音楽における九星

第一部<第19回>洞察力 II

2018/05/29
◆ 第一部
<第19回>洞察力 II

私が洞察力を磨く上で、直接的なトレーニングとなったのは、楽譜の発注によってです。

私がパリへ渡った1970年代半ばは、デュラン、サラベール、エシック、ウージェル、ジョベール等々の楽譜出版社が健在だった頃で、楽譜店も市内のあちこちにみられました。それらを訪れた際、私は各出版社のカタログをもらうのを習慣にしていて、それらは今もなお、貴重な情報源となっています。

カタログを開くと、10代だった当時は知らない作曲家の知らない曲ばかりで埋め尽くされていて、未知の世界の大きさに圧倒されました。

現代曲のコンサートやレコード店通いにも夢中になっていましたが、私に大きな感銘を与えた作曲家や作品が、なぜか有名ではないことが多いのに気づき、知名度と内容は全く無関係なのだと実感したのもこの頃です。そして関心を持った作曲家の楽譜を集めようとしても、オーケストラ曲の総譜などはほとんど出版されていないという現実を知りました。幸い出版されていても、部数が少なく、すぐ絶版になったり、とんでもなく高額だったりします。

現代曲の楽譜の高値に驚いた人は多いと思いますが、ピアノ曲とオーケストラ曲では桁が違います。極端な例では、2007年版のリコルディ社のカタログ中、最高額のスコアはフランコ・ドナトーニ(1927━2000)の「息」(Atem)で、5769.23ユーロもします。誰が価格を設定しているのか知りませんが、売る気があるとは思えません。

こうした出版譜は基本的にオーダーメイドで、一冊10万円を超える楽譜も少なくないのです。しかも、無名の現代曲にこの値段では、人に知られることを頭から拒否しているようなものです。

現代曲のオーケストラスコアは、弦パートが全員分割されていたりするため、段数が多く、サイズがテーブルほどの大きさになります。それで先のドナトーニなどはテンポが速い上に1ページに2小節が普通なので、20分程度の作品では相当分厚いスコアになってしまうのです。

こうした高額のスコアを発注するには、余程の覚悟が必要で、失敗は許されません。商品を見ずして買うわけですから、眼光紙背に徹する感覚でカタログから内容を察します。私の洞察力はこれで養われました。なぜそうまでして高額なスコアを買う必要があるのかといえば、当然ながら、そこには20世紀がもたらした、最上の音楽の成果がみられるからです。少なくとも、私は価格以下だと感じた楽譜を買った記憶はありません。感嘆すべきこれらの作品が、情報に満ちている筈の現代に殆ど知られていないのは、何という皮肉でしょう。

こうした楽譜も含め、20世紀音楽の神髄の多くは図書館にも入っていない現状を考えると、音楽遺産の喪失が危ぶまれるのは、19世紀より20世紀であることは確実です。音楽出版社の統廃合が進む今日、それをどこまで救い出せるか、ひとえに洞察力にかかっているのです。(2018.4.27)


◆この連載について
作曲家でピアニストの金澤攝氏は数千人におよぶ作曲家と、その作曲家たちが遺した作品を研究対象としています。氏はその膨大な作業に取り組むにあたって、「十二支」や、この連載で主にご紹介する「九星」を道しるべとしてきました。対人関係を読み解く助けとなる九星は、作曲家や、その人格を色濃く反映する音楽と関わるに際して、新たな視点を提供してくれるはずです。「次に何を弾こうか」と迷っている方、あるいは「なぜあの曲は弾きにくいのだろうか」と思っておられる方は、この連載をご参考にされてみてください。豊かな音楽生活へとつながる道筋を、見出せるかもしれません。 (ピティナ読み物・連載 編集長)
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