60分、29時間、8日・・「個の力」を引き出すシステム―エリーザベト王妃国際コンクール(6)
さて、今年は韓国出身ピアニストが5名ファイナルに進出し、新曲課題に選ばれたピアノ協奏曲「Target」の作曲者も韓国出身と、まさに韓国躍進が著しい年となりました。
昨日ファイナル2日目に登場したファイナリスト2名も、ともに韓国出身。
最初に登場したジョンハイ・パク(Jong-Hai Park)は、シューベルトD784から。深い思考の枠の中で音楽が進んでいくのだが、やや音色が単層的になり、細かい機微が表現しきれず一本調子に聴こえてしまったのは残念。セミ・ファイナルではモーツァルト協奏曲で優れたアンサンブル能力を示しましたが、この新曲でもそのバランス感覚が生かされ、打楽器やハープとの掛け合いも美しく、上手くまとめた印象でした。プロコフィエフ協奏曲3番も優等生の演奏。
次のスンウー・イェクウォン(Sunwoo Yekwon)は、優れたリズム感と印象的な重低音を持ち、それが新曲で随所に生かされていました。特に二度の音程の強調が一定の効果を与え、この曲の特徴を引き出していました。ラフマニノフ協奏曲は3番はやや背伸びした選曲で、彼なりの学習成果が見えた演奏。譜面から垣間見える精神に肉薄できると、もう少しオーケストラとも融合するのではと思わせました。
「個」を大切にするコンクール
さて、このコンクールは個人個人を大切にし、運営が公正かつ丁寧に行われていることでも知られています。それはベルギーのお国柄とも関係しているでしょう。
まずロイヤルファミリーのファビオラ元王妃が会場に姿を見せると、聴衆は全員起立し、ロイヤルボックス席を向いて拍手でお迎えします。審査員が入場・着席する時も拍手。そして毎回司会者がプログラム紹介をしますが、フランス語・フラマン語・英語の3ヶ国語を均等に使い分け、完全に3語圏が公平になるよう演出しています。セミ・ファイナルのオーケストラも、フランス語圏とフラマン語圏から1楽団ずつ、毎年交替で起用しています(今年はフランス語圏)。
さらにセミ・ファイナル最終日、最終演奏者が弾く直前に審査員長が起立し、聴衆に向かって一礼。オーケストラ(Orchestra Royal de Chambre de Wallonie)と指揮者(Paul Goodwin)、新曲課題曲の作曲者(Jean-Luc Fafchamps)に敬意を表し、短いスピーチを行いました。
またこのコンクールを長く支援する個人スポンサーや、参加者が滞在するホストファミリーには地元の名士が多く、コンクール終了後もそのピアニストを温かくサポートしてくれる方も多いそう。こうした「個」をサポートする体制が整っているのが印象的です。
それを全て統括しているのが、コンクール事務局長のミッシェル・エティエンヌ・ヴァン・ネステ氏。三ヶ国語を巧みに操り、会場でも様々なゲストと会話しながら、迅速スマートに諸事に対応されています(後日インタビュー紹介)。
緊張状態を作り、個人個人の最大限の力を引き出す
さて、では冒頭の「60分、29時間、8日」とは何でしょう?既に記事でもご紹介していますが、予選・セミファイナル・ファイナルでの課題が指定されてからの準備時間なのです。
まず予選では5曲用意してきたエチュードより、実際に弾く曲(1曲、あるいは複数曲)を指定されるのですが、それが「演奏60分前」。前山仁美さんも「直前まで何を弾くのが分からないのが難しかったです。本番60分前に指定されて、それからどんな曲順で弾くかを考えたのですが、これは初めての経験でした」。この厳しい課題をこなし、見事セミ・ファイナルに進出しました。
またこの予選で興味深いのがプログラム順。共通課題であるバッハの前奏曲とフーガから始まる参加者が多い中、タネーエフの前奏曲とフーガから始まり、次にバッハを配置したデニス・コジュキンの曲順と演奏が評判を呼びました。
次にセミ・ファイナルで弾くリサイタル・プログラムを指定されるのが、「演奏29時間前」。新曲1曲を含む50分プログラムを2つ用意し、その一方を指定されます。実際に演奏するプログラムが決定した後、29時間で本番を迎えるわけです。佐藤卓史さんは、「指定された方のベートーヴェンのソナタ32番op.111は、このコンクールのために取り組んだ曲です。もう一方のプログラムに入れていたシューベルトD664は以前から弾いていたのですが、結果としてベートーヴェンを指定されて良かったと思います」。本日登場するファイナルではシューベルトD959とプロコフィエフ協奏曲1番を弾く佐藤さん、大いに注目されます。
そして「演奏8日前」とは、ファイナルで演奏する新曲課題曲(ピアノ協奏曲)の楽譜が手渡される日。それと同時に、携帯電話やPCなどは全て押収され、ブリュッセル郊外にあるLa Chapelleに入居することになります。ファイナルは一晩で2名ずつ出演するため、入居するのも順番に2名ずつ。先週21日(金)にLa Chapelleにて記者会見がありましたが、「今日6日目で、もうすぐ本番です。この新曲はヨーロピアンスタイルで、形式も古典に近く理解しやすい。僕が世界初演になるので責任を感じています」という演奏番号1番のユーリ・ファヴォリンや、「今日ここに到着して新曲楽譜も今見たばかり。今ちょっとランニングしていたんですが、これから心身を良い状態に保って取り組みたいです」という演奏番号12番のデニス・コジュキンまで、ファイナリストの様子も様々。それぞれ何日目かで心身の状態も違います。緊張感に包まれながらも、時折外に出てリラックスしたり、食事中も和気あいあいとした雰囲気。この8日間という時間の使い方は、各ファイナリストに委ねられています。
「直前まで何を弾くか分からない」という緊張感と、それを克服することで生まれる「何を指定されても弾ける」という自信、そして自分一人で音楽を作り上げる「個」の強さ。このコンクールでは予選、セミファイナル、ファイナルと進むにつれて、一人一人の音楽観やパーソナリティの強さがどんどん浮き彫りになっていきます。
本日のライブ中継はこちらから!
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/