海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

感性が変わる時(1) 変化の予兆―今はリスト晩年期と似ている?

2011/09/27
感性が変わる時
(1)変化の予兆 ~今は140年前と似ている?晩年のリストが生きた近現代への移行期

印象派以降の作品も多いパリ・オルセー美術館

21世紀も10年を経た今、私たちを取り巻く社会状況はかつてないほどの速さで変化し続けています。音楽業界でもここ数年、大きな変化の波が押し寄せました。一例を挙げると、ハード面ではCDからネット配信への音源媒体の変化、ソフト面では昨年のショパン国際コンクール等で表現の個性化・多様化が論議の的となりました。混在する価値観の中で「何が真実なのか」を見極めるのは難しく、迷いや批判も必然的に生じますが、そのうちのいくつかは新しい時代の予兆でもあるのです。
実は、こうした思潮の変化は、今年生誕200周年を迎えるフランツ・リストの晩年期にも起きていたのではないでしょうか。日本においては明治維新後の近代社会育成期に差しかかる頃。その時代と現在の共通点とは!?

昔の非常識は今の常識?今の非常識は未来の常識!?

一大スキャンダルとなったマネ『草上の昼食』
当時サロンの寵児だった新古典主義アングル『ド・ブロイ公爵夫人』

ロマン派の巨匠フランツ・リスト(1811-1886)はその優れた感性で、自分が見聞きした風景、絵画、詩、文学、民謡などを美しく音楽に投影させていった。そんな彼が晩年を迎える頃、それまでの作品とは異なる様相を帯びてくる。それは、この変わりゆく時代の空気を読み取っていたからだろうか。

確かに、時代は転換期に差しかかっていた。変化の機運は音楽界に先駆けて、まず美術界に現れた。写実主義やロマン主義が台頭してきた19世紀半ば、後に印象派運動の先駆けとなったエドゥアール・マネの『草上の昼食』(1863年)や『オランピア』(1865年)が世間を揺るがせた。当時まだ厳然とあった、新古典主義的な流れが残るアカデミズムから酷評され、やむなく落選者展で発表した作品だ。それまで芸術的な主題として扱われてきた女性の裸体等を徹底して通俗的に扱ったことで、一大スキャンダルを醸すことになる。
またクロード・モネの『睡蓮』シリーズは、常に変化し続ける光の揺らめきを捉えるという発想から明確な輪郭を持たない画風で、これも当時のサロンの美意識に逆行するものであった。「印象派」とは、こうした新進芸術家(モネ、ドガ、ルノワール、セザンヌ等)が出品した1874年の展覧会に端を発するが、当時は全くの常識破りと見做されていたのである。


モネ『睡蓮』

しかしこのような価値基準の転換こそが、新しい時代を告げるものだったのだ。明るい色彩を用いて移ろいゆく自然の一瞬の姿を捉えた感性は、やがて自分の内面や幻想を象徴的に描き出す、後期印象主義、象徴主義、表現主義といった近代芸術思潮を生み出していく。

ちなみに19世紀末に都会生活を捨ててタヒチに移住したゴーギャンは、こう言い残している。「僕はうっとりするような自然の香りに満ちた、激しい調和の世界を描きたい。記憶の底に埋もれる聖なる恐怖というものの、鋭い感覚を呼び戻すのだ」(オルセー美術館より)。"激しい調和"というのは、本来相対するものが絶妙なバランスで存在しているような緊張感に満ち、いかにもこの時代を象徴するキーワードだ。

次第に崩れていく調性

印象派展が世間を賑わせていた頃にパリ音楽院に在学していたクロード・ドビュッシーは、後年自著『Monsieur Croche, Antidilettante(反好事家八分音符氏)』で次のように述べている。架空の人物クロッシュ氏(文中の「彼」)に、ドビュッシーが語りかけるという設定である。
・・・
私は、詩の分野で、あるいは絵画の領域で、伝統の古い埃をふりはらおうとした人たちがいた(大骨折って私は、そこに何人かの音楽家をつけくわえた)が、結果は彼らを象徴主義者あるいは印象主義者という、そうした仲間を蔑視するのに格好な言葉でかたづけさせる羽目になったにすぎないことを、思い切って彼に告げた。(中略)

「非常に美しい構想というものは、かたちづくられつつある過程では、ばかものたちにとって滑稽に見える部分をふくんでいるのです・・・独自なままでいることです」
・・・

調性音楽という形式を逸脱し、印象派画家と同じく"印象派音楽"と揶揄されたドビュッシーだが、しかし、新しい感性で時代を読んでいたことは歴史が証明している。そのドビュッシーが生まれる前に、すでにリストはロ短調ソナタ(1853年)冒頭で旋法を導入するなど新しい表現手法を試みていた。1870年代頃からさらに研究を進め、『無調のバガテル』(1885)で一つの完成を見る。ドビュッシーが旋法や東洋風の響きを用いて注目されるのはその数年後であり、シェーンベルクが無調音楽を完成の域に持っていくのは20世紀に入ってからである。リストの先進性が伺える。
ちなみにこの過渡期に生まれた作曲家は、スクリャービン(1872)、ラフマニノフ(1873)、ホルストシェーンベルク(1874)、ラヴェル(1875)、バルトーク(1881)、ストラヴィンスキーコダーイ(1882)、ウェーベルン(1883)等がいる。しかし時代の常で、前例なきことには評価が分かれる。リスト晩年の作品は長年評価に結びつかず、マーラーはシェーンベルクの天才を認めながらも、彼の音楽がよく分からない、きっと自分が年寄りで耳がついていってないのだろう、と呟いている。そのマーラー自身も、生前作曲家としては急進的すぎる存在であり、指揮者として名を成したのであった。

2011年、各国での音楽・美術界におけるテーマは?

今年はリスト生誕200周年につき、リストや彼に関連のある作曲家がよく取り上げられ、今まで演奏機会の少なかった晩年の作品も演奏されている。美術界でも、印象派以降の企画展が多い。なぜ今、19紀末がクローズアップされるのだろうか?

それは、かつてのように、世界全体が新しい感性でとらえられ、再構築されてきているからではないだろうか。今はグローバル化が加速する一方で、地域限定・地域主導といったローカル化も進んでいる。これはもしかしたら、調性というボーダーラインが消失した無調音楽と、郷土に目を向けた民族主義的な音楽と、相反する方向性をもつ思潮が現れた19世紀末に似ているのかもしれない。その遠心力の大きさに、「個」は揺さぶられ、どうあるべきかを自問するようになる。だから、自分の本質に立ち返るのは自然なことなのだろう。

昨年のショパン国際コンクールでは表現の個性化が話題になったが、それも一例かもしれない。楽譜に書かれてある事実は変わらないが、それを捉える人間の視点や感性が違えば、解釈や表現も変わりうる。時代様式等の基本を踏まえながら、自分の内的体験に沿って掘り下げて表現すること。どの音楽家の音が新しい時代を予兆しているのか、興味深く見守りたい。

(取材・文◎菅野恵理子)

※1870年代前後の過渡期をテーマに、第2-4回は以下を取り上げます。
第2回:同志の発見‐リスト博物館を訪ねて
第3回:ブレゲンツ音楽祭(同時代人ジョルダーノ作曲・フランス革命を題材にした「アンドレ・シェニエ」)
第4回:ルツェルン音楽祭(ブラームス、ワグナー、マーラーで開幕、東日本大震災プロジェクト等)

▲ページTOP

菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

【GoogleAdsense】