第一部<第7回>相生 ─ バッハの見え方
「親」と「子供」はどちらも相生ですが、その違いがどう演奏に反映するかについて、J.S.バッハを題材に見ていきましょう。
因みに気学の用語では、親=生気、子供=退気、責める相手=殺気、責められる相手=死気とするのですが、この企画は音楽家を中心とした人間関係を読み解く趣旨なので、こうした用語は適切でないと感じます。
さて"大バッハ"は九紫火星生れです。同年生まれのヘンデル、ドメニコ・スカルラッティも当然同じです。火は木の「子供」、土の「親」ですから、その両方を併せ持つ二黒土星の早生まれ、即ちメンデルスゾーンによって復活したのは歴史上の必然でした。
人は「親」の星を持つ人を"頼もしい"と感じ、実際その星の人から可愛がられます。年下であっても、何か頼もしげです。「子供」に対しては、こちらが可愛がりまた、頼られるので、つい面倒を見てあげてしまいます。相手が年上でも同じです。従ってその分、こちらのエネルギーが消費されることになるので、「退気」と称します。
作曲家に対する演奏家の認識もこれと同じです。バッハを崇高で偉大なイメージとしてとらえているのは、実は土星生れだけということになります。ブゾーニ(八白)を初め、ディヌ・リパッティ(二黒)、カール・リヒター(二黒)、グレン・グールド(五黄)らは、そうしたイメージのバッハを描きます。
一方、木星生まれには「子供」ですから、内省的、もしくは家庭的な親しみ、慈しみを感じる存在と映ります。「親しきバッハ」を奏でるのはワンダ・ランドフスカ(三碧)、ヘルムート・ヴァルヒャ(三碧)、スヴャトスラフ・リヒテル(四緑)、タチアナ・ニコライエワ(四緑)といった人たちです。
比和の九紫火星にとっては「自分自身」ですから、視点の高さが等しく、「思い入れ」というより、本質的な共鳴・共振が働く、と考えるべきでしょう。アルベルト・シュヴァイツァー(八白の一月生まれ)がそうですし、ジャン=フランソワ・パイヤールやイェルク・デームスが表わすのは「素顔のバッハ」或いは「等身大のバッハ」なのでしょう。
ところで、パブロ・カザルスは七赤金星です。これをどう説明すればいいのか。金は火に尅されてしまいます。この「負かされる相手(死気)」の作曲家に対し、演奏家は最も共感を持ちにくいのです。反対に自分が勝つ方は、謂わば"餌食"としておいしそうに見える傾向がありますが、カザルスにストレスを与える筈のバッハに彼が何故魅かれたか。
これは当初の私が最初にぶつかった難問でした。調べるうちに、そうしたケースがいくつも出てきた上、共感する作曲家がほとんど当らない人物がいました。他ならぬ私自身です。
"九星判断は結局迷信に過ぎなかったのか"との思いが氷解するまでに、かなりの年月を要しました。
(2017.10.29)
作曲家でピアニストの金澤攝氏は数千人におよぶ作曲家と、その作曲家たちが遺した作品を研究対象としています。氏はその膨大な作業に取り組むにあたって、「十二支」や、この連載で主にご紹介する「九星」を道しるべとしてきました。対人関係を読み解く助けとなる九星は、作曲家や、その人格を色濃く反映する音楽と関わるに際して、新たな視点を提供してくれるはずです。「次に何を弾こうか」と迷っている方、あるいは「なぜあの曲は弾きにくいのだろうか」と思っておられる方は、この連載をご参考にされてみてください。豊かな音楽生活へとつながる道筋を、見出せるかもしれません。 (ピティナ読み物・連載 編集長)