コンクールを支える人々~エリザベト王妃国際・パトロン19名来日リポート
世界の三大コンクールの一つに数えられ、その芸術性の高さで知られるエリザベト王妃国際コンクール。エミール・ギレリス(1938)、レオン・フライシャー(1952)、ウラディミール・アシュケナージ(1956)、内田光子(1968)、若林顕、仲道郁代(1987)、近年はセヴェリン・フォン・エッカードシュタイン(2003)、アンナ・ヴィニツカヤ(2007)などの優勝者・入賞者を輩出してきた。2010年度もデニス・コジュヒン、エフゲニ・ボジャノフなど、また類まれな才能が誕生した。その陰でコンクールや出場者を支えてきたのが、パトロンである。
昨年末、パトロン17名と事務局長ら2名が来日し、約10日間の滞在を楽しんだ。そのツアーの様子とパトロンの横顔などをリポートします。 (リポート◎菅野恵理子)
人が人を支える国、ベルギー
首都ブリュッセルの中心にあるグラン・プラス
世界最難関とも称されるエリザベト王妃国際コンクール。開催国ベルギーは、ビールやワッフルが美味しいグルメの国として有名である。また小国ながらフラマン語圏・フランス語圏に二分されているなど、地理的・政治的に複雑な事情を抱えていることは知られている。では、「なぜこのコンクールが高いレベルに保たれているのか?どんな人々が住み、どのように芸術と接しているのか・・?」ずっと興味があった。
コンクール取材を含め何度かベルギーに足を運ぶうちに、彼らの音楽との接し方が少しずつ見えてきた。感情を揺さぶられるような演奏を聴けば、ためらわず拍手喝采とブラボーで褒めたたえる。どんな演奏でも率直に意見交換し、気に入ったアーティストがいればためらわず支援する。伝統に囲まれていながら新しい価値観も受け入れ、グローバルな知性とシャープな感性を併せ持つ人々―そんな印象を持つようになった。
そしてある日。「エリザベト王妃国際コンクールのパトロンを含む19名が、今度日本に行きます」。ブリュッセル在住ジャーナリストで、同コンクールとも縁の深い恒川洋子さんから連絡を頂いた。「え?」。パトロン・ツアーとは、あまり聞いたことがない。しかも訪問先は東京、京都、奈良、直島まで含まれるという通好みだ。その時、これがパトロンのためにコンクール事務局が毎年企画している芸術鑑賞ツアーであることを知った。
優勝者にはファビオラ王妃賞が授与される。
パトロンの語源は古代ローマ時代まで遡る。14-16世紀のルネサンス期には、芸術家に経済的支援をする王侯貴族や資産家として、その存在感を強めた。ミケランジェロやダ・ヴィンチといった稀代の芸術家は、メディチ家、ユリウス2世、フランソワ1世等のパトロンの存在なくしては生まれなかったといっても過言ではない。
エリザベト王妃国際コンクールは73年前にイザイ国際コンクールとして出発したが、その第1回目はド・ラノワ家からの出資と、多くの芸術・財界関係者の支援によって開催が実現した。エリザベト王妃もコンクール設立に深く関わり、後年王妃の名が冠されることになった。以降も王侯貴族を始め、音楽を愛する一般市民が支援者となり、現在に至る。「国の支援を受けず、市民の皆さんによって支えられている自立した組織です」と、コンクール事務局長ミシェル・エティエンヌ・ヴァン・ネステ氏は誇らしく言う。
コンクールのプログラムの1ページを開けると、企業・個人出資者の名前がずらりと掲載されている。現在個人のパトロンは120名ほどいるそうだが、皆普段からコンサートやオペラへ足を運び、耳が肥えている方々である。
芸術を支援するパトロンを集めた、芸術鑑賞ツアー
パトロンのための芸術鑑賞ツアーは、今から9年前に始まったそうだ。初回2001年はロンドンへの1泊旅行、翌年よりベルリン、ヘルシンキ、プラハ、ヴェネツィア、ニューヨークなどを巡り、10回目となる今年は遠路はるばる日本へ。毎日、美術館を3箇所以上回るというハードスケジュールだった。
シャネル日本支社長リシャール・コラス氏(左)と。
今回はまず初日に、銀座にあるシャネル銀座ビル、及びシャネル・ネクサス・ホールへお伺いした。日本支社長のリシャール・コラス氏より、シャネル社の歴史や、日本における芸術支援・普及活動などが説明された。シャネル銀座ビル4Fにあるシャネル・ネクサス・ホールは、若手音楽家を起用する「ピグマリオン・デイズ・クラシック・コンサート」を始め、写真展などの催し物が定期的に行われている。創業者シャネルはファッション界の革命児として名を馳せた一方、無名時代のピカソやストラヴィンスキー等の芸術家を積極的に支援した。今回ツアーに参加した彼らも若いアーティストを理解し支援するという立場は同じであり、現在も受け継がれるシャネルの精神に改めて共感したようだ。
2日目夜には在日ベルギー大使館で、今年度ファイナリストとなった佐藤卓史さんの演奏会が開かれた。コンクール以来、ベルギーを中心にファンを増やした佐藤さん。この日モーツァルト・シューベルト・リストを組み合わせたプログラムは、コンクールの時と同様に、知的な構築力がよく生かされた演奏だった。
その他東京では、現代アートシーンをリードする森美術館、伝統美術の宝庫である東京国立博物館や根津美術館、また安藤忠雄、黒川紀章、隈健吾、丹下健三といった有名建築家による建物を見学。特に黒川や安藤らが提唱する「人間と自然がより共生できるような社会」を目指したデザインに共感したようだ。
