世界遺産とピアノ [前編]地域文化と楽器店~「ピアノプラザ群馬」訪問~第1回
2016年1月某日、午前10時半。高崎市にあるピアノプラザ群馬の建物群の前に半時間早く到着したので、併設された「シューベルト・サロン」の写真を撮っていると、車で到着した中森隆利さんが声をかけてきてくださいました。中森さんは、多忙なスケジュールの合間を縫って、今回の取材に応じて下さいました。
取材の目的は、2014年に世界遺産に登録された富岡製糸場にかつて持ち込まれたというピアノについて、その経緯や詳細を伺うことでした。しかし、事務所に通して頂くなり、名刺交換もよそに、中森さんの稀有なキャリアについての話題で盛り上がってしまいました。しかしそれは、なぜ中森さんが富岡製糸場とピアノの話題に関わってこられたのかを知る上で必要不可欠な前提でもあります。
そこで本連載では、全体を前編(第1回・2回)と後編(第1~5回)に分けてふたつの話題をお届けします。前編は、中森さんがピアノプラザ群馬を立ち上げるに至った経緯と苦心談、そして地域に密着した独自の楽器店の特徴をご紹介します。後編では、明治期にフランスから「富岡製糸場」に持ち込まれ、その後行方が分からなくなった幻のプレイエル社製のピアノとその所有者の数奇な運命を、中森さんからご提供いただいた資料、および筆者の調査に基づいて、辿りたいと思います。
1945年、静岡県磐田市に生まれた中森さんは、10歳から父が経営するピアノ会社「日本シュヴァイツァピアノ」の工場に住み、ピアノ製造の工程を間近に見ながら育ちました。製材から完成まで、一連の工程に触れながら育った中森さんにとって、ピアノのイメージは黒光りする完成型ではなく、ばらばらの素材を組み合わせてできあがっていく、製造プロセスそのものだったといいます。中学と高校でそれぞれ野球部と剣道部で心身を鍛え、高崎経済大学に進学、経済学部で経営学を専攻しました。
卒業後、すぐに父の会社に入社し、子どもの頃からの経験と大学での学びを生かしてピアノ製造、管理、経営など、すべての業務をこなしました。70年代のオイルショック、木材・人材・資金のあらゆる面で不足をきたす中で、ほとんど休みの日もなく毎日残業をこなしました。しかし、高度経済成長の時代にあって――今とは違い――作ればそれだけ売れたのだそうです。
1972年、転機が訪れます。静岡県と静岡市が地域の農業・商工業の振興を図るべく、中小企業の経営に携わる若手に欧州産業視察の機会を設けてくれました。その内容は大変充実したもので、ヨーロッパ5か国を巡り視察研修を行うというものでした。この研修旅行に参加して、中森さんは大きなカルチャー・ショックを受けたといいます。例えば、パリでは日本と同じピアノでも値段が違う。値段が違えば作りまで違っている、という状況を目の当たりにします。確かに日本は経済的には豊かだ。だが、ヨーロッパの文化的豊かに比べたらまだまだ成長できる部分がある――そんな思いを胸に帰国し、世界に通用する楽器販売会社を日本で設立することを決意したのでした。
帰国して2年後の1974年、中森さんはこの決意を現実のものとすべく「日本ピアノホールディング株式会社」を創業し、翌年からピアノプラザ群馬を設立、販売を始めます。もといた職場は弟にバトンタッチしていざ会社を始めてみると、自分の意志に共鳴する協力者が自然と集まってきたといいます。はじめは自己ブランドの販売を行いましたが、ほどなくすべての国産ピアノ、そしてヨーロッパから輸入したピアノを扱うようになります。大手楽器メーカーによるピアノだけを置くのではなく、メーカーの多様性を重視した点が功を奏しました。中森さんはショールームにさまざまなメーカーのピアノを置き、お客さんが直接選べるようにしました。この展示法によって、はじめはヤマハしか知らないでもお客さんでも、各メーカーの特色や多様性を知り、自分の目で選び、自分に合うピアノを購入するという主体性が育まれました。
この多様性について、中森さんは3つのメーカーの大きな特徴を端的に説明してくれました。たとえば、ドイツのベヒシュタイン社のピアノの音の魅力は、本体の下にある響板を豊かに響かせるつくりになっています。一方、アメリカのスタインウェイはピアノの周囲を取り巻く枠(ケース)の強度で張力を持たせていますので、輝かしい音色になりますが、そのぶん枠が厚く、響きの豊かさは抑えられているそうです。これに対し、オーストリアのベーゼンドルファー社のピアノは枠そのものを響かせる構造になっているので、音色の華やぎよりも響きの充実に重点が置かれているそうです。
このように、それぞれのメーカーの特色を訪れるお客さんに丁寧に解説することで、お客さんもじっくり時間をかけて比較し考え選ぶようになったそうです。現在、ピアノプラザ群馬を訪れるお客さんの平均滞在時間は約6時間にもなるそうです。
さて、次回は、インフラとしての楽器店という、中森さんの経営理念に迫ってみたいと思います。
執筆:上田泰史