感性が変わる時(4)調和の模索-ルツェルン音楽祭が描く未来像
いつの時代でも、衝突の後には調和が訪れます。張り詰めた緊張感の中から、全く新しい価値観が生まれることがあり、そこに人は新たな調和を見出すのです。 スイスの美しい山と湖に囲まれたルツェルン音楽祭は、第二次世界大戦下の1938年、トスカニーニ等の音楽家によって開催されました。今では世界有数の音楽祭となり、毎年世界各地の著名オーケストラやアーティストの演奏会や新曲世界初演等が行われています。今年は『ポリーニ・プロジェクト』や東日本大震災プロジェクト『ARK NOVA』なども立ち上げられ、また新しい調和の世界を模索しています。
ルツェルン音楽祭は、ルツェルン湖を望むリヒャルト・ワーグナー宅の前庭にて、1938年8月に開催された。第二次世界戦時下の政治的理由により、バイロイト音楽祭やザルツブルグ音楽祭に出演できなくなったトスカニーニやワルター等が、自由と中立の立場を貫くスイスへと赴き、この地で音楽祭を始めたのが始まりである。1970年代からはコンポーザー・イン・レジデンスを配して新曲初演に努めるほか、若いアーティストの起用も積極的に行い、2004年からはピエール・ブーレーズを芸術監督にルツェルン音楽祭アカデミーも開かれている。現在音楽祭は年3回開催されている(イースター、夏、11月*ピアノ)。
さて、2003年からの伝統であるクラウディオ・アバド指揮ルツェルン音楽祭祝祭管弦楽団が、今年はラドゥ・ルプーをソリストに迎え、ブラームスのピアノ協奏曲第1番でオープニングを飾った。
ルプーのブラームスは非常に繊細かつ知的で、必要以上に感情を増幅させて表現することはない。抑え気味の表現は時にオケの音に圧倒されそうになるが、彼の世界観は決して揺るがず、アバドはそんなルプーを尊重してお互い必要以上に近寄らず、かといって離れないという絶妙な距離感で音楽を進める。それは信頼しあう者同士の、理性的な合意に近いものを感じた。実はこの公演、当初はエレーヌ・グリモーが出演予定だったが、1か月前に交代したのだった。アバドとグリモーは芸術上の理由により(カデンツァの扱いらしい)決裂に至ったようだが、むしろ相違や対立から生まれる緊張感がこのブラームスに別種の高揚感をもたらす可能性もあったかもしれない、と思った。
アンコールで弾いたルプーのブラームスop.118-2間奏曲はさすがの名演であった。このロマンチシズム溢れる曲に対してもやはり感情過多にならず、過去の大切な思い出を語るかのように、全てを悟りきった境地が感じられた。曲を少しずつ丁寧に紐解いていくかのような表現に説得力があり、哲学的なルプーそのものだった。(オープニング公演2日目)
後半はワーグナーとマーラーである。ワーグナーはルツェルンの街に6年間住んでいたが、その家はルツェルン湖を高台から見渡す場所(トリプシェン)にある。緑と湖と山に囲まれたこの地で、彼はコジマと愛を育み子供たちを育てた。現在はワーグナー博物館として一般公開され、『トリスタンとイゾルデ』等の自筆譜ファクシミリ、ワーグナーとコジマがお互いに贈りあった詩や手紙、コジマが身に着けていた重厚感あるネックレスなどが展示されている。ここにはリストやニーチェもよく通ってきたそうだ。風通しのよい館の窓から湖を眺めると、その美しさに思わず息をのむ。さすがワーグナーの卓越した空間構築力を感じずにいられない。
さてコンサートに戻ると、神の啓示のような神秘に満ちた『ローエングリン』第1幕への前奏曲は、アバド指揮のもと絶妙なバランス感覚で、繊細な色彩感と恍惚感をホール全体にもたらした。この曲は1848年に作曲され、フランツ・リストが1950年に初演している。
そして、白眉はマーラーの交響曲第10番よりアダージオ。ルツェルン祝祭管弦楽団はさすがに名門オケ出身者が集まっているだけあり個々の演奏能力が高い。コンサートマスターはグレゴリー・アース(マーラー室内管弦楽団所属)。所々わずかに個性が激しくせめぎ合う箇所もあったが、各パートそれぞれが存在感ある美しいハーモニーを響かせ、全体として生き生きとした対話のある演奏を聴かせてくれた。ワーグナーの霊性を帯びた表現とは対照的に、人間的な愛と調和の美しさが伝わる演奏であった。
今年のルツェルン音楽祭では、ポリーニ・プロジェクトや若い音楽家のデビューコンサート、美術館とのタイアップ等、様々な企画が行われた。ポリーニ・プロジェクトではベートーヴェンと現代作品(3曲を委嘱)を組み合わせたプログラムを披露。ベートーヴェンop.53からop.111までを、それぞれマンツォーニ、シュトックハウゼン、ラッヘンマン、シャリーノの委嘱作品と組み合わせるユニークなプログラムである。新作はいずれもピアノと他楽器の共演(全4回。後半2回は2012年度音楽祭期間中に披露予定)。このプロジェクトの狙いは、過去と現代の音楽に光を当てることで双方に新しい視点をもたらすと同時に、"古典派"ベートーヴェンの音楽がいかに革命的で革新性に富み、当時最もアバンギャルドな作曲家であったかを探ることにある。
また音楽祭開幕初日に発表された「ARK NOVA~東日本への贈り物」も注目されている。「音楽とアートを通じて被災地に新しい希望をもたらしたい」との願いを込め、移動式コンサートホールにて東北の被災地を巡る。ここでクラシック始め、ジャズ、ダンス、マルチメディア、多分野のアート作品が上演予定である。なお同プロジェクトには、建築家の磯崎新氏や、先日高松宮殿下記念世界文化賞を受賞した彫刻家アニッシュ・カプーア氏はじめ、英国出身アーティストや舞台関係者も関わる多国籍プロジェクトとなる(監督:ルツェルン音楽祭、KAJIMOTO)。どのように地域の活力へ結びつくかが期待される。
グローバル化が進む中で、各地の「今、ここにあるもの」が瞬時に広く共有されるようになった。ローカルな動きの連鎖が瞬時にグローバルな潮流を生むという現象は、ここ数年加速している。なぜならメディアの発達により、他者との違いの中にも、共感できる部分がより見えるようになったから。ここでいう他者とは、他の人であり、国であり、分野であり、時代でもある。そこに自分との調和を見出していくことは、もしかしたら気づかぬ間に、新しい世界観の創造を担っているのかもしれない。たとえばリストが、そのような役割を果たしていたように。
なお11月に開催されるルツェルン音楽祭のピアノプログラム(11月21日-27日)は、「ヴィルトゥーゾと詩人たち」というテーマで、生誕200周年を迎えるリストが取り上げられる。
(取材・文◎菅野恵理子)
第1回:変化の予兆―今はリスト晩年期と似ている?
第2回:同志の発見‐リスト博物館を訪ねて
第3回:ブレゲンツ音楽祭(同時代人ジョルダーノ作曲・フランス革命を題材にした「アンドレ・シェニエ」)
第4回:ルツェルン音楽祭(ブラームス、ワグナー、マーラーで開幕、東日本大震災プロジェクト等)
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/