第一部<第13回>三合
支合が2つの十二支を結ぶのに対し、三合は三つの十二支を正三角形で結びます。時計の12時、3時、6時、9時を頂点とした4種類のトライアングルは、それぞれ水・木・火・金の力によって結束します。土は頂点になり得ません。
北の子は子孫や部下、東の卯は新しさや発展、南の午は美や名誉、西の酉は金銭や喜びなどを表象するもので、水気、木気、火気、金気を代表しています。
音声・音楽は木気に属するので、寅か卯を生年月日に持っていることが、音楽家の資質の一つの条件というか、目安ではあります。
木の三合は亥・卯・未の三局からなり、例えば音楽史上、最大の天才の一人と考えられるヒンデミットなどは、未年、亥月、卯日生れです。
しかし、寅や卯が無いからといって、音楽家になれない訳ではなく、ストラヴィンスキーはどちらも持っていません。しかし彼の場合は生年と生月に午を持つことから、響きやメロディよりも、色彩感やファッション的なセンスに反応するタイプだったと考えられます。
とりあえずここで重要なのは、正三角形を形成する三つの十二支が連帯関係にある、ということで、このうちのいづれか二つだけでも親和性が生じます。
つまり子歳生れは、辰歳・申歳と仲良くできますし、辰歳と申歳の関係も良好です。
これが対人関係となると、辰歳同志は波乱含みだったりするのですが、音楽作品に対しては自分と同じ干支も含め、三合にあたる生年の作曲家と共振します。自分の月命の干支と作曲家の生年支も、同じように反応が生じます。
改めてJ.S.バッハに還って整理してみますと、九紫と相尅する一白・六白・七赤の人でも、生れ年、あるいは月が子(支合)、丑・巳・酉(三合)を持つ人は、相生と同様の立場でバッハに向き合えることになります。エフゲニー・コロリオフの卓抜なバッハも、丑の重なりがもたらした成果です。
では上記の条件に合わない人がバッハを弾くとどうなるのでしょうか。私は聴いていませんが、ロストロポーヴィチの弾くバッハなどがそれに当ります。ここでは2種類の理由が想定できます。一つは仕事と割り切って弾いているケース。もう一つは、バッハの持つ古典性、方則性への賛美という観点に基づくものです。
ショパンが奏でたバッハは後者の最たるものと考えられます。しかし、その厳格な古典性を介して写し出されていたのは、ショパンその人の姿であったと想像します。
アルトゥール・シュナーベルやエリー・ナイ(いづれも一白)の弾くベートーヴェン(五黄)が何故説得力を持っていたか、という疑問も、三合における寅と午の作用によるものと知れば納得がいきます。 (2018.1.12)
作曲家でピアニストの金澤攝氏は数千人におよぶ作曲家と、その作曲家たちが遺した作品を研究対象としています。氏はその膨大な作業に取り組むにあたって、「十二支」や、この連載で主にご紹介する「九星」を道しるべとしてきました。対人関係を読み解く助けとなる九星は、作曲家や、その人格を色濃く反映する音楽と関わるに際して、新たな視点を提供してくれるはずです。「次に何を弾こうか」と迷っている方、あるいは「なぜあの曲は弾きにくいのだろうか」と思っておられる方は、この連載をご参考にされてみてください。豊かな音楽生活へとつながる道筋を、見出せるかもしれません。 (ピティナ読み物・連載 編集長)