イタリア・ウィーン楽譜探訪記~「ピアノ・ブロッサム」の種を求めて 第2回/上田泰史さん
パリからローマへは、飛行機でわずか2時間。最近は格安の小型・中型機がヨーロッパ諸都市を行き来しているから早朝でも便がある。朝7時にテイクオフ、9時にはもう着いてしまうのだから、ローマで朝食を取った。ローマでの調査地は二カ所。ヴィットーレ・エマヌエーレ二世国立中央図書館とサンタ・チェチーリア国立アカデミー図書館及び記録文書館である。一日目は、ひとまず国立図書館を訪れることにした。空港からローマの中央駅にあたるテルミニ駅まで、ダ・ヴィンチに因んだレオナルド急行に乗る。20分ほどで到着したら、今度は地下鉄に乗る。ローマの地下鉄は東西南北を十字に走るA線とB線の二本より他にないから、パリや日本の地下鉄のように路線や乗り換え駅を覚えられないということはまずない。地下鉄構内では、有線放送でロックがかかっていたが、あまり馴染みのない音の情景で新鮮だった。北に向かうB線で一駅、カストロ・プレトリオ駅の目の前に国立図書館はある。Biblioteca nazionaleと彫られた巨大なレリーフのある門を入ると、ちょうど市役所のような佇まいの建物が現れた。
この図書館には、イタリアの公共図書館の蔵書を電子目録化し、横断検索を可能にしているICCU(統一カタログのための中央研究所)と呼ばれる機関も常駐しており、イタリアの文献にアクセスの効率化に欠かせない重要な役割を担っている(統一目録のこちら)。
荷物を預け、登録用紙に氏名や連絡先を記入し、入館証を発行してもらう。これはどこの図書館でも同じだが、驚いたのは、私が訪れたイタリアの国立図書館はどこも登録料が無料だったことだ。パリ、ロンドン、ベルリン、オーストリアの国立図書館では、利用料を支払わなければ入館カードを作ってもらえなかったので、利用者にしてみれば大変に寛大な国だと思った(この点は、日本の国立国会図書館も同じだ)。
どこの国立図書館もそうであるように、建物内にはいくつもの閲覧室があり、それぞれが医学とか、文学とか、美術とか、各ジャンルに特化したコレクションがまとめられている。では楽譜はどこに?----そう思って係の人に尋ねてみたら、意外にも手稿文書部門にあるとのことだった。手稿文書部門には、音楽の手稿譜、つまり古い貴重な手書きの楽譜が98点収められている。古いものは16世紀にさかのぼり、新しいものでも17世紀初期のものだという。だが、私が調べに来たのは19世紀のピアノの楽譜、しかも、手書きの楽譜ではなく、出版された楽譜だ。果たしてここにアレッサンドロ・ビアージという謎の作曲家の楽譜が本当にあるのだろうか。カウンターで事前に特定した請求記号を提示すると、奥に研究所があるからそこへ行くように言われた。
言われるがままに閲覧室の最も奥まったところにある小部屋を覗いたら、そこには老年の男性と中年の女性が二人で何か話していた。この部屋には、ロッシーニやドニゼッティの肖像や音楽家の写真が所狭しと並んでいて、妙に雰囲気がある。この小部屋、実はIbimus(Istituo Bibliografia Musicale)という音楽文献を編纂している研究所で、対応してくれた男性は所長のジャンカルロ・ロスティロッラ氏だった。この研究所は1979年に設立され、国内外の歴史・音楽研究を行っている由緒正しき機関である。
私の探していた楽譜は、どうやらこの図書館の手稿譜部門のコレクションではなく、Ibimusの音楽文庫にあるということが分かった。所長直々に楽譜を中二階の書架から取り出してきてくれたので、直ぐに楽譜を見ることができた。楽譜を私に手渡しながらロスティロッラ氏は「カナザワ・マサカタ氏をご存じですか、氏にはお世話になりました」と、意外な話を切り出した。金澤正剛先生は日本音楽学会の会長も務められたルネサンス音楽の専門家だ。きっと欧州での研究ロスティロッラ氏と研究に従事されたことがあるのだろう、と想像した。有り難いのは、尊敬すべき日本の大先輩が築いてくれた国際的人脈によって、私のような若手研究者の調査がスムーズに運ぶということだ。ロスティロッラ氏は複写の申し込み方法などについても丁寧に説明してくださったのは、私が日本人だったからかもしれない。そんなことがあって、国際的に活躍された先輩への感謝を新たにした。
楽譜はアレッサンドロ・ビアージ(1819~84)という名のイタリア人ヴィルトゥオーソの作品で、タイトルは《マエストロ、ジュゼッペ・ヴェルディ氏の〈イル・トロヴァトーレ〉----ピアノのための幻想曲》作品8という曲だ。1853年にフィレンツェで刊行された楽譜で、出版者はジュゼッペ・パッセラーイという人物。まったく聞いたことがない。そもそも、イタリアは楽譜印刷にかけては先進国で、16世紀初期にヴェネツィアのO. ペトルッチという人物が植字印刷法をはじめて全面的に用いたことが知られている。ところが、19世紀イタリアの音楽出版者については、これが体系的に調査されたという話をついぞ聴いたことがない(私が知らないだけで、研究があるかもしれないが。フランスには18・19世紀の音楽出版社事典がある)。ルッカや今も健在のリコルディといったいくつかの企業はオペラの出版で有名だが、当然、19世紀からピアノ曲も多くの作品を出版していた。ピアノやヴァイオリンなど器楽を専門としたローカルな出版者についての情報はさらに稀である。けれども、19世紀イタリアにもピアノ文化は当然あったわけで、ビアージはその重要な担い手の一人だったはずだ。事実、楽譜が、彼の相当な達人ぶりを示している。ステファノ・ゴリネッリ(1818~91)に並ぶ1810年世代のイタリア人ヴィルトゥオーゾとして、今後調べてみる価値がありそうだ。この二人は、イタリア・イコール・オペラという先入観を排して、イタリアのピアノ音楽の歴史的発展を知る手がかりとなるだろう。
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