エリザベート王妃国際コンクール(1)ヴァイオリン部門・セミファイナルを終えて
―実力者が揃うセミファイナルを終えて
ヨーロッパの中心に位置するベルギー。その首都ブリュッセルでは、エリザベート王妃国際コンクールが4月30日から開催され、現在世界各国から78名の精鋭がブリュッセルで競演を繰り広げています。その様子をリポートします。
同コンクールではヴァイオリン、ピアノ、声楽部門が3年周期で開催され、今年はヴァイオリン部門の年にあたる。そもそもこのコンクールはベルギー出身ヴァイオリニスト・作曲家ウジェーヌ・イザイにちなんで「イザイ国際コンクール」として始まり、後に大パトロンであったエリザベート王妃(右写真)の名を冠して現在に至る。イザイはこのコンクールの起源でもあり、今回もセミファイナルでソナタが共通課題となっている。
※参考:コンクールを支えるパトロン達
その栄えある1937年第1回コンクールで優勝を飾ったのは、ダヴィッド・オイストラフである。以後、レオニード・コーガン(1951年)、ワディム・レーピン(1989年)、セルゲイ・ハチャトゥリアン(2006年)、レイ・チェン(2009年)等、ヴァイオリン界を牽引する名演奏家が優勝者として名を連ねている。また日本人も活躍しており、堀米ゆず子(1980年)、戸田弥生(1993年)が優勝、諏訪内晶子(1989年・2位)、藤原浜雄(1971年・3位)、清水高師(1980年・3位)が上位入賞している。
エリザベート王妃国際コンクールのユニークさはその課題曲と選抜方法にある。まず選抜方法は3段階で、今年度は予選78名→セミファイナル24名→ファイナル12名。予選からセミファイナルで一気に3分の1以下になるのでも十分厳しいが、それ以上に過酷なのは課題曲だ。予選はJ.S.バッハの無伴奏ソナタより1曲、シューマンのヴァイオリン協奏曲第1楽章、パガニーニ「24のカプリース」より3曲。セミファイナルは2つのリサイタル・プログラムを用意し、審査員の判断により本番29時間前にどちらかを指定される。さらにファイナルはヴァイオリンとピアノのためのソナタ1曲、ヴァイオリン協奏曲1曲以外に、新曲課題曲(2011年度作曲部門の優勝作品の協奏曲)に取り組む。そのプロセスはというと、各自の本番8日前に合宿所となるLa Chapelle Musicaleに入り、外部とのコンタクトを一切断たれた状態で、一人で課題曲と向き合うのである。まさに、真の音楽家であることを問われる瞬間だ。そんな8日間の武者修行を終えた暁には、一回りも二回りも成長し、各自が個性溢れる演奏をステージで聴かせてくれる。
※参考:2010年度ピアノ部門
こんな過酷なコンクールはないかもしれないが、こんな音楽的刺激に満ちたコンクールも珍しい!
なお今回の審査員はオーギュスタン・デュメイ、ピエール・アモワイヤル、ルイス・科プラン、ダニエル・ホープ、諏訪内晶子など15名。公式伴奏ピアニストは佐藤卓史(2010年度ピアノ部門ファイナリスト)など5名。ファイナル共演はギルバート・ヴァルガ指揮・ベルギー国立管弦楽団である。
今回はセミファイナル4日目から7日目までを聴いた。セミファイナルの共通課題曲はモーツァルト協奏曲(Orchetre Royal de Chambre de Wallonie, Michael Hofstetter指揮)、リサイタルでは共通課題曲であるイザイの無伴奏ソナタ1曲、新曲課題曲"Caprice"(Victor Kissine作曲)以外に、2曲以上の自由曲を選ぶ。
全体の印象としては、一定水準以上の良い音とテクニックを誰もが持っているということ、その上で音楽的にどこまで面白く聴かせられるかが重要だと改めて感じた。深い呼吸、安定した音程、自然なフレージング、音の方向性を見極めたフレーズの処理、表現上必要な弓圧のかけ方やビブラートなど、一言で「良い音」と定義するのは難しいが、今回聞いた限りでは楽器の違いによる大きな差異はさほど感じなかった(もちろん音は違うが、音楽的表現上で機能しているかどうかという点で)。それより、音楽をどう捉えているのか、頭の中にどのような音楽を描いているのか、心の中にどのような音楽を秘めているのか、テクニックはそれを伝えるために有意義に使われているか、それらが最終的に音楽の質を決めていたと思う。
その点において、新曲「Caprice」の演奏は聞きごたえがあった。比較的分かりやすい構成で旋律もそれほど複雑ではないが、それだけに各自の想像力がよく見えてくる。中でも印象的だったのは、ツェン・ユーチェン(Tseng Yu-Chien・台湾)、成田達輝(Tatsuki Narita・日本)、ニッキ・チョイ(Nikki Chooi・カナダ)。※5/9~5/12の間。
