ショパン国際会議2017
ポーランドのワルシャワで、NIFC(ポーランド国立ショパン研究所 The Fryderyk Chopin Institute)の主催による「ショパン国際会議2017」が開かれました。NIFCという機関は現在、ショパン国際コンクールの開催、各種国際音楽祭の開催、ショパンに関する資料の収集、調査研究、出版等、ショパンに関するあらゆる活動を一手に行っています。会議は9月1日から3日までワルシャワ大学内のカジミエッシュ宮殿で行われ、世界各国から21人の研究者、ピアニスト、ヴァイオリニストが招かれました。
この会議は毎年、テーマを変えながら行われており、今年のテーマは「19世紀前半のロマン派音楽におけるバロックの伝統」というものでした。因みに、昨年のテーマは「19世紀の器楽音楽における抒情的で声楽的な要素」で、来年は少し複雑なので次をご覧下さい。(参照リンク)
ショパンが生きた19世紀前半は、丁度、バッハを初めとしたバロック音楽の復興が行われた時代でもありました。バッハを例に挙げると、彼が1750年に亡くなった後、音楽様式が急速に変化し、バッハの音楽は殆ど演奏されなくなりました。その間に当時の楽器も失われ、演奏法も忘れられてしまいました。しかし、彼の没後、約80年の空白を経てメンデルスゾーンが1829年にベルリンのジングアカデミーでマタイ受難曲を蘇演しました。しかし、実際にはその前からバッハ或いはバロックの復興は少しずつ行われていました。例えば、バッハの《平均律クラヴィーア曲集》の楽譜は、1800~01年にライプツィヒ、ボン、パリそしてチューリッヒで相次いで出版されました。また、バロック期に興隆したオペラの歌唱法は19世紀のオペラにも継承され、それが、器楽音楽にも広く取り入れられるようになりました。ベル・カント唱法を思わせる節まわしや装飾法、テンポ・ルバート等がそれにあたります。初期ロマン派の作曲家が書いた前奏曲集やフーガ、或いは「前奏曲とフーガ」等もバロックの伝統を受け継いだものと考えられています。
さて、今回の会議は各発表者がそれぞれのテーマで発表したのですが、NIFCはそれを予め8つのカテゴリーに纏め、各カテゴリーで1~3人が互いに関連するテーマで発表するように計画されていました。そうすることで、内容がバラバラにならず、議論がより深められたと思いました。
(フリードリッヒ・シラー大学)
(ワルシャワ大学)
会議は9月1日の午後から始まりました。先ず、NIFC所長のアルトゥール・シュクレネル氏から開会の挨拶があった後、2名の講師による基調講演が行われました。初めは、クリスチャン・ヴィーゼンフェルト氏(フリードリッヒ・シラー大学)による「変容と抵抗:ロマン主義音楽の中のバロックの美学の足跡」で、これは非常に美学的で包括的な内容でした。次に、この会議のコミッティーであるシモン・パチュコフスキ氏(ワルシャワ大学)による「ショパン、バッハとバロック:総合的な序論」で、これはショパンが1833年にヒラー及びリストと共に行ったバッハの《3台のチェンバロのための協奏曲》第1番ニ短調BWV1063より〈アレグロ〉の演奏や、その演奏会に対するベルリオーズの批評、或いは、ショパンが1846年秋からリストの紹介で約1年間教えたポーリーヌ・シャザレンの《平均律》の楽譜へのショパンの書き込みに基づいた非常に興味深い内容でした。
(以降は次回)
執筆:加藤一郎(かとう いちろう◎国立音楽大学准教授 ピティナ正会員)