第一部<第15回>冲II ― 天尅地冲
「冲」が示す特異な現象について述べてきましたが、実は冲の持つ大きなインパクトは、別の所にあります。
それは自身の干支が冲される時期を迎えた際、亡くなったり、重い病気や事故に倒れる人が相当多いのです。心配性の方、覚悟のない方はこんな時期を知らないほうがいいと思うので、具体的な言及は避けますが、冲災を受けた音楽家・ピアニストの著名人は大勢います。
また、十二支の冲に加え、さらに十干も自分を責める五行にあたる関係を「天尅地冲」または「天戦地冲」と称し、1/60の確率で存在するこの対人関係、殊に男女関係は、あらゆる凶災に見舞われると警告する書などもみられます。この場合は生日支同志で判断します。
これについては以前、苦い経験があります。
長く親交のあった、クラシック愛好家の独身男性から、今付き合っている女性との相性はどうか、と問われ、調べたところが「天尅地冲」です。しかも驚くべきことに、近く一緒に白山に登山するというその日が、年に何度もないほどの大凶方位でした。
私は思わず、「この人とは即刻別れたほうがいい。悪い事は言わないから、とにかく白山へは絶対行ってはいけない。どうしても山に行きたければ、方位をずらすか、時期をずらすかのどちらかだ」と諫言しました。気学を知る人なら、年月日を総て五黄殺で揃えた上に歳破方位で登山するなど、自殺行為に近いことがわかるでしょう。天尅地冲の"大凶のストライクゾーン"へと誘導する威力には全く舌を巻きます。
結果、彼は私の言葉を受け入れ、白山の宿舎をキャンセル、別方位の山へと向かったようです。しかし、怒ったのは"彼女"です。せっかく楽しみにしていたのに、そりゃ何事だ、と怒り狂ったといいます。以来、私に決して顔を合わせませんでした。「人間は転ぶ前に手を差し延べると余計なことをするな、と腹を立てるが、転んでしまってから手を差し出すと、なんと親切な人だ、と感謝するものだ」と昔、母がよく言っていた言葉を思い出しました。
要は下手に忠告などしなければ恨まれない訳で、先のケースでは、仲良く何らかの災難に遭ってから、「良い修業をしましたね」と、お見舞いなりお悔やみを述べるくらいの達観が必要だったのかもしれません。
結局その後、彼との縁が切れてしまったのは"彼女"ではなく、私のほうでした。
尤も、天尅地冲であっても、特定の条件下で凶意が解かれたり、別の吉意に救われたり、ということがままあるので、該当する人は"これも修行"と腹を括り、決して悲観しないことです。
自分の周囲に展開する環境・人々は総て必然であって、本人との縁、共振によって成立しています。それはクリアすべき課題の表れでもあり、感謝して向き合うことで、新たなシーンへと移行します(2018.1.25)
作曲家でピアニストの金澤攝氏は数千人におよぶ作曲家と、その作曲家たちが遺した作品を研究対象としています。氏はその膨大な作業に取り組むにあたって、「十二支」や、この連載で主にご紹介する「九星」を道しるべとしてきました。対人関係を読み解く助けとなる九星は、作曲家や、その人格を色濃く反映する音楽と関わるに際して、新たな視点を提供してくれるはずです。「次に何を弾こうか」と迷っている方、あるいは「なぜあの曲は弾きにくいのだろうか」と思っておられる方は、この連載をご参考にされてみてください。豊かな音楽生活へとつながる道筋を、見出せるかもしれません。 (ピティナ読み物・連載 編集長)