学科設立はそれから約220年後である。イェール大学音楽学科は創立から約190年後、マサチューセッツ工科大音楽学科は創立から約100年後、カリフォルニア大学バークレー校音楽学科は創立から約50年後、スタンフォード大学音楽学科も約50年後である。ではこの期間、音楽教育は全く行なわれていなかったのだろうか?

ハーバード大学は創立当初、教会の礼拝や各カレッジの催し物で聖歌隊が合唱するなど、音楽は確かに存在していた。しかし楽器演奏の機会がなかったため、1808年に何名かの学生が集まってピエリアン・ソダリティ(協会)と呼ばれる小さな室内楽団をつくり、それが現在のハーバード=ラドクリフ・オーケストラ(Harvard-Radcliff Orchestra)に発展したそうである。音楽学科はそれから約50年後の1855年に設立されている。イェール大学では1890年に音楽学科が設立されているが、すでに1855年から大学内において教会音楽と聖歌隊への合唱指導などが行われていた。またスタンフォード大学の音楽学科設立は1947年であるが、1891年大学創立当初よりキャンパス内礼拝堂で教会音楽の演奏が行われていた。これは創始者ジェーン・スタンフォード女史の遺志でもある。
大学によって違いはあるが、3校とも創立時から教会で音楽活動が行われていた。それと音楽学科設立との因果関係を証明できるものはないが、教会音楽を始め、学内で行われる公的・私的な演奏活動が音楽学科設立に少なからず寄与したと推察される。

かつては職業訓練学校とも言われたマサチューセッツ工科大学(MIT)でも、人文・社会科学の重要性が1865年大学創立当初から提唱され、ようやく1930年代に人文学部が創立された。ただその頃はまだ音楽、哲学、心理学、法学、文学、芸術等はカリキュラム外としてみなされており、1950年代から60年代にかけて段階的に学科設置に至る。1980年代後半からは芸術科目が増え、2000年代には「人文学・社会科学」学部から、「人文学・芸術・社会科学」学部へと名称変更されている。近年になって、芸術重視傾向が加速してきた印象を受ける。(MITでの「芸術」は建築の割合が多いそうだが、この文言を学部名に入れることで意識の変化が伺える)http://shass.mit.edu/inside/history

ここに挙げたのはほんの一例だが、大学創立から音楽学科設置までの期間が次第に短くなっている。これは高等教育の中で人文学の重要性、そして音楽・芸術の必然性が認められてきた結果か、あるいは最古かつ最高学府であるハーバード大学の前例にならったのか。いずれにせよ、音楽・芸術の存在価値は高まっているといえる。

(2) 音楽はどのように学ぶ対象になったのか?

では公的な音楽学科設置に至るには、どのような動機と目的があったのか。そして音楽はどのように「学び」の対象になったのだろうか。

ここで少しアメリカ建国時の歴史を紐解いてみたい。アメリカは16世紀コロンブスによって新大陸として発見され、1620年代よりヨーロッパからの移民が入植を始めた。今でも東海岸各州にはヨーロッパのような街並みが残っているが、ヨーロッパから建築技術だけでなく文化や精神性を持ち込み、それが建国の礎となっていたことが伺える。米国最古の学府ハーバード大学は、米国最古の地域ニューイングランドで1636年に創立され、早々に神学部も設立されているが、これはひとつの象徴といえるだろう。構内には教会が建てられ、礼拝や教会音楽の演奏が行われた。それから音楽学科が成立するまで約220年もの年月を擁しているが、教会音楽活動から始まり、私的な室内楽団編成などを経て、やがて公的に音楽教育が施されるようになってきたのである。つまり、音楽学科設立の布石は創立時からあったのだ。

音楽が学問として客観的かつ体系的に学ばれるようになったとすれば、それは文化の成長期を迎えた証とも言えるだろう。1855年以降、ハーバード大学を皮切りに音楽学科設立が相次いでいるが、折しもニューヨーク・スタインウェイ社が創立された時期(1853年)とも重なる。「音楽を学ぶ」「音楽で生活を豊かにする」という文化思潮が定着してきた兆しと言えるかもしれない。アメリカ大陸入植から約230年、アメリカ合衆国独立(1776年)から約80年が経過し、文化活動啓蒙の機運が高まっていたとみられる。

では「音楽を学ぶ」とはどういうことだろうか?その定義とは?

