海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

感性が変わる時(2) 同志の発見‐リスト博物館を訪ねて

2011/10/05
時代を見つめる眼 (2)同志の発見‐コスモポリタン・リストが見出した次世代の音響と才能

1843年、前途洋々のリスト32歳。

自分の感じるままに音楽を生み出し、当時の美意識から逸脱することすら恐れなかったリスト。古典派巨匠ベートーヴェンを敬愛し、サリエリツェルニーに師事し、青年期には各地を訪れながらロマンチシズム豊かな音楽を書き、ワイマール宮廷楽長となってからは多くの同時代作品の初演も手がけ、晩年期には近代に通じる斬新な音響を試み、まさに音楽史における三世代を渡り歩いた人物でした。
しかしそれは現代の我々が見るリスト像であり、没後も長らく評価の分かれる作曲家であったのも事実です。技巧が目立ち、一見表層的に聞こえる音楽・・・。そのような理由で半世紀ほど前まで、東欧や北欧でもプログラムから外されることが多かったといいます。しかし生誕200周年を迎えた今、リストの偉業が見直され始めています。ロマン派の巨匠として、多くの作曲家の発掘者・編曲者として、そして近代への足掛かりを作った先駆者として。今春、リストが死を迎えたバイロイトの家(現在はリスト博物館)を訪ねました。

音で感情を増幅させるロマン派の巨匠

リスト博物館

ワーグナー音楽祭で知られるバイロイト。街の中心部から少し歩くと、リヒャルト・ワーグナー&コジマ夫妻の住居であったヴァーンフリートの堂々とした佇まいが、整然とした木立の中に見えてくる(現在改装中)。折しも夕暮れ時、美しい夕日が街路に差し込んできた。
「たしかリスト博物館はこの近くのはずだけど・・・?」ふと隣のブロックを見ると、そこに件の建物はこじんまりと建っていた。お隣とは趣が異なるが、こちらも明るい陽射しが入る心地よい家である。この日は私以外の訪問者は誰もおらず、館内スタッフのブリジットさんは親切にも「ご希望のCDをかけましょうか?」と言い、置いてあったリスト編曲作品集のCDをかけて下さった。ここで最期を迎えたリストの人柄を思わせる、親しみやすいスタッフさんだ。


堂々とした体躯のイバッハ製のピアノ。

さて、このリスト博物館でまず目に入るのは、サロン中央に置いてある1870年代当時のピアノである(イバッハ/ワーグナー博物館から貸出)。すでに現代に近い音域を持ち、そのがっしりした体躯は、どんな強弱にも耐えうる強靭な鍵盤楽器であることが分かる。
実際リストの曲はディナーミクの幅が極端に広く、起伏が激しい。楽譜の至るところにfffrinforzandoenergicoappassionato、あるいはpppleggierissimoといった強弱記号や指示記号が見受けられるほか、quasi arpa, quasi oboe, quasi pizzicatoのように他楽器の音質や奏法を要求したり、quasi recitativo、cantandoのように歌を求めることも多い。リストにとって、当時最新のピアノは鍵盤楽器という形を取ったオーケストラであり、そこからピアニストとしてのあらゆる技術を持って最大限の音響効果を引き出そうとしたことが伺える。

同時代作曲家のプロモーターとして

ベートーヴェンの胸像を見ながら演奏するリスト。
傍らにはパガニーニ、ロッシーニ、サンド、バイロン等の姿まで描き込んである。

リストはまるで年代記を記すかのように、人生のあらゆる場面で多くの肖像画や写真を残していた。どの肖像画を見ても「やあ君たち」と話しかけてきそうなほどオープンで好奇心に満ちた眼をしている。青年期の肖像画や石膏マスクの美青年ぶりには、リストマニアと呼ばれた女性ファンが殺到したのも納得である。また若い頃は演奏旅行で国内外を駆け回り、演奏活動を中断した後はワイマールで宮廷楽長となり(1848年)、作曲・演奏・指導にあたる傍ら(1872年にリスト音楽院開校)、ローマで修道院に入り神父になったことで(1864年)、ローマ、ワイマール、ペストに年数か月ずつ滞在するという生活を送った。その旅多き人生を象徴する旅行用マントを羽織った肖像画もある。さらに19世紀前半に発明された写真機によって、晩年及び死亡時のリストの姿は写真という形で残されることになった。自らの演奏技術の開発と表現の進化に熱心であったリストが、当時最先端の写真技術を見逃すはずはない。撮影者はワイマール市内や市民の写真も多く残したルイス・ヘルド(Louis Held)である。

