メディアはどう伝えたか?聴衆の存在は?―エリーザベト王妃国際コンクール(12)
長い歴史と伝統を誇るエリーザベト王妃国際コンクール。今年も新たなエピソードに彩られて、華やかに幕を閉じました。1ヶ月近くにわたり、どれほどの聴衆が会場に足を運び、またテレビ・ラジオ・Webでライブ中継をご覧になったでしょう。今回はそんなコンクールを支える第三の眼(耳)、聴衆とメディア、そしてスポンサーについてお届けします。
20年間増え続ける聴衆。「私は通い続けて、まだ10年目です」という方も
ベルギーの聴衆は大変活発で、議論好き。そして審査員のヴィルサラーゼ先生が仰るように、若いピアニストを応援する温かい視線と、あらゆる演奏をオープンに聴き、自由に議論する文化を感じます。セミファイナルでは僅かな当日券は飛ぶように売れ、ファイナルでは発売後まもなく完売と大盛況でした。
コンクール事務局長ミシェル・エティエンヌ・ヴァン・ネステ氏(Michel Etienne Van Neste)によれば「ここ20年ほど聴衆は増え続け、2001年よりモーツァルト協奏曲を課題に入れてからはさらに増えています。今年の来場者は130%増(セミファイナル時)。なるべく多くの方にお越し頂きたいと思い、当日来なかった方の席を無料提供していますが、それでも残念ながらお断りしなくてはいけないことも多かったです」。
コンクールがもたらすのは、熱狂と興奮だけではありません。ヴァン・ネステ氏はさらに、「若い音楽家の支援とともに、音楽を大衆化することも我々の使命です。エリーザベト王妃は、音楽は人を向上させ、人々の対話をうながし、国に平和をもたらすもので、大変重要と考えておられます」。
このコンクールに通い続けて数十年になる方も多く、「私はまだ10年目です」という言葉すら聞くことも。それだけ、このコンクールの芸術性の高さ、運営への厚い信頼、若い才能への期待、そしてその成長を見守る楽しさが、着実に受け継がれているのを感じます。
(写真上:コンクール事務局長ヴァン・ネステ氏(左)。写真下:ベルギーの経済研究所で働く太田瑞希子さん。2年前から声楽、ヴァイオリン部門を聴き、今年もセミファイナルから毎日のように通っておられました)
リアルタイムで熱くコンクールを伝えるテレビ中継・ライブストリーミング配信
聴衆の増加に深く関わるメディア。2001年から始まったWebライブストリーミング配信は国際コンクール初の試みで、今やすっかりコンクールには欠かせない媒体として定着しました(映像配信は電気通信会社Belgacom)。また二大国営テレビ局、VRT(フラマン語圏)、RTBF(フランス語圏)が、セミファイナルから連日テレビ中継。カメラ6台で映し出す映像は、ピアニストの真上からのアングルもあり、迫真迫る表情や細かい身体・指の動きを拾います。音の確かさも長年の経験の賜物。Webでは9月15日まで視聴できます!
また、ステージ脇のボックス席にはTV司会者が座り、毎日異なるピアニストがゲストとして招かれ、コンクールの様子を語っていました。ファイナルでのゲストには、1991年優勝のフランク・ブラレイ等。こうした映像や音源は欧州放送連合(EBU)を通じて、全世界の国営放送(NHK含む)にて無料で使用可能です。さらに演奏後インタビューも連日のように行われ、特にファイナル最終日はTVカメラを担いだクルーが関係者や聴衆も直撃取材していました(筆者も突然マイクを向けられ「優勝者は誰だと思いますか?」など色々聞かれました)。
なお今回メディアからも副賞が贈呈され、 Klara-Canvasprijs(VRT) 2500ユーロとPrix Musiq'3(RTBF)は、ともに1位のデニス・コジュキンが受賞しました。
*TV映像とは別に、コンクール側でも別途CD用録音を行っており、毎年入賞者CD boxとして販売されています。詳しくはこちらへ(www.cd-elisabeth.be)。
メディアは、どう伝えたか?