成田さん(上写真)は音に柔らかさ、細さ、鋭さといった様々な表情を持たせた上で、全体の流れを上手に創っていく。その芯のある澄んだ音は、まるで秋の夜を彩る虫の音のようにも聞こえる。中間部ピアノとの掛け合いに妖しい神秘性が加わると、幽玄の世界が演出できそうだ(本人の意図とは違うかもしれないが)。構成の安定感に加え、時折直感的なインスピレーションを感じさせる音も印象に残る。Tsengさん(右写真)は17歳ながら伸びやかで非凡な才能を見せた。新曲に関しては全体のストーリーの流れを掴み、そこから音色、音質、音勢、音の方向性が考えられている。とはいえ、常に新鮮な考えを取り入れながらアプローチしているのだろう、音楽には躍動感がある。一方モーツァルト協奏曲第5番では詩を語るような音色を聴かせてくれた。
Chooiさんは楽曲構成を踏まえた知的なアプローチで、特に中間部ピアノとの掛け合いはしっかりした対話になっていた。各曲の特徴を捉えるのに優れ、ショーソン「詩曲」冒頭は二胡のような音で故郷を追憶するように、シマノフスキ「夜想曲とタランテラ」では神秘的な表現の模索が印象に残る。その他、マルク・ブシュコフ(Marc Bouchkov・ベルギー)は一瞬一瞬の音の妙味がどのように有機的に繋がったかという感じではあるが、ピアノとの対話等に個性が感じられた。モーツァルト協奏曲でもオーケストラとの掛け合いを大切にしていた。また決勝進出を逃したが、キム・ボムソリ(Kim Bomsori・韓国)のストーリー性ある曲の運び、想像力溢れる音づくりには面白みを感じた。
新曲以外で印象的だった演奏をいくつか挙げてみたい。アルティオム・シシュコフ(Artiom Shishkov・ロシア)は、全ての曲において強い意志が貫かれており、音楽に求心力があった。イザイ無伴奏ソナタop.27-3は冒頭から結尾に至るまで、一つの大きな流れが見えた。冒頭は慎重に一音一音重ねながら少しずつ核心に迫っていき、有無を言わせぬ劇的なクライマックスを演出する。またブロッホ「ニーグン」(バール・シェムより)やツィガーノフ「プレリュード」等のリズムや旋律の感じ方には、彼自身の身体の中にその民族が背負う歴史までが刻み込まれているような感覚を覚えた。アンドレイ・バラーノフ(Andrey Baranov・ロシア)も同様で、チャイコフスキー「瞑想曲」は真骨頂という感じである。抜群のリズム感をもち、チャイコフスキーのワルツ・スケルツォやヴィエニャフスキ「ポロネーズ」に至っては、フィドルと戯れている、という言葉が合いそうだ。また惜しくも決勝進出ならなかったが、リチャード・リン(Richard Lin・台湾-アメリカ)のグラズノフ「瞑想曲」等は、身体全体をヴァイオリンに預けるかのような情熱のこもった演奏で、会場を唸らせた。一方、シン・ヒュンス(Shin Hyun Su)始め韓国出身ヴァイオリニスト達は高度な演奏技術を持つ。時に鋭角で人工的な香りのする音には、なぜか近未来的なものを感じることがあった。
なお筆者はリサイタルを聞けなかったが、ヨセフ・スパチェク(Josef Spacek・チェコ)、エルミール・アベシ(Ermir Abeshi・アルバニア)も評判が高かった。彼らを含む12名のファイナリストがどのような演奏を聴かせてくれるか楽しみである。
さて、いよいよが5月21日(月)からファイナルが始まる。ファイナリストの出演順はこちら。
Monday 21/05 [20:00]
Josef ŠPAČEK - (piano: Jonas Vitaud)
Ermir ABESHI - (piano: Thomas Hoppe)
Tuesday 22/05 [20:00]
SHIN Hyun Su - (piano: Sato Takashi)
NARITA Tatsuki - (piano: Marta Gödëny)
Wednesday 23/05 [20:00]
Marc BOUCHKOV - (piano: Sato Takashi)
CHOOI Nikki - (piano: Sato Takashi)
Thursday 24/05 [20:00]
Andrey BARANOV - (piano: Dana Protopopescu)
KIM Dami - (piano: Dana Protopopescu)
Friday 25/05 [20:00]
Artiom SHISHKOV - (piano: Dasha Moroz)
Nancy ZHOU - (piano: Jonas Vitaud)
Saturday 26/05 [20:00]
Esther YOO - (piano: Daniel Blumenthal)
TSENG Yu-Chien - (piano: Daniel Blumenthal)
ソナタや協奏曲の選曲と表現、新曲課題曲の解釈などに注目したい。ソナタは選択数の多い順から、ブラームス第3番(3名)、プロコフィエフ第1番(2名)、プロコフィエフ第2番(2名)、ラヴェル(2名)、ベートーヴェン7番、メンデルスゾーン、バルトーク第2番。協奏曲はシベリウス(4名)、チャイコフスキー(3名)、パガニーニ第1番(2名)、ベートーヴェン、ブラームス、ショスタコーヴィチである。
演奏写真◎恒川洋子(photo: Yoko Tsunekawa)
リポート◎菅野恵理子(report: Eriko Sugano)
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/