教養人としての人格形成を目指す高等教育の源流は中世~ルネサンス期にある。それを恐らく一部の大学がモデルにしたであろうことが、いくつか象徴的な形で現れている。例えばスタンフォード大学のキャンパス中心部にある校舎や礼拝堂は、中世の建築様式を模倣している。また同大創立時(1891年)に設立された学部は、化学、英語、ドイツ語、ギリシャ語、ラテン語、ロマンス語、文学、歴史、数学、哲学(倫理)、物理、政治科学、心理学であり、まさに教養科目が並ぶ。

イェール大学には中世・ルネサンス期の文献やヨーロッパの珍しい古文書等を収めた図書館がある。筆者が訪れた時、シェイクスピアのアメリカにおける受容の歴史を辿った「Remembering Shakespeare」展も行われていた。またアメリカの大学や美術館には歴史資料・音源や古楽器コレクションが多い。ボストン美術館、ハーバード大学、イェール大学等にも古楽器コレクションが存在する。実際19世紀のアメリカでは、古楽はそれ以降の音楽と同等の価値を持って受け入れられたようだ。
「『古楽』に対する姿勢がヨーロッパとアメリカではほとんど正反対といってよいほどに違っているということである。19世紀的な伝統にあまり「汚染」されていないこの新大陸の人々は古楽のもたらす新しい響きを抵抗なく受け入れたばかりか、むしろ熱狂的に楽しんだのである。そしてヨーロッパではアウトローにすぎなかったこの『古楽復興』がアメリカでは商業ベースにのって広く普及したのであった。マーラーの『ダイジェスト版』バッハがアメリカで頻繁に演奏されたという事実はこのような背景なくしては考えられない」(渡辺裕著『文化史の中のマーラー』より抜粋)。

19世紀半ばにおいて音楽を学ぶ対象とした時、中世の高等教育の在り方にその原点を見出したと考えても不思議ではない。では大学機関が初めてヨーロッパで創設された時(最古は13世紀に大学認定を受けたボローニャ大学)、音楽はどのような位置付けで学ばれていたのか。最古の教育機関はスコラ・カントルムで、その流れを広めたのはフランク王国カール大帝(768~814)、そして大帝が招いた学者が高等教育の基礎、つまり教養学を作ったと言われる。それが典礼聖歌を学ぶことと、自由学芸(リベラルアーツ)を学ぶことであった。リベラルアーツとは自由七科とも呼ばれ、言語に関わる三科目(文法・修辞学・弁証法)と数学に関わる四科目(算術・幾何・天文・音楽)があり、音楽は後者に属していた。音楽は幾何や天文学と同じく数の論理で説明されるもので、古代ギリシャ思想を源流とした、キリスト教的世界の調和を象徴していた。さらにこの思想を踏まえたボエティウスの理論書『音楽教程』が流布し、修道院や教会付属学校で教えられていた。中世の大学においてはこの自由七科の要素を引き継いだ教養学が教えられており、音楽の授業では専らこの理論書が使われていたそうだ。(金澤正剛著『中世音楽の精神史』参照)

現在の大学音楽学科における「音楽」の位置付けを見ると、少なからずこうしたリベラルアーツの考え方が反映されている。教会やプライベートな演奏活動のみにとどまらず、学問として公に学ばれるようになったのはごく自然な流れだろう。そしてそれは、専門家養成というより人格形成上の基礎教養としてである。だがボエティウスの著書によって理論優位だった時代とは異なり、現在はカリキュラム配分こそ違うが、理論と実践を組み合わせた総合的な音楽教育を行う場となっている。それは次項で述べたい。

取材・文◎菅野恵理子

INDEX

第1回目(6月8日)
I.well-cultured musician~より教養性の高い音楽の学びへ
(1)そもそも、音楽は大学の中にあったのか?
(2) 音楽はどのように学びの対象になったのか

第2回目(6月15日)
(3) 現在、音楽学科はリベラルアーツの中にどう組み込まれているのか?
(4) パフォーマンスとリベラルアーツの歩み寄り
    (i) 総合大学音楽学科で高まるパフォーマンス重視化
    (ii)アーティストと組む大学付属の音楽学校
    (iii) 音楽院で高まるリベラルアーツ教育

●第3回目(6月22日)
II.well-socialized musician ~外部社会とつながっていく音楽家

(1)他学部とのつながり 学際的な学びは社会に弾力性を生むか
(2)海外とのつながり 大学・学部間の国際ネットワーク拡大
(3)地域社会とのつながり より長期密着型の地域音楽活動へ
(4)実社会とのつながり 音楽の学びを、より実践的に生かすために
(5)グローバル社会とのつながり 音楽を通して世界の現実と向き合う

第4回目(6月29日)
III.音楽業界を取り巻く新しい動き~未来の音楽家を育てる戦略的プラン

(1)アーツ・アントレプレナーシップ・プログラム(Arts Entrepreneurship Program )
(2)コミュニティ・アーティスト・プログラム(Community Artists Program)
(3)自主的な音楽活動に対する助成金
(4)現場に即した音楽教育研究の充実

番外編1(7月6日)
エリザベート審査員・諏訪内晶子さんインタビュー

番外編2(7月13日)
教師からピアニストへ―ジョン・ナカマツ氏インタビュー

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菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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