博物館には他にも、クララ・ヴィークやジョルジュ・サンド、ベルリオーズ、ミュッセ、結婚を約束していたザイン・ウィトゲンシュタイン侯爵夫人、娘のコジマ、その夫となるワーグナー、ジロティら生徒との写真も残されている。リストの交友関係は大変広く、中でも同業の作曲家へ差し向けられた視線は温かく協力的である。よく知られているのはワーグナーベルリオーズグリーグ等の作品初演であり、シューベルトに至っては56もの歌曲を編曲し、その作品普及に貢献した。シューマン夫妻やショパンとは親しい交友関係にあり、晩年にショパンの伝記も書いている。


ワーグナー邸ヴァーンフリート

中でもワーグナーとの関係は運命的であった。リストの2年後に生まれたワーグナーは、まだ支持者が少なかった若い頃、リストに自分のスコア譜を送り「私を助けてください!」と執拗に何度も手紙を書いている。そんなワーグナーの天賦の才能を早くから見抜いていたリストは、物心両面から惜しみない援助を約束し、1850年には彼が楽長を務めていたワイマールでの『ローエングリン』初演にも奔走する。この作品は当時の批評家に激しい批判を浴びたが、リストによる論文やチャイコフスキーの評論、詩人シャルル・ボードレールの著述によって次第に評価を得ていく。また『タンホイザー』『トリスタンとイゾルデ』等のオペラのピアノ編曲や、『リヒャルト・ワーグナーの墓に』などワーグナー自身をテーマにした作品も書いている。その二人が夕暮れ時に会話をする様子を模したシルエット画は、とても微笑ましく見える。実際は喧々諤々だった時期もあるのだが・・!


丘の中腹にあるバイロイト祝祭歌劇場。

ワーグナーリストの娘コジマと不倫の末に結婚し(元夫はリストの生徒でもあったハンス・フォン・ビューロー)、リストの逆鱗に触れるが、二人の天才にはやがて和解の時が訪れる。1876年バイロイト祝祭歌劇場の杮落し公演にワーグナーはリストを招き、バイエルン国王ルートヴィヒ2世やチャイコフスキー等の前で、積年の礼を述べる。この時、リストの胸に去来したものは何だったか。またワーグナー死後はコジマがバイロイト音楽祭の運営を担うが、1886年、奇しくもその音楽祭期間中にリストは亡くなる。死の前日コジマはつきっきりで父リストを看病したそうだ。明るい陽射しが入る部屋で、リストはやや疎遠だった親子の絆を取り戻すと共に、亡きワーグナーを偲びながらバイロイト音楽祭の行く末を案じていたのだろうか。

近代への足掛かりを作った先駆者として

リストの後期作品は『エステ荘の噴水』など明るい色彩感が感じられる作品もあるが、晩年には陰鬱な曲想も増える。それらは深い内面性と神秘性に満ちているが、むしろ長い人生を振り返っての内省や回顧というより、新しい時代の希求に感じられる。


1882年のリスト。まだまだ現役!

アルフレッド・ブレンデルは著書の中で、リストロ短調ソナタ以外では構築力の欠如を指摘されることも多いが、その開かれた形式(open form)、すなわちその偶発性や断片性にこそ特徴がある、と主張する。形式に縛られないからこそ到達できる新たな領域、それを象徴するのが晩年期に作られた無調に近い音楽である(『悲しみのゴンドラ』(第1・2稿)、『灰色の雲』、『無調のバガテル』など)。どこに向かうかわからない、偶発的に生まれたような響きやハーモニーは、ドビュッシーの出現も予感させ、無調音楽の到来を予告していた。

リストが亡くなった時、その周囲には才能ある弟子たちや、若い頃から目をかけてきたワーグナーの残したバイロイト音楽祭、娘コジマ、その子供たち等、多くの若い芽が育っていた。そして死を迎えた1886年は、20世紀の演奏界を台頭する指揮者フルトヴェングラーやピアニストのエドウィン・フィッシャーら演奏家が生まれた年である。
次の時代は、もうそこまで来ていた。
(取材・文◎菅野恵理子)

第1回:変化の予兆―今はリスト晩年期と似ている?
第2回:同志の発見‐リスト博物館を訪ねて
第3回:ブレゲンツ音楽祭(同時代人ジョルダーノ作曲・フランス革命を題材にした「アンドレ・シェニエ」)
第4回:ルツェルン音楽祭(ブラームス、ワグナー、マーラーで開幕、東日本大震災プロジェクト等)

▲ページTOP

菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

【GoogleAdsense】