4日目は東京から新幹線とフェリーを乗り継ぎ、直島へ。直島はベネッセ・コーポレーションが開発したアートの島であるが、そこでも自然と共生するアートの数々に触れ、新鮮な感動を得たようだ。また京都では清水寺でショパン生誕200周年を記念したコンサートが開かれ、深見まどかさんがショパン協奏曲第1番を演奏(共演:京都交響楽団メンバー選抜)。夜の光に照らし出された清水寺の舞台は、一層幻想的に映ったに違いない。
茶道や書道も体験して日本の伝統的所作に感心しつつ、現代的な建築物やデザインにも目を輝かせていたのは、インテリア販売で世界を飛び回るジェニー・メルクスさん。「ツアーに参加するのは2回目で、昨年はベニスで建築・音楽・美術を堪能しました。日本の文化は伝統性と斬新さが上手く共存していて素晴らしいですね!」。
様々なバックグランドを持つパトロンたち
日本酒と和食に舌鼓を打つ
では、彼らはどのようなバックグランドを持つのだろうか。
アストリッド・ヴァン・デー・メーシェンさん、はエリザベト王妃の友人であった母を持つ。その姪ブリジットさんは祖母の家に住んでいた幼少の頃、アブデル・ラーマン・エル・バシャ(1978年優勝)がステイしたことがあるそうだ。コンクール支援は一家の伝統なのである。共に法曹家のジャック&ジャニーヌ・デリュエルさんご夫妻は、40年以上コンクールを支援し続けている。ご主人はピアノを弾く奥様がきっかけで音楽に興味を持つようになり、今では熱心に耳を傾けているという。ちなみに奥様は元ベルギー上院議員。またシモーヌ・ティメルマンさんは、地元で定期的にコンサートシリーズを開催し、エリザベト王妃国際コンクール入賞者を招くことも多い。ルーク&イングリッド・カンビエさんご夫妻も地元で演奏会シリーズを営み、お嬢様は声楽家で同コンクールのセミ・ファイナリストになったことがある。エレーナ・ヴォーテンさんさんは、ご主人が現代美術館創始者であり、ご自身もアフリカ等で教育活動支援に関わる。ジェヌヴィエーヴ・ミースさんは自宅にアトリエを抱える画家。その他、ビジネスで世界中を飛び回る方、州知事夫人など、実に様々なバックグランドを持つ。
そしてコンクール事務局長ヴァン・ネステさんは、3ヶ国語を自在に操り、コンクールを円滑に運営する。今年のツアー訪問先を日本に決めた理由をお伺いした。
2010年度ファイナリスト、佐藤卓史さん
「この30年で、ヴァイオリンやピアノ部門への日本人参加者が増えました。彼らの文化背景はどのようなものか、どのような教育を受け、どんな環境で生きているのか、興味があったのです。我々のパトロンはオープンマインドな方が多いですが、今回のツアーで日本の伝統文化と現代社会の両面を見て、さらに眼が開かれたのではないでしょうか。ベルギー大使館で佐藤卓史さんの演奏も聴きましたが、彼を支持していた人も多く、良い交流の機会になったと思います。
私たちは国家の助成を一切受けておらず、完全に自立した運営母体なので、常にクリエイティブな存在として、個人・企業のスポンサーにも魅力を感じて頂けるよう努めています。」
ヴァン・ネステ事務局長とパトリシアさん。
またツアー発案・企画者でありメセナ担当のパトリシア・ボガードさんは、「パトロンの方々は、エリザベト王妃国際コンクールの"親善大使"になってくれていて、とても有難く思っています。『あなたもスポンサーにならない?』と友人を誘ってくれる方もいますね」と語る。企業の出資に加え、パトロンを大変貴重な存在と考えるパトリシアさんは、パトロン同士を結び、同志を増やしていく頼もしい存在でもある。
パトロンが感じる社会的・芸術的ミッションとは?
2010年度ファイナリストの12名。
若い力をぐっと伸ばすには、時には限界に挑戦することも必要になる。このコンクールではアーティストとしての力を見極めるために様々な試練を課すが(個の力を引き出すシステム―2010年度コンクールリポートより)、中でも最終審査はシビアである。ファイナリスト12名が決定した後、1週間たった一人の力で新曲課題曲に取り組み、ファイナルでオーケストラと共演する。その1週間は決して外部とコンタクトを取ってはならず、とことん「自己」と対峙させられる。その状況において、どこまで自分を信じ、自分を高めることができるのか。挑戦者たちはその限界を超えた時、一アーティストとして大きく成長する。
前山仁美さんとホストファミリー
そんな彼らを間近でサポートしているのは、パトロンの皆さんである。開催期間中、参加者はホストファミリー宅にステイするが、喜びも悔しさも共有してくれる家族のような存在で心強い。そしてコンクールが終わっても「いつでもベルギーに戻っていらっしゃいね」と、いつまでもそのアーティストを温かく応援してくれる。それはコンクールという場が、自己との闘いを経て真の芸術家へと成長する機会だと信じているからだろう。
「とにかく音楽が好きなのよ」。
パトロン達の鋭い耳と優しい目には、アーティストと同じくらいの情熱とエネルギーが宿る。コンクールの支援を通じて、芸術文化の継承を自らのミッションとする―そんな気概まで感じられた。
・デニス・コジュヒン(1位):2011年2月25日 リサイタル
・エフゲニ・ボジャノフ(2位):2011年1月15日-23日 佐渡裕 指揮/兵庫芸術文化センター管弦楽団 *2011年3月ショパンのCD発売予定。
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/