香港国際ピアノコンクール(3)ユニークな選抜方法とコンクール番外企画
「若い才能になるべく多くの演奏機会を与えたい」という教育的配慮から、工夫を凝らす国際コンクールが増えていますが、この香港ピアノ国際コンクールでもそのトレンドが見られます。今回優勝したジュゼッペ・アンダローロさんは2005年ブゾーニコンクール優勝以来、6年ぶりにコンクールに出場したそうですが、その理由はアシュケナージ氏指揮を始め、コンクール全体の企画に対する魅力だったようです。今回はコンクール主宰アンドリュー・フレリス氏に話をお伺いしました。
室内楽&協奏曲で、音楽を一緒に創り上げていく力をはかる
香港国際ピアノコンクールはユニークな存在だ。すでにご紹介したように、コンクールでありながら、マスタークラスやレクチャーも行われ、審査員もガラコンサートで演奏する。主宰のアンドリュー・フレリス氏は毎日のようにステージに立ち、「このコンクールはmusic raceではなく、music makingの場」であることをアピールしていた。
その証のひとつが、選抜回数を少なくしてアンサンブルの共演機会を増やしている(2回)ことだろう(※参考「国際コンクールの今」)。フレリス氏はこう語る。「室内楽は2005年の第1回目から取り入れています。第1・2次のソロリサイタル審査で演奏能力を、セミファイナル室内楽・ファイナル協奏曲でアンサンブル能力をはかります。選抜が多いと競争色が強くなりすぎますし、規模の異なるアンサンブルを審査するためこの段階での選抜はない方がよいと考えました。ピアノをいかに良く弾けるかではなく、一緒にどう音楽を作り上げていくかという点を重視しています」。
最近では協奏曲や室内楽を重視するコンクールが増えているが、副審査員長リー・ミンチェン氏によれば上海や香港などの教育現場でも、室内楽の機会が増えているそうだ。
結果発表翌朝のモーニング・パーティ&レクチャー
フレリス氏が唱えるMusic Makingの機会は、コンクールの後にも続く。結果発表の翌朝には審査員・参加者・関係者を対象に、朝食パーティ&レクチャーが行われた。中華や洋食バイキングを銘々皿に盛り、皆リラックスムードである。レクチャー講師は審査員の一人、ジェレミー・シップマン氏が務めた。「音楽は言葉のフレーズと同じである」をテーマに、リズムの律動性、"叫び"という人間の原体験、呼吸のあり方、音楽と言葉の関係、文脈とは何か、などユーモアを交えて語った。
特に人間が生まれて初めて発する"baby scream"は人間の感情表現の極致であること(本当に叫びました!)、呼吸をつくるアップビート・ビート・アフタービートの3動作は過去・現在・未来を暗示し、その長さや速さでテンションが生まれること、言葉そのものが分からなくても語気・語調・語勢で文脈が類推できること、文脈(コンテクスト)とはそこに含まれる内容(コンテンツ)によって変わること等。これらは全て音楽のフレージングにもあてはまり、改めて音楽と言葉のあり方が密接に関わっていることを示してくれた。最後はシューマンとショーペンハウアーの言葉の引用で締めくくられた。
2005年にコンクール設立、その母体は香港ショパン協会
コンクール開催は2005年からだが、この母体である香港ショパン協会の設立は1995年にさかのぼる。最初はペニンシュラホテルの一室でサロンコンサートを開いたことから始まり、次第に規模を広げ、国際コンクール優勝者(チャイコフスキー、エリザベート王妃、リーズ等)を招いてリサイタルを行うようになったそうだ。ちなみに「ショパン協会」の名称は、主宰フレリス氏のロンドンの家が、ショパンが最後に訪れた時に滞在した家の一部であることに由来している。そんなこともご縁も手伝ってか、ジョルジュ・サンドの曾孫を招待してレクチャーしてもらったこともあるそうだ。なんとも贅沢!
そしてアシュケナージ氏とは8年ほど前に出会い、コンクール設立へ大きな一歩を踏み出す。「マダム・カドゥーリ(現在コンクールのメインスポンサー)が彼を会食にご招待した時、我々も同席させて頂きました。その時妻のアナベラがコンクールを開催することを考えており、それを率直に話したところ、3年後に審査員長をすることを承諾してくれたのです。これは大変嬉しかったですね。さらに今回は審査だけでなく、ファイナルでは6名の指揮までして頂きます。参加者に対しても大変協力的です」。
課題曲選曲もアシュケナージ氏と副審査員長が行ったそうだが、そのレパートリーの広さがこのコンクールを特徴づけている。審査員パスカル・ロジェ氏は「レパートリーが豊富であるのは良いことだと思います。どのコンクールにも同じような曲を用意していく人が多いですが、このコンクールではショスタコーヴィチ『前奏曲とフーガ』やアルベニス等、あまり普段は弾かれない曲も課題に入っています。演奏会でも使えるレパートリーができると思いますよ。また、アシュケナージ氏とただ共演するだけでなく、彼はピアニストであり指揮者でもあるので、若いピアニストをチューターのように導くことができます。それだけでも、このコンクールに来た価値があると言えるでしょう」と、若いキャリアに及ぼすマエストロの影響について語ってくれた。
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/