海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

ベルギーに印象残す日本の芸術性―エリーザベト王妃国際コンクール決勝3日目(7)

2010/05/27

ファイナルも3日目となりました。連日満席のボザールには、ブリュッセルだけでなく、近隣の街から電車や車で通いつめている方が多くいます。ちなみに筆者の隣は、車で約1時間のゲントという街から通っているオペラ通の方。3日目ともなると座席近くの人と親しくなり、休憩時間にはワイン片手に思い思いピアニストについて語り合う姿が、あちこちで見受けられます。

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セミファイナルより © Bruno Vessié

さてこの日は唯一の日本人ファイナリスト、佐藤卓史さんの登場に注目が集まりました。
「シューベルトが好き」とソナタD959を選んだ佐藤さん。この曲に求められている質の高い繊細な音を多層的に使い分け、和声の変化も丁寧に弾き分けながら、決して感傷的になりすぎずに、シューベルトの精神性に迫っていく演奏。速めのテンポでさっと進む部分もありましたが、それが第4楽章では現世の残像のような効果をもたらしました。そして白眉は新曲「Target」。右手のこぶしで一音目を鳴らしてインパクトを持たせ、カデンツァに入る前も冒頭と同じくトライアングルの響きと合わせるように右手で一音。構造の対象性とリズムの非対称性といった面白さも分かる演奏。変拍子にも上手く呼吸を合わせ、オーケストラとの息の合わせ方もオケ譜をきちんと読んだと思わせる出来で、新曲初のブラボー!演奏後、聴衆からも多くの賛辞が寄せられました。

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セミファイナルより © Bruno Vessié

前半に登場したハネス・ミナー(Hannes Minnar)はベートーヴェンの初期ソナタやサン・サーンス協奏曲で、自分を分かった選曲。素直なベートーヴェンと同じく、新曲も自然なフレーズに身を任せる感じ。フレーズの行方を考えるあまりリズムの特徴を捉え切れない箇所などが散見されたのは残念でしたが、他楽器の音色を生かす余白を残した演奏でした。サン・サーンス協奏曲5番では、指揮者アルソプの若手ピアニストに対する優しいサポート精神が発揮されていました。


「キャラクターの違いを描き分けた」佐藤さんへ終演後インタビュー

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終演後の佐藤さんと、欧州連合日本政府代表部の丸山則夫公使
―お疲れ様でした!この8日間はどのように過ごしましたか?

最後は詰めて頑張りましたが、基本的にはエンジョイして生活を送れました。みんなと仲良くなれて、残りの人が僕の出発を温かく見送ってくれました。とても温かい雰囲気でしたね。

―新曲にはどのように取り組みましたか?

音を完璧に追うというより、セクションごとのキャラクターや、その音がどのような意味を持ってそこにあるのかを重視して表現しようと思いました。例えば打楽器の民族的な要素が強い部分や、低音でパーカッシブなところ、響きがぱーんと一瞬あって綺麗に消えていくところなど、なるべく対照的になるようにしようと思いました。

―最前列で聴いていた方によれば、最初の一音を弾く前に、隣の二音を左手で押さえて、右手のこぶしで音を鳴らしたとか。

はい。作曲者がなるべく最初の一音をインパクトある音にしてほしいということだったので。彼は1の指だけで弾くとか・・と言っていましたが、鍵盤の端にあってバランスが取りにくいですし、隣の音を押すといけないので、周りを押さえてこぶしで叩くことを昨日思いつきました(笑)。

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終演直後に行われたTVインタビューの様子
―他楽器とのアンサンブルという点では意識したことはありますか?

管楽器やハープは出が遅いので、指揮者のバトンだけに合わせないで、ちょっと遅れて入ってくるのにつけようとしました。

―古典ソナタはシューベルトD959を選ばれましたね。

シューベルトのピアノソナタへの取り組みの集大成ともいえる曲で、後期ソナタは3曲とも全く違う性格なのですが、このイ長調は中でも構築感があってしっかり書かれていると思います。とても長いのですが、今どの部分なのかを考えながら弾くのが重要かなと思いました。

―どのような音質を意識しましたか?