ジャーナリストの存在も、コンクールのクオリティ・コントロールや若手ピアニストの評価・認知度向上には欠かせません。コンクール期間中、ファイナル指揮者や新曲作曲者を囲む共同記者会見や、La Chapelle滞在中のファイナリスト12名へのインタビュー機会が設けられ、各国のジャーナリスト達はより広い視点でコンクールをとらえる「第三の目」として活動していました。
このコンクールを30年聴き続けているベルギー・ジャーナリスト協会会長のセルジュ・マルタン氏(Serge Martin/写真中央)は、参加者傾向の変化についてこう話して下さいました。
「以前は米国とロシアの闘いといった時代もありましたが、今はロシアの時代が戻ってきつつあります。また最近はアジア人のプレゼンスが強くなっていますが、以前と違って巨匠のコピーではなく、自分のパーソナリティを発展させている。これは変化だと思います。」(セミファイナル時)
ここに、2名のジャーナリストによる佐藤卓史さんのファイナル演奏評をご紹介しましょう(一部抜粋)。
「Takashi Sato(26)はセミファイナルのレパートリーにおいて、多彩さ、かつ正確に様式をとらえる能力を示した。そしてその印象は(ファイナルでの)シューベルトのソナタD959で、早くも決定的となった。それはシューベルトのあらゆる魅力がつまった演奏であった。半ば夢見心地のアレグロ、アンダンティーノでの均整取れた推進力、スケルツォの純真無垢な茶目っ気、アレグレットでの飽くことなき歌心。しかしすべての感情は、運命の壁へと通じていた。そこに配された重みは、思いがけぬ厳粛さを示唆し、驚くべきコントラストを生み出した。(以下略)」(Serge Martin/Le Soir紙)
「(ファイナル3日目の演奏評)初めてオーケストラとピアノのディナーミクのバランスがよく取れた演奏。その音楽解釈と同様、あっと驚かせる音響効果や自身の積極的関与(と多くの技術的訓練)によって厳密に設計された音は、一瞬にしてこの曲に然るべき正当性をもたらした。当の作曲家をちらりと見ると、彼はただただ動転しているようだった。そして最後のプロコフィエフ第1番は、ここまで素晴らしい音楽家であることを示したこのピアニストの、真のヴィルトゥオージティを見せるに至った。(以下略)」(Martine D.Mergeay/La Libre Belgique紙)
若い人は、長期の聴衆となりうるか?
メディアの発達により、音楽への入り口は飛躍的に増えています。では参加者と同世代くらいの若い聴衆は、どれだけ増えているのでしょうか?ヴァン・ネステ氏に次世代の聴衆育成についてお伺いしました。
「26歳以下はセミファイナルまでは無料、ファイナルも毎日last minute ticket(7ユーロ)を何席か残し、若い人が気軽にコンクールを見学できるように配慮しています。またセミファイナルでは大手銀行BNP Paribasの支援により、予選・セミファイナルに毎日100人招待しました。簡単な音楽解説の後コンクールを聴いてもらい、休憩時間には無料でドリンクも飲めます。音楽解説は私がすることもありますし、アーティストや音楽学者など、毎日交代で務めました」。
セミファイナルは1日で8名(4名のリサイタル、4名のモーツァルト協奏曲)の演奏を聴くことができます。同世代の活躍する様子をみて、音楽に興味を持つ子もいるでしょう。コンクールはその入り口としての役割を果たしているといえそうです。
また今回ちょうどパリ褒賞演奏旅行に来ていた仲田みずほさん(2009年度ピティナ・ピアノコンペティショングランプリ)も電車1時間半のブリュッセルまで足を運び、セミファイナルを半日見学。「みな一人一人全く違う個性で、とても興味深く聴くことができました」と話してくれました。
個人の力がコンクールを強く支える
コンクールのプログラムにはスポンサー名が公表されていますが、銀行などの民間企業のみならず、貴族や一般市民からの個人献金が多いのが印象的。
ヴァン・ネステ氏曰く「このコンクールには、ロイヤル・ファミリーに属する人々、ベルギーの国民など、多くの方が個人的に寄付をして下さる伝統があります。ベルギーの税制では、米国ほどではありませんが、僅かながら個人献金の税制控除があります。我々は政府から一切財政支援を頂いていませんので、自分たちの方針を自由に決めることができますが、大変ルールに厳しく運営していますので、それを多くの方々が賛同し、個人的に支援して下さっているのです。また個人の遺産を寄付して頂くこともあり、そうしたことによっても我々の財政体制は強化されています」。
ジャーナリストのマルタン氏によれば、「スポンサーの存在は避けられません。ただ、プログラムに企業名を載せるだけでなく、実際に人を送り込むこと」も重視。前述したとおり、銀行BNP Paribasの協力により若い聴衆を招待したり、また別の銀行Fortis Bankではファイナリスト1名の録音をし、また10-30公演分のコンサートを顧客のために用意しているそうです。
一方で、ボランティアスタッフも大活躍!Facebookを通じて入賞者ファンページなどを作ってネットワークを広げているのは、ボランティアのユーゴ・ド・プリル氏(Hugo de Pril・写真右)。パリ・オペラ座にも定期的に足を運ぶという大のオペラ好きでもある氏は、カメラを片手に会場中を駆け回っていた他、今回ファイナル結果発表前には優勝者予想ページを作ってfacebookを盛り上げ、当選者には2009年度入賞者CD Boxをプレゼント。「コンクール後も長く愛される音楽家に」―そんな若いピアニストを見つめる深い愛情を感じます。
こうした個人の力が、このコンクールでは生きているのです。
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/