シューベルトは基本的に「歌うこと」ですね。ピアノだけれどなるべく声に近いような音、また場所によりますが、立ち上がりの鋭くない音ですね。かつ高音のオブリガートなどは玉を転がすような音色を目指しました。

―これで全ラウンドが終了したわけですが、予選からファイナルまでを振り返って一言お願いします。

一次予選はエチュードの準備が大変でしたが、セミファイナル以降は色々な自分の面を見せようと考えて、なるべく異なるキャラクターのものを対照的に演奏することを心がけました。ファイナルはオーケストラがつくので、音量が出るように考えて弾きました。

―次に演奏する曲、または目標を教えて下さい。

6月下旬から7月にかけて日本で演奏会を行う予定です。7月には初めて日本でモーツァルト協奏曲23番を弾き振りします。その他にも何曲か指揮をする予定なので、スコアの勉強をしなくてはと思っています。

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8日間を過ごしたLa Chapelleにて。Kim君相手にマッサージ中?
―やはり指揮も。新曲を聴いていて、オケ譜をきちんと読んでいる印象を持ちました。

現代曲の場合は全てのパートを見るのは基本的に不可能なのですが、自分も弾かなくてはいけませんし・・ただキーになる部分が入ってくるのか、各楽器のタイミングをいつも意識していました。

―結果発表まであと3日。今は何をしたいですか?

ブリュッセル観光ですね。ホストファミリーは少し市内から離れているのですが、家の近くも少し散策してみたいです。

―お疲れ様でした!

ベルギーの中で存在感示すJapan

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欧州連合本部が置かれているベルギーの首都ブリュッセル。ここでも多くの日本人の方がご活躍されています。

佐藤さんと一緒に写真に写っているのは、欧州連合日本政府代表部の丸山則夫公使。ワインと音楽に大変造詣が深く、今回もセミファイナル、ファイナルも毎晩のように会場に足を運ばれ、各ピアニストについて鋭く熱心に語っておられます。セミファイナルでは、国営テレビによる演奏終了後インタビューに前山仁美さんが出演した際、流暢なフランス語で通訳を務められました。「前山さんの演奏後、あの美しい音に惹かれてモーツァルト協奏曲20番の楽譜を早速買いました」と丸山氏。佐藤卓史さんの新曲演奏も絶賛されていました。

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左はスタインウェイのGerrit Glaner氏

そして、ベルギー在住音楽ジャーナリストの恒川洋子さん。「ベルギーは本当に人が温かくて魅力的な街!アーティストやホストファミリーなどの横の繋がりも強くて、コンクール後にこの街が好きになって住む人も多いんですよ」と、いつもその魅力を熱く伝えて下さいます。国籍年齢に関係なく、興味を持ったアーティストに積極的に話しかけ、人と人を繋げる名人でもあります。大のグルメでもあり、フランス語圏の音楽業界では知らない方はいないくらいご活躍です。

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またベルギーには、日本を愛する人が多くいます。お二人ご紹介しましょう。日本の大衆文化や民衆の素顔などを通して1980年代の日本社会を描いた『Satori Stress』の作者で、ドキュメンタリー映画監督ジャン=ノエル・ゴブロンさん(Jean-Noël Gobron、写真©Nilufar Ashtari)。様々な階層の老若男女の生き様や思いを映し出すカメラの、鋭くも愛情ある眼差しが印象的です。また詩人であった母を描いた作品『Portrait of my mother poet(2009)』では、2003年度ピアノ部門優勝者セヴェリン・フォン・エッカードシュタイン(Severin von Eckardstein)が演奏・楽曲提供しています。 

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ヨーロッパにとって、日本は神秘でもあり、未来型でもあります。「Charaや椎名林檎が好き」という日本ファンのフィリップさんは、雑貨ショップのオーナー。サブロン広場からグラン・プラスに向かう坂道の途中にあるこの店は、ピンクのディスプレーが目を引きます。フィリップさんはデザインの仕事に長年携わり、現在このお店で日本をモチーフにデザインしたグッズや日本の可愛い小物、洋服などを扱う傍ら、日本人ビジュアル系バンドの支援も。

「Japanは未来の姿だと思います!」